国立新美術館開館10周年・チェコ文化年事業 ミュシャ展

《スラヴ叙事詩「原故郷のスラヴ民族」》 1912年 プラハ市立美術館 ©Prague City Gallery
あと36日後に終了
    • 印刷する
    会 期
    20170308日 -  20170605
    開催時間
    10時00分 - 18時00分
    毎週金曜日、4月29日(土)-5月7日(日)は午後8時まで
    入場は閉館の30分前まで
    休み
    火(ただし、5月2日(火)は開館)
    入場料
    有料
    一般1600円(1400円)、大学生1200円(1000円)、高校生800円(600円)、中学生以下無料
    ※( )内は前売り、20名以上の団体 ※障がい者とその付き添いの方1名は無料(入場の際に障がい者手帳などをご提示ください) ※3月18日(土)~3月20日(月・祝)は高校生無料観覧日(学生証の提示が必要)
    作品の販売有無
    展示のみ
    この情報のお問合せ
    03-5777-8600(ハローダイヤル)
    イベントURL
    情報提供者/投稿者
    開催場所
    国立新美術館
    住所
    〒106-8558 東京都
    港区六本木7-22-2
    最寄り駅
    乃木坂
    電話番号
    03-5777-8600(ハローダイヤル)

    詳細

    参加クリエイター

    展覧会内容

    アール・ヌーヴォーを代表する芸術家の一人、アルフォンス・ミュシャ(チェコ語発音ムハ※、1860-1939)は、オーストリア領モラヴィア(現チェコ)に生まれ、ウィーンやミュンヘンを経て、27歳でパリに渡り絵を学びました。なかなか才能を発揮する機会に恵まれなかったミュシャは、34歳の時に、女優サラ・ベルナール主演の舞台「ジスモンダ」のポスターを手がけることになり、一夜にして成功をおさめます。以降、優美で装飾的な作風は多くの人を魅了し、時代の寵児として活躍しました。
    美しい女性像や流麗な植物文様など、華やかで洗練されたポスターや装飾パネルを手がける一方で、ミュシャは故郷チェコや自身のルーツであるスラヴ民族のアイデンティティをテーマにした作品を数多く描きました。その集大成が、50歳で故郷に戻り、晩年の17年間を捧げた画家渾身の作品《スラヴ叙事詩》(1911-28年)です。およそ縦6メートル、横8メートルに及ぶ巨大なカンヴァスに描かれた20点の油彩画は、古代から近代に至るスラヴ民族の苦難と栄光の歴史を映し出す壮大なスペクタクルであると言えます。

    本展はこの《スラヴ叙事詩》をチェコ国外では世界で初めて、全20点まとめて公開するものです。プラハ市のために描かれ、1928年に寄贈された《スラヴ叙事詩》は、1960年代以降、モラヴィアのクルムロフ城にて夏期のみ公開されてはいたものの、ほとんど人の目に触れることはありませんでした。その幻の傑作が、80年以上の時を経て2012年5月、ついにプラハ国立美術館ヴェレトゥルジュニー宮殿(見本市宮殿)にて全作品が公開されました。そしてこのたび国立新美術館では、パリで活躍したミュシャが《スラヴ叙事詩》を描くに至るまでの足跡を約100点の作品を通じて辿りつつ、これら幻の最高傑作の全貌を一挙、紹介します。

    ミュシャとアール・ヌーヴォー

    ミュシャが自画像を描いた1888年、彼は無名の画家でした。正式な名前はアルフォンス・マリア・ムハ。Mucha(ムハ)はフランス語読みでは「ミュシャ」と発音します。当時、ミュシャはモラヴィアのクーエン・ベラシ伯爵の援助を受けて、パリのアカデミー・ジュリアンで絵画を学ぶ学生にすぎませんでした。翌年には、この援助も途絶えたため、画家は経済的に困窮し、グラフィック・アートや、アルマン・コラン出版社の雑誌や本の挿絵を描いて生計を立てるようになりました。    
    突破口が開けたのは、1894年のクリスマスのことです。印刷業者ルメルシエが、女優サラ・ベルナール主演によるルネサンス座の舞台「ジスモンダ」のポスター制作を急遽ミュシャに依頼してきたのです。縦長の画面の中に、茶色と黄金色がアクセントの豊かで柔らかな色調の衣をまとった、ほぼ等身大の威厳ある女性像を描いた装飾的なポスターは、ミュシャを一躍有名な画家へと押し上げます。これによりサラ・ベルナールの信頼を勝ち得たミュシャは、以後、《ロレンザッチオ》(1896年)や《メディア》(1898年)、《ハムレット》(1899年)、《トスカ》(1899年)などの舞台の宣伝ポスターや商業ポスターを手がけました。彼の描き出す妖しい魅力を持つ「魔性の女(ファム・ファタール)」は、新しい時代の神話の象徴となったのです。    
    神々しささえ感じさせる女性の美の極致は、頭上に花飾りや星の光輪のある美しい女性の姿を描いた《四つの花》(1897年)や《四芸術》(1898年)など、19世紀後半に描かれた連作の中で開花しました。また、サラ・ベルナールのために、この時代の至宝とされた《蛇のブレスレットと指輪》(1899年)もデザインしています。ミュシャは宝飾デザインでもその才能を発揮し、彼がデザインした作品は、1900年パリ万国博覧会において、宝飾商ジョルジュ・フーケにより展示されました。

