開催時間 |
11時00分 - 18時00分
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休み |
日曜日,月曜日,祝日
日、月、祝 |
入場料 |
無料 |
展覧会の撮影 |
可 |
作品の販売有無 |
販売有
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この情報のお問合せ |
info@lokogallery.com
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イベントURL | |
情報提供者/投稿者 |
住所 |
〒150-0032 東京都
渋谷区鶯谷町12-6 |
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最寄り駅 | 代官山 |
電話番号 | 03-6455-1376 |
LOKO GALLERYでは、宇留野圭による初個展「Echoes of Silence」を開催致します。
宇留野は1993年岐阜県生まれ。2021年に名古屋芸術大学美術科を卒業後、2023年 同大学大学院美術研究科修士課程を修了。機械部品の鋳造経験を経たのち、美術領域での実践を展開し始めた宇留野は、自身を取り巻く生活世界や絵画、舞台芸術などにインスピレーションを受けながら身近な事象を基軸に、機械や舞台構造を用いた立体作品やインスタレーションを発表しています。本展では、継続して制作されている部屋シリーズの新作に加え、ひとつの肉体に3つの人格を持つとされるケルベロスに着想を得た「3の頭」や、平面のパースペクティブ(錯視)を使用した「2の空間」などを始めとする作品が展示される予定です。
「不可視の風景」
分解と構築、内と外、生と死や個人と社会といった境界領域の仕組みや不透明性を探りながら、その思考のプロセスを形象化する宇留野の作品は、ひとつのパーツを他に接続することから始まります。マケットや習作などは一切用意せず、多くの場合無機質で抽象形状である部品やパイプのひとつひとつをつないでゆくその工程では、時につなぎ間違いすら道標になるといいます。その行為を「何にもないところからキャンバスに風景や部屋を描くことに似ている」と話す宇留野。アイロニーや可笑おかしみも携たずさえながら、モノとしての物質的存在を通した表象を試みる彼の作品は、同時に非物質的な、無数の「見えないもの」を炙り出しています。
学部を卒業した2021年の個展 *1 において、何かからの逃避や中断、終了といった語彙をキーボード上のEsc機能と接続し、そのような態度が自身の欲望や制作テーマの根底にもあるとした宇留野は、逃げ出した犬や「密室」など自身の原風景とそれを取り巻く社会の双方に重なり合うモチーフを、個人と集合体の欲望の表象として提示しています。一見否定的に見えるこれらの逸脱行為を、彼は「身を守るために生物に備わった生存本能」に根ざす衝動だと記します。展示された作品のひとつ、密閉された幾つもの部屋空間から成る建築集合体<17の部屋-耳鳴り>は、その全ての空間がパイプオルガンの構造によってつながっており、構造体を巡る空気の流れが振動=音に変換され展示空間全体に鳴り響きます。入り組んだ構造で限られた視野の各々の部屋には人間の日常の風景とも記憶の断片とも受け取れる痕跡が散りばめられる一方で、閉じ込められた昆虫やその死骸が内外に目視でき、接続されていないケーブルは打ち捨てられたまま朽ち始めているようにも見えます。そして躯体の反対側の無機質な空間では剥き出しの排気口が青白い蛍光灯に照らし出されています。限りなく不在や気配を感知させ虚実が入り混じる展示を通して、宇留野が探求している世界とはどのようなものでしょうか?
