開催時間 |
12時00分 - 19時00分
日12時00分~17時00分 *「アートウィーク東京」開催期間中は、11月7日(木)・8日(金)・9日(土)10:00-19:00、10日(日)10:00-18:00にオープンいたします。 |
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休み |
月曜日,火曜日,祝日
*11月3日(日祝)・11月15日(金祝)・11月23日(土祝)休廊 |
入場料 |
無料 |
作品の販売有無 |
販売有
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この情報のお問合せ |
WAITINGROOM
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情報提供者/投稿者 |
住所 |
〒112-0005 東京都
文京区水道2-14-2 長島ビル 1F |
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最寄り駅 | 江戸川橋 |
電話番号 | 03-6304-1877 |
WAITINGROOM(東京)では、2024年11月2日(土)から12月8日(日)まで、パリを拠点に活動するオノデラユキをゲストアーティストに迎え、当ギャラリーでは初めての個展『Parcours - 空気郵便と伝書鳩の間』を開催いたします。この展覧会は、「アートウィーク東京2024」参加展示です。
ギャラリーが郵便局跡地であることに着想を得て制作がはじまった今回の新作群は、「通信」「情報伝達」をテーマに、オノデラの居住地であるパリと東京のギャラリーを繋ぎ、別の空間や過去と現在という別の時間軸が、通信システムを起点に重なり合うような手法で制作されました。2mを超える縦長の大型プリントから、切手が貼られ消印も刻印されたハガキサイズの小さなプリントまで、多岐にわたる郵便をテーマにした作品が約40点、ギャラリー手前から奥のさらに奥のスペースまで、1本の赤い線で繋がれて展開されます。この機会にぜひご高覧ください。
アーティスト・ステートメント
ギャラリーWAITINGROOMはそもそも郵便局(旧文京水道郵便局)であった、というところからこの新作が動きだした。入り口上にPOST OFFICEと書いてある。膨大な数の郵便物がここに集まりそして各地へと運ばれて行く、そんな過去をもった会場は空想の入り口だった。私はこの事実をきっかけにポンと飛び、私の住む街パリで「郵便」をキーワードに時間と空間をトリップするという写真作品を考えてみた。
空気郵便(La post pneumatique)というサービスをご存知だろうか?パリでは1868年から1984年まで営業されていた。電信が飽和状態となって、それを解消するために考案された当時のハイテク通信システム、パリの地下を縦横に走り巡る物理的郵便物ネットワークである。紙に書いた手紙を郵便局に持っていき郵便局員に手渡す。局員はそれを筒状カプセルに仕込み、脇で口を開けているチューブの中に放り込むのだ。カプセルは地下に落ちると圧力と真空の力で1分1キロの猛スピードで目的地に向かって走り出す。自分の足元、その下にはこの鉄チューブのネットワークが張り巡らされていたのだ。つまり私たちの地面の下を常に手書きのメッセージが物理的に飛び交っていたのである。機械のような街。
思い至ってみればDNAを待つまでもなく情報伝達、通信こそ生命活動の目的ではないか。太古からの人の営みも。制作はまず地図作りから始まった。
私はかつての空気郵便各局のネットワーク図を入手し、現在のパリの地図上に照らし合わせてみた。それぞれの基地局を繋ぐような線をたどたどしく書き写していくと、このキメラのような形の閉じたラインの地図が出来上がった。このラインが今回の制作の元になる、全長37キロのパルクール『Parcours』のコースである。しかし空想は地下の空気郵便に終わらない。通信である。地下から視線を空にずらして出現したのは伝書鳩だ。私の問いは「伝書鳩は原寸大の地図を見て飛ぶのか?」。
今回の制作は自身で作ったパルクールのコースを移動して写真を撮ること。コースから外れたパリの観光写真は撮らない。しかしこの行為をリアルなドキュメンタリーにもしたくない。「~通り」の写真を撮るのではなく、コース上に立って見えてくる光景を踏み台とする。時には小説のように主体の視点が突然、鳥の視線になったり、地下に張り巡らされている、複雑に絡みあったチューブの中に入ってしまうような、そんな超越が欲しい。
そのようなわけでどれもストレート写真にはならなかった。
例えば暗室で、自身で焼いた銀塩プリントにバッサリと鋏を入れる。複数の写真をモンタージュし、キャンバスにコラージュする。暗室ではさらにフォトグラムの手法で風景のプリントに別次元のイメージを焼き付けてみた。バライタ・プリントにパピエ・コレを試みる。1936年と1938年に売られていたフランスの科学雑誌「La Nature」、2年分を手に入れた。段ボール一箱分もあるその雑誌には当時のハイテクがびっしりと紹介されている。研究論文、記事、広告、これはと思うページを切り抜きコラージュしてみた。現在から88年遡るハイテク・トリップだ。記事の存在を確かめるように絵肌を加えていく。写真の上にレリーフ状のテクスチャが現れた。記憶の可塑化と言われた「古着」そのものを銀塩プリントの上に糊で貼ってしまった。
展覧会場で最初に見えるのは赤いラインでペイントされたパルクールのコースと「鳩カメラ」のような鳥瞰写真のコラージュ。そして次の作品では通行止めの写真が、しかしその通行禁止は空に向かっている。もちろん空は鳥のためにあるのであり、ドローンの為にあるのではない。上と下を意識して撮影した天地に長い(250cm)縦長の作品が2点。撮影場所は<Rue des Panoramas>と<Rue Lhomond>。パノラマという名前はパノラマ画家であった、あのダゲールを思い出すだろう。アジェも1907年と1913年にこの地点で全く同じ写真を撮っている。今回のプリントでは地面の部分に地下ネットワークを想起させるフォトグラムを施し、空には鳩の飛行の形跡をコラージュで示してみた。