    世紀末の祝祭

    ミュシャが自画像を描いた1888年、彼は無名の画家でした。正式な名前はアルフォンス・マリア・ムハ。Mucha(ムハ)はフランス語読みでは「ミュシャ」と発音します。当時、ミュシャはモラヴィアのクーエン・ベラシ伯爵の援助を受けて、パリのアカデミー・ジュリアンで絵画を学ぶ学生にすぎませんでした。翌年には、この援助も途絶えたため、画家は経済的に困窮し、グラフィック・アートや、アルマン・コラン出版社の雑誌や本の挿絵を描いて生計を立てるようになりました。    
    突破口が開けたのは、1894年のクリスマスのことです。印刷業者ルメルシエが、女優サラ・ベルナール主演によるルネサンス座の舞台「ジスモンダ」のポスター制作を急遽ミュシャに依頼してきたのです。縦長の画面の中に、茶色と黄金色がアクセントの豊かで柔らかな色調の衣をまとった、ほぼ等身大の威厳ある女性像を描いた装飾的なポスターは、ミュシャを一躍有名な画家へと押し上げます。これによりサラ・ベルナールの信頼を勝ち得たミュシャは、以後、《ロレンザッチオ》(1896年)や《メディア》(1898年)、《ハムレット》(1899年)、《トスカ》(1899年)などの舞台の宣伝ポスターや商業ポスターを手がけました。彼の描き出す妖しい魅力を持つ「魔性の女(ファム・ファタール)」は、新しい時代の神話の象徴となったのです。    
    神々しささえ感じさせる女性の美の極致は、頭上に花飾りや星の光輪のある美しい女性の姿を描いた《四つの花》(1897年)や《四芸術》(1898年)など、19世紀後半に描かれた連作の中で開花しました。また、サラ・ベルナールのために、この時代の至宝とされた《蛇のブレスレットと指輪》(1899年)もデザインしています。ミュシャは宝飾デザインでもその才能を発揮し、彼がデザインした作品は、1900年パリ万国博覧会において、宝飾商ジョルジュ・フーケにより展示されました。

    独立のための闘い

    19世紀末から20世紀への転換期は、小国が独立を求める闘いの時代であったとも言えます。チェコでは、オーストリア=ハンガリー帝国とゲルマン化政策に対する抵抗の動きが高揚していました。
    万国博覧会の期間中、ロシア皇帝アレクサンドル3世の来訪を受けたことで、パリは汎スラヴ主義の波を経験します。ミュシャは、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ館の装飾を手がける際に取材したバルカン半島への旅で目の当たりにした外国の支配を受けている人々の屈辱と苦しみを、劇的なかたちで表現しました。
    その後アメリカに渡り、同地のスラヴ人コミュニティーのメンバーの知遇を得たミュシャは、約50万人のメンバーを抱えるスラヴ協会を設立しました。そして、《スラヴ叙事詩》制作のための資金提供を資本家チャールズ・R・クレインから取り付けます。
    ボヘミアに戻った後は、女性の描写にも変化が見られます。丸顔でふっくらした体型のスラヴ人である妻の容貌がベースとなりました。バレエ「ヒヤシンス姫」のポスター(1911年)は、星空に囲まれたプリンセスをロマンティックに様式化しているにも関わらず、その姿からはエネルギーに満ちた現代女性という印象が伝わってきます。また、「第6回ソコル祭」(1912年)、「第8回ソコル祭」(1925年)用ポスターなども手がけています。民族の伝統や民族衣装に触発され、意匠化したこれらのポスターは、明るい色彩で写実的に描写されています。画家の晩年の作品は、新生国家チェコスロヴァキアの依頼を受けて制作されたものが多く、紙幣や切手のほかにも、白獅子の国章、警官の制服、聖ヴィート大聖堂のステンドグラス(1930年)などもデザインしました。1928年にプラハのヴェレトゥルジュニー宮殿(見本市宮殿)に連作《スラヴ叙事詩》全作品が展示された際には、チェコスロヴァキア独立10周年記念ポスターも制作しています。これらの作品は、チェコ国民の文化的民族自決のための長年にわたる闘いの、まさに有終の美を飾るものでした。

    スラブ叙事詩
    1911年、ムハ(ミュシャ)はプラハ近郊のズビロフ城にアトリエを借り、晩年の17年間を捧げた壮大なプロジェクト《スラヴ叙事詩》に取り組みます。故郷を愛し、人道主義者でもあった彼は、自由と独立を求める闘いを続ける中で、スラヴ諸国の国民をひとつにするため、チェコとスラヴ民族の歴史から主題を得た壮大な絵画の連作を創作したのです。
    当初、《スラヴ叙事詩》は、本作を美術館に常設展示することを条件にプラハ市に寄贈することになっていました。
    1928年には、チェコスロヴァキア独立10周年を祝して、完成した作品がプラハのヴェレトゥルジュニー宮殿で公開されました。未来の世代のためにという画家の願いも空しく、若い世代からは、保守的な伝統主義の産物だとのレッテルを貼られてしまいます。さらに、経済危機や複雑な政治状況が追い打ちをかけ、予定されていた《スラヴ叙事詩》展示のための美術館も建設されることはありませんでした。画家の没後、第二次世界大戦が終結すると、この連作は、画家の生まれ故郷近くのクルムロフ城に寄託されます。ようやく作品が現在展示されているプラハのヴェレトゥルジュニー宮殿に戻されたのは、2012年のことでした。

    主催・協賛・後援

    主催:国立新美術館、プラハ市、プラハ市立美術館、 NHK、NHKプロモーション、朝日新聞社
    後援:外務省、チェコ共和国大使館、チェコセンター
    協賛:伊藤忠商事株式会社、日本写真印刷
    特別協力:堺市

    平均:0.0 
    レビューした人:0 人

    近くの展覧会

    人気の展覧会

    <<        >>

    クリップした展覧会はありません。