同年発表された<密室の三連構造>の制作における参照点には、河原温の<浴室>シリーズと美術評論家・中原佑介の「密室の絵画」論が含まれているといいます。どちらも戦後間もない1950年代の日本で発表された絵画と絵画論です。<浴室>シリーズについて「世界の違和感や閉塞感を、密室の内部で描きつつも変形キャンバスにすることでその現実を作り出した外側の社会や世界の歪みを表象した」作品と分析する宇留野は、3つの密室空間が異なる秩序のもとにつなげられ不安定に揺れ動く本作において、自身の生活や環境の「内側」で感じていた「閉じているけど繋がっている」感覚や居心地の悪さを反映しながらも、むしろその「外側」が持つ影響力やアンバランスさを構造化しています。同論において、作家の内省的心情の絵画化や人間にのみ執着する視野の閉鎖性を指摘した中原は、「密室の有限な条件をうちやぶり、外部との通路を発見するためには(中略)人間に対する哀惜から、その眼を周囲の非情な世界に転じる必要がある」としました。*2 それは「無機質な物質が人間の意識や情緒との断絶の間隙に立ち入」ることによって初めて表象される内部の矛盾や葛藤です。
過去・現在・未来といった時間性の表象として三連画にも着目する宇留野が作品において採用する「部屋」は、モノでありながら抽象化されたイメージでもあり、映画や写真のフレーミングをも想起させます。それは河原の<浴室>シリーズに顕著に見られる変形画面とも呼応しています。<浴室>の長方形を前提とした外形は内部のグリッド状の歪みと干渉しあいながら変形しており、ひとつの部屋を正確に記録する為には幾つもの視点からの撮影が必要なように *3、そこには空間を再現するための複数の視点が用意されています。そして1点から全体を一望する視点を拒む宇留野の多くの「部屋」もまた、観者に異なるパースペクティブからの視線を要請しています。キャンバスの外形ともいえるその構造は、生活世界におけるリアリズムや心理のみならず、外界や世界の構造の表象を標榜し、近接点や限られた視野といった複数の距離と視点はある種の不均衡さをもたらします。浮かび上がる不穏な感覚は、そこに時間的、空間的、心理的な距離=異化作用が作動するからかも知れません。
本個展に向けた制作の中で、宇留野は「殺風景」という言葉を思い浮かべたと語っています。
ベルクソン研究でも知られる藤田尚志がある対談の中で言及した「殺風景の美学」*4 は、中原が「密室の絵画」論で糾弾した「古いヒューマニズムは凶器に分類される」という世界観にも通じるように思われます。ここで語られている文脈は、具体的な事象や地域を題材とした作品における「隔たって直接的でない」手つきです。宇留野の実践と作品が描き出す表象は、虚構としての張りぼてを援用しながら、主観的な世界像と変容する世界とのずれを変数に置き換えた風景です。リアルなものとは、視野の外から、得体の知れない何かとして到来するものなのかも知れません *5 そこに観る者それぞれが持つ経験や記憶が加わる時、作品には新たな重層をもった、さまざまな接続のかたちが生まれてゆきます。
(山越紀子|キュレーター)
山越紀子|インディペンデント・キュレーター、ライター。チューリッヒ芸術大学(キュレーション)修士。主な近年の展覧会に「Games.Fights.Encounters」(2020-2021)「Choreographing the Public」(2019-2020)、共同執筆に「la_cápsula ‒ between Latin America and Switzerland: An Exploration in Three Acts」(2020)、インタビューエッセイに「《MJ》田村 友一郎」(2019)など。
*1 https://www.artgummi.com/all-archives/10158/金沢アートグミ2021年度企画公募展 宇留野圭【escape】/
*2 中原佑介「密室の絵画」『美術批評 6月号』美術出版社、1956年
*3 南雄介「河原温<浴室>シリーズについて」、慶應義塾大学アート・センター、2016年|「河原温自身も、映画には強い関心を抱いていた。映画評や映画論も執筆しているが(中略)映画のテクニックを主眼に論じたものであり(中略)映画のテクニックを主眼にしていたことがわかる」
*4「Week End / End Game / 田村友一郎」2017年 |「人間の気配があるにも関わらず、人間性とか情緒性とかを感じられないような(中略)世界。」
*5 ダヴィッド・ラプシャード『壊れゆく世界の哲学』、月曜社、2023年
■イベント:7月20日(土)15:00〜
若狭真司(作曲家/アーティスト)による宇留野圭作品とのサウンドセッション[参加費 ¥1,000(フリードリンク付)/ 予約不要]
▼コラボアーティスト
若狭真司(わかさしんじ)|作曲家/アーティスト。CM・映画音楽、ファッションショーやアートエキシビションへの作品提供や制作を行う。自身のアーティストワークにおいては静けさと抑制を意識しながら、響き/テクスチュアに根差した音と音楽の強度を信条とし、これまでにArchives(Spain),Inner Ocean Record(Canada),Fluid Audio label(UK)等多数の海外レーベルから作品をリリースする。近年はテーマである薄明、死と、音楽の物質性、その触れ得なさへ、場を用いたアプローチを試みている。2024年6月7日に“夜明け”をテーマにした最新アルバム「DAWN」をLP、カセットテープ、ストリーミングサービスよりリリース。
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