開催時間 |
9時30分 - 17時00分
金曜日は20時00分まで ※入場は閉館の30 分前まで |
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休み |
月曜日
(7⽉15⽇[⽉・祝]と8⽉12⽇[⽉・休]は開館)、7⽉16⽇[⽕]、8⽉13⽇[⽕] |
入場料 |
有料 ⼀般1,500(1,300)円、高大生900(700)円、中学生以下無料 ( )内は通常前売・20名以上の団体料金 |
展覧会の撮影 |
可 (一部作品を除く) |
作品の販売有無 |
展示のみ
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この情報のお問合せ |
名古屋市美術館 052-212-0001
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情報提供者/投稿者 |
住所 |
〒460-0008 愛知県
名古屋市中区栄2-17-25 |
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最寄り駅 | 伏見 |
電話番号 | 052-212-0001 |
メキシコと日本の架け橋となった芸術家、北川民次
約30年ぶりの回顧展
メキシコで画家・美術教育者として活動した北川民次(1894-1989)。
日本へ帰国後は、東京や愛知を拠点に洋画壇で活躍し、子どもの美術教育や壁画制作にも挑みました。約30年ぶりの回顧展となる本展では、北川がメキシコ時代に交流した作家や美術運動との関わりも視野に⼊れながら、彼がメキシコで学び日本へ帰国後も貫いてきた芸術への信念を再考します。
また本展では、北川の美術教育者としての側面にも注目します。北川はメキシコで野外美術学校の教師を務めた経験を活かして日本で児童美術学校を主宰し、美術批評家の久保貞次郎らの協力を得て絵本制作を行うなど、創造性をもった人間づくりを目指す美術教育に携わりました。現代でもなお示唆に富む革新的な方針やその手法を、生徒の作品や当時の資料とともに紹介します。
絵画作品約70点を含む約180点の作品と資料によって、洋画家・壁画家・絵本制作者・美術教育者など多彩な側面をもつ北川民次の魅力に迫ります。
北川民次 KITAGAWA Tamiji
静岡県生まれ。1914年にアメリカに渡って美術を学び、1921年から約15年にわたりメキシコで画家・美術教育者として活動。1936年の帰国後は東京の洋画壇で活躍し、第二次世界大戦後は瀬戸を拠点に制作を続けた。
[展覧会のみどころ]
1 約30年ぶりの大規模な回顧展
1996年に開催されてから約30年ぶりの大規模な回顧展となる本展覧会。作家ゆかりの東海地方をはじめ、宮城、新潟、栃木、愛媛など、全国各地に所在している作品をまとめて見ることが出来る貴重な機会です。
2 北川民次の多彩な活動を紹介
洋画家、壁画家、絵本作家、そして美術教育者など、様々な方面で活躍した北川民次。本展では多様な作品と資料から、まだ⼗分に知られていない北川民次の魅力を紹介します。
3 メキシコの精神を汲んだ国際的な作家
北川はメキシコで様々な作家と交流しながら自らの創造性を育みました。同時代のメキシコで活動した画家ルフィーノ・タマヨや写真家ティナ・モドッティ、北川と親交のあった藤田嗣治などの作品もあわせて紹介し、メキシコと日本の架け橋となった作家の姿に着目します。
[展示構成]
第1章 民衆へのまなざし
アメリカのモダニズムの文脈をいかに汲んでいるかをメインに紹介。北川はアメリカ時代に舞台美術の仕事をする傍ら、アート・スチューデンツ・リーグに在籍します。ジョン・スローンら社会派の画家たちから学んだ「民衆を描く」姿勢は、生涯を通じて制作における重要なテーマの⼀つとなりました。
現実を見つめ、民衆を時には醜くも描くことによって、その背後にある社会の矛盾まで批判的に描き出そうとする姿勢に注目します。
第2章 壁画と社会