パリでは地下鉄が地下から飛び出し中空(高架線)を走る場所が2ヶ所あるのだが、その1900年に作られた北の箇所(Boulevard de la Chapelle)を撮影してみた。複数の写真をモンタージュしていくことで視点がズレてしまい、安定したパースペクティブが崩れイメージの隙が現れた。地下でも空でもない存在感も強固な地上の鉄のネットワークが揺らぎはじめる。
さらに会場には小ぶりのサイズの銀塩プリントが30点ほど展示される。これらの写真はプリントした後に一度郵便物として自身の手から離れ、その後また自分のところに戻ってきた写真。切手が貼られ消印も刻印されている。会場の壁には奥のスペースに誘うよう赤いラインが引かれている。例のコースのラインのつもり。ラインを辿ると最後の壁には鳩の飛翔。1994年制作の”Birds"シリーズから未発表のイメージが展示される。パリの過去の地下郵便ネットワークから発したパルクール『Parcours』のコースをこの旧文京水道郵便局のスペースに少しだけでも移植できただろうか。パリの小さな時空間へショート・トリップできればうれしい。
見る能力の拡張と誘惑
文:村上由鶴(秋田公立美術大学ビジュアルアーツ専攻助教)
1858年にナダールが気球から世界初の空中撮影を行ったとき、パリの人々は、写真を通じてはじめて上空からの街の姿を見た。空撮の技術が当たり前となった現代では、パリの人々が当時感じた驚きや感動をうまく想像することはできない。この想像力の減退は、飛行技術の発展のかたわらにいつも人間の眼の拡張としてのカメラがあったからであり、人々が自分の身体を超えて「見る」ことに強く憧れを抱いてきたからでもある。
1907年にはドイツ人のユリウス・ノイブロンナーが空撮技術としての「鳩カメラ」を発明する。アルミ製の軽いハーネスにタイマー付きのカメラを取り付け、それを鳩に着せて飛ばすというものである。なお、現在でも動物の生体の研究等を目的として、鳥類や海洋生物、陸生動物にカメラを取り付けての動画撮影は行われている。
写真史を振り返れば、この表現の主なフィールドは文字通り地上であった。日本では、ストリートでのストレートなスナップが写真表現としての大衆性を持ち、ひとつの正統としての地位を確立してきたが、そのなかでもオノデラユキの実践は独自の位置を築いてきた。
本作『Parcours - 空気郵便と伝書鳩の間』は、そのフィールドがストリートであってもストレートではない。また、被写体との邂逅を求め自らの足を使って街を彷徨うことが目的化するのでもなく、そういう写真家然とした身体の表出が目指されたものでもない。オノデラは、上空に浮かび上がったかと思えば急降下して地下に潜るように見る人の視線と意識を誘導し、ジェットコースターのように振り回している。
ジェットコースターといえば、元郵便局だった会場に関連して、本作の重要な要素のひとつである空気郵便のシステムを、郵便の受け手や送り手としてではなく郵便物として経験した場合を想像してみたい。それは、振り回される乱暴さのなかで自分の身体の存在を再確認しながらも、どうにも興奮してしまうような経験であり、それは私がオノデラのこれまでの作品を鑑賞した時にも経験してきたことでもあった。
本展で発表された街の光景を撮った写真に施されたフォトグラムでは、実際には目に見えない地下の空間に鑑賞者の意識を誘導する。フォトグラムとは、銀塩写真のプリントの露光の際に、印画紙の上に光が当たらない部分をわざと作ることによってその影でイメージを作る手法である。地下に隠された不可視の空気郵便のコースをイメージの上に浮かび上がらせるのが、そこに「光を当てない」という方法であることは、その地下ネットワークのあり方に繋がっている。
加えて本作にはオノデラ自身の過去作のうちの未発表イメージ、そして、フランスの科学雑誌『La Nature』のコラージュなど、タイムスリップのような要素も加わる。オノデラは動物のようにその生態に即して空、地層、あるいは海といった限定的なフィールドを動き回るのとも異なり、あるいは、地を這い同時代の世相を追い求める他の写真家とも異なり、地に足をつけること‒‒特定の技法やスタイル、そして、同時代性を持つことも含めて‒‒を避けているようである。
オノデラ自身が、「初期の作品群は特に「浮遊感という共通項」があるとよく指摘されました。被写体が宙吊りになっているのは、ノマド的な生き方をしている自分自身の態度が反映されているからでしょう。不安定であることのほうが自分にとって好ましく、また自然なことでもある[1]」と語るように、本作にもその浮遊感が見られる。ただし、オノデラの浮遊感とは、「ふわふわ」といった言葉で表現されるようなものではなく、むしろ、ジェットコースターに乗っているときにすべての臓器が浮き上がったように感じる、あの、ゾクっとするような浮遊感ではないだろうか。
写真の歴史のはじまり以来、人間が自分の身体を超えて「見る」ことに抱いてきた憧れを、オノデラは、創作を通じて、全く独自の方法で叶えようとしているようである。本作は、見ることへの貪欲さを持って、人間の身体だけではなく、時間からも空間からも制約されない、見る能力の拡張の経験と言える。世界を完全に見通すことを実現するのではなく、イメージをあえて毀損しすることで鑑賞者を誘惑し、想像力で補せるのである。
[1] 薄井一議、大島成己、オノデラユキ、北野謙、鈴木理策、似鳥水禧、濱田祐史『Photography? End? 7つのヴィジョンと7つの写真的経験』Magic Hour Edition、2022年、p.143
オープニングレセプション:11月2日(土)18:00‒20:00 *作家が在廊いたします