開催時間 |
10時00分 - 16時30分
最終入館時間 16時00分 ※状況により、臨時に休館や開館時間の短縮を行う場合がございます。 ※ご来館にあたって事前予約は必要ありませんが、混雑時はお待ちいただく場合がございます。 |
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休み |
月曜日
(ただし、1月13日・2月24日は開館、1月14日・2月25日は休館) |
入場料 |
有料 一般:1000円、シニア(70歳以上):800円、大学・高校生:500円 ※中学生以下、障害者手帳をご提示の方及びその介助者(1名)は無料 |
作品の販売有無 |
展示のみ
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この情報のお問合せ |
永青文庫
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情報提供者/投稿者 |
住所 |
〒112-0015 東京都
文京区目白台1-1-1 |
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最寄り駅 | 江戸川橋 |
電話番号 | 03-3941-0850 |
熊本藩主であった細川家には、日本の陶磁作品が数多く伝えられています。特に、茶の湯を愛好した細川家では、茶壺・茶入・茶碗などの「茶陶」が残されました。熊本藩の御用窯であった八代焼(高田焼・平山焼)でも茶道具が多く作られています。八代焼は、素地と異なる色の陶土を埋め込む象嵌技法が特徴で、幕府の使者への進物などに重用されました。
また、永青文庫の設立者である16代の細川護立(もりたつ、1883~1970)は、同時代の工芸作家との交流が深く、大正から昭和にかけて活躍した陶芸家・河井寬次郎(かわいかんじろう、1890~1966)の支援も行いました。寬次郎は、初期に中国の古陶磁をもとにした作品で注目され、後に「民藝運動」の中心人物となり、作風が大きく変化しました。
本展では、河井寬次郎の作品30点あまりによって作風の変遷をたどるほか、茶道具・八代焼に注目します。河井寬次郎や八代焼を紹介するのは約20年ぶりです。また特別展示として細川護熙(もりひろ)・護光(もりみつ)の作品を紹介します。この機会に細川家の日本陶磁コレクションの多彩な魅力をご覧ください。
[見どころ]
1.河井寬次郎(1890〜1966)の作品を約20年ぶりに大公開
河井寬次郎(かわいかんじろう)は、明治23年(1890)島根県安来生まれ。東京高等工業学校窯業科を卒業したのち、京都市陶磁器試験場に入所し、膨大な数の釉薬の調合や焼成に没頭します。大正9年(1920)に京都五条坂の窯を譲り受け、「鐘溪窯(しょうけいよう)」と名付けました。
寬次郎の作風は、以下の3期で大きく変化しています。
・初期(大正3~15年頃) 中国や朝鮮半島の古陶磁をモデルとする
・中期(昭和4~23年頃) 民藝運動に参画し、日常の器に「用の美」を見出す
・後期(昭和24~41年頃) 大胆な模様や色釉による造形
寬次郎は、大正10年(1921)、東京の髙島屋呉服店で初の個展「第一回創作陶磁展観」を開催し、中国や朝鮮の陶磁を模範とした作品を発表しました。翌年刊行した『鐘溪窯第一輯』の序文で、陶磁研究者の奥田誠一(1883〜1955)は、「天才は彗星の如く突然現るるものである」と絶賛しています。細川護立は、第1回の個展に際して帝国ホテルで行われた披露の会に出席しており、寬次郎の作品を入手することで支援していたと考えられます。
2.細川家伝来の日本の茶道具を特集
細川家では、幽斎(藤孝、1534〜1610)、三斎(忠興、1563〜1645)などが茶の湯を愛好したため、多くの茶道具が残されました。特に三斎は、千利休の高弟として「利休七哲」の一人にも数えられています。細川家の茶道具には、「唐物」をはじめとする外国の茶道具も、日本で焼かれた「和物」も残されていることから、その比較を通じて日本陶磁の広がりをご覧いただきます。
3.八代焼を約20年ぶりに展示
八代焼(やつしろやき)は、熊本を代表する焼物です。江戸時代には熊本藩の御用窯となり、幕府の使者への進物などに重用されました。成形した素地が半乾きのうちに文様を刻み、そこに素地と異なる色の陶土を埋め込み、乾燥後に削ることでシャープな文様の輪郭を生み出す象嵌技法が有名です。
主催:永青文庫
特別協力:ホテル椿山荘東京