メキシコ・ルネサンスの壁画運動との共通点や差違をメインに紹介。北川は日本へ帰国後、藤田嗣治の勧めもあり、メキシコの風俗を壁画のような大画面に描き、二科会の会員になります。戦時中は、壁画を志向した異時同図的な画面構成で労働者の様子を描き、戦後は支配するものとされるものという構造や、さらに社会問題を主題として取り上げるようになりました。
絵画は美しく装飾的で人の心を癒すべきだという考えを否定し、強いメッセージや思想を表現する作品を描こうと葛藤し続けた作家の仕事を取り上げます。
第3章 幻想と象徴
壁画運動から距離をおいたメキシコの作家たちからの影響をメインに紹介。北川は1950年代に、壁画の下絵や部分絵としての絵画を描くことから、額縁に入った絵画(タブロー)の制作へ関心を移します。新しい表現を模索するなかで、メキシコの作家ルフィーノ・タマヨの造形表現を参照しました。宙を飛ぶ女性や黒い人影など、シュルレアリスムに接近した不思議な絵画空間を描き出します。また、戦時および戦後に描かれた象徴的な風景は、しだいに社会問題への婉曲的な批判にもつながっていきました。
第4章 都市と機械文明
メキシコの前衛的な芸術グループからの影響を紹介。北川は、都市や建物の風景をダイナミックに歪んだ遠近法で切り取り、工場や機械の形態の面白さに注目した作品を、晩年に至るまで制作します。これには2つの影響が考えられます。⼀つは、メキシコ時代から高く評価していた、アメリカの画家、ジョン・マリンの風景画。ジョン・マリンはニューヨークの1930年代、急速に都市化していく街の様子を水彩画に描きました。もう⼀つは、北川がメキシコにいた頃の前衛動向、エストリデンティスモ。喧騒主義と訳され、メキシコの未来派とも言われる動向です。イタリア出身の写真家のティナ・モドッティも参加したこの動向において彼らは、都市文化の象徴ともいえる高層建築や機械、ラジオなど通信技術を取り上げました。本章ではそうした都市や機械文明に注目した作品を取り上げます。
第5章 美術教育と絵本の仕事
1920年代に隆盛したメキシコの美術教育からの影響を中心に紹介。北川が参加したメキシコの前衛運動「¡30‐30!」はアカデミズム的な教育を否定するもので、美術や文化を知識人から解放しようとする姿勢をもっていました。多くの人に思想を伝達するメディアとして機能したのが複製可能な版画で、壁画とは違ったかたちで芸術を民衆へ近づける役割を担ったと言えるでしょう。
また北川はトラルパンとタスコの野外美術学校で美術教育に従事し、その自発的な表現や制作を尊重する理念を学びました。帰国後は、美術批評家の久保貞次郎らと交流して「コドモ文化会」を設立、絵本制作に熱中します。
戦後は、画家仲間と協力し名古屋の東山動物園で児童美術学校を開設するなど、メキシコの野外美術学校の理念を日本でも実践しようとしました。自分の経験をもとに描く対象に対する認識まで描きだす、という教え子から学んだ視点は、北川自身の絵画にも活かされていきました。
エピローグ 再びメキシコへ
メキシコ再訪旅行を契機にした制作の展開を中心に紹介。北川は1955年にメキシコを再訪し、旧友と親交を深めるとともにモザイク壁画の可能性に注目しました。メキシコの陶器と⽐較し、瀬戸の陶磁器産業の技術力の高さを認識します。さらに1956年にはアメリカとヨーロッパを周遊し、ルネサンス以前のモザイク壁画に感銘を受けました。日本へ帰国以降には、瀬戸の職人と協働して公共の場所に設置するモザイク壁画の制作に次々と取り組みます。
瀬戸市や名古屋市内に現存する壁画をはじめ、北川民次の芸術を後世へ引き継ごうとする活動の紹介を通して、今なお人々に愛される北川民次像にも注目します。
[学芸員による解説会]
日時:①7月13日(土)14:00―15:00 ②8月18日(日)14:00―15:00
会場:名古屋市美術館2階講堂
定員:180名(先着順、定員になり次第締切)
講師:勝田琴絵(名古屋市美術館学芸員)
※入場無料。ただし聴講には本展の観覧券(観覧済みの半券も可)が必要。
主催:名古屋市教育委員会・名古屋市美術館、中日新聞社、日本経済新聞社、テレビ愛知
後援:JR東海、名古屋市立小中学校PTA協議会
協力:名古屋市交通局
巡回先(予定)
2024年9月21日(土)―11月17日(日) 世田谷美術館[東京]
2025年1月25日(土)―3月23日(日) 郡山市立美術館[福島]