開催時間 |
10時00分 - 18時00分
※金曜日および3月19日(水)、4月12日(土)は20時00分まで開館 ※いずれも入館は閉館の30分前まで |
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休み |
火曜日
4月8日は18時00分まで開館 |
入場料 |
有料 当日券:一般1,700円、大学・高校生1,000円、中学生以下無料 前売券:一般1,500円、大学・高校生800円 ※サントリー美術館受付、サントリー美術館公式オンラインチケット、ローソンチケット、セブンチケットにて取扱 ※前売券の販売は2024年11月27日(水)から2025年2月14日(金)まで ※サントリー美術館受付での販売は開館日のみ 割引: あとろ割:国立新美術館、森美術館の企画展チケット提示で100円割引 団体割引:20名様以上の団体は100円割引 ※割引適用は1種類まで(他の割引との併用不可) |
作品の販売有無 |
展示のみ
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この情報のお問合せ |
サントリー美術館 TEL:03-3479-8600
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情報提供者/投稿者 |
住所 |
〒107-8643 東京都
港区赤坂9-7-4 東京ミッドタウン ガレリア3階 |
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最寄り駅 | 六本木 |
電話番号 | 03-3479-8600 |
サントリー美術館(東京・六本木)は、2025年2月15日(土)から4月13日(日)まで「没後120年 エミール・ガレ:憧憬のパリ」を開催いたします。
エミール・ガレ(1846–1904)はフランス北東部ロレーヌ地方の古都ナンシーで、父が営む高級ガラス・陶磁器の製造卸販売業を引き継ぎ、ガラス、陶器、家具において独自の世界観を展開し、輝かしい成功を収めました。
ナンシーの名士として知られる一方、ガレ・ブランドの名を世に知らしめ、彼を国際的な成功へと導いたのは、芸術性に溢れ、豊かな顧客が集う首都パリでした。父の代からその製造は故郷ナンシーを中心に行われましたが、ガレ社の製品はパリのショールームに展示され、受託代理人等を通して富裕層に販売されたのです。1878年、1889年、1900年には国際的な大舞台となるパリ万国博覧会で新作を発表し、特に1889年の万博以降は社交界とも繋がりを深めました。しかし、その成功によってもたらされた社会的ジレンマや重圧は想像を絶するものだったと言い、1900年の万博のわずか4年後、ガレは白血病によってこの世を去ります。
ガレの没後120年を記念する本展覧会では、ガレの地位を築いたパリとの関係に焦点を当て、彼の創造性の展開を顧みます。フランスのパリ装飾美術館から万博出品作をはじめとした伝来の明らかな優品が多数出品されるほか、近年サントリー美術館に収蔵されたパリでガレの代理店を営んだデグペルス家伝来資料を初公開します。ガレとパリとの関係性を雄弁に物語る、ガラス、陶器、家具、そしてガレ自筆文書などの資料類、計110件を通じて、青年期から最晩年に至るまでのガレの豊かな芸術世界をお楽しみください。
展示構成
プロローグ 1867年はじめてのパリ万博、若かりしガレの面影
磁器装飾職人であったエミール・ガレの父シャルル(1818–1902)は、結婚を機に拠点をナンシーに置き、妻の実家が営んでいたクリスタル製品と磁器を扱う店を継承しました。シャルルはパリでの販売に注力し、1854年頃からパリに受託代理人を立て自社製品の普及に努め、1866年には「皇帝陛下御用商人」の肩書を得ます。1867年のパリ万博では、クリスタルガラス、高級ガラス、ステンドグラス部門で選外佳作賞を受賞しました。
一方、1864年から家業のなかでも陶器デザインを手伝うようになったエミール・ガレ(以下、ガレ)は、1867年のパリ万博で父を手伝い、半年間パリに滞在しました。ここでは、本展の導入として、若かりしガレの原点とも言える作品をご紹介します。
第 1 章 ガレの国際デビュー、1878年パリ万博から1884年第8回装飾美術中央連合展へ
1877年に家業を引き継いだガレにとって、1878年のパリ万博は経営面・制作面で初めて指揮をとった国際デビューの機会となりました。バカラやサン・ルイなどの大手メーカーも出品した同万博の第19クラス(クリスタルガラス、ガラス、ステンドグラス)でガレは銅賞を受賞し、世界の大舞台で順調なスタートを切ります。本万博でガレは、ジャポニスム・ブームを反映した日本的なモチーフをあしらった作品や、淡い水色の「月光色ガラス」を発表しています。
続いてガレは、1884年にパリで開催された第8回装飾美術中央連合展に参加します。ガレは同展の審査員宛てに出品作品の解説書を準備しました。本展に向け、いかにガラスと陶器の製法や装飾法について研鑽を積み、刷新したかを記したこの解説書には、未来への意欲と活気に満ちたガレの姿が表れています。本章では、パリに迎えられた初期のガレの様子をご紹介します。
第 2 章 1889年パリ万博、輝かしき名声
快調な滑り出しを果たしたガレが、真の意味で輝かしい成功を収めたのは1889年のパリ万博でした。ガラスに対する科学的な研究を重ね、新たな素材と技法を開発し、およそガラス作品300点、陶器200点、家具17点という膨大な出品作品と2つのパヴィリオンを準備したガレは、ガラス部門でグランプリ、陶器部門で金賞、1886年に着手したばかりの家具部門でも銀賞を獲得し、大成功を収めました。なかでも本万博で発表した黒色ガラスを活用した作品群では、悲しみや生と死、闇、仄暗さなどを表現し、独自の世界の展開に成功しています。ガレの作品に物語性や精神性が色濃く表れるのも、1889年パリ万博での特徴と言えましょう。
この実績によって、翌年、ガレは国立(国民)美術協会の会員に認められ、パリで開催される国立美術協会の年次展に出品するチャンスを手にしました。本章では、1889年パリ万博でのガレの画期的な成果を中心にご覧いただきます。
3 章 1900年、世紀のパリ万博
1900年のパリ万博は、フランス史上、最も華やかな国際舞台となりました。しかし実際には、地方都市には何の利益ももたらさないといった反対の声もあり、このとき中心となって声を上げた都市のひとつがガレの故郷ナンシーでした。この頃のガレは、もはやナンシーの一市民であるだけでなく、フランスを代表する装飾芸術家としてパリでの地位を固めつつありました。1894年に起きた冤罪事件「ドレフュス事件」におけるドレフュス擁護派としてのガレの急進的な振る舞いも、ナショナリズムが沸き起こるナンシーでは反感を買った一方、パリでは好意的に受け入れられ、故郷ナンシーと国際都市パリの間で、ガレは精神的重圧に苦しみました。
こうした状況で挑んだ1900年のパリ万博でガレは、特にガラス作品において、造形的にも観念的にも、観る者の心を震わす独自の世界観を展開しました。本章では、ガラスと家具の部門でグランプリに輝いた1900年パリ万博の頃の作品を中心に、ガレの傑作の数々をご紹介します。
エピローグ 栄光の彼方に
1900年までの成功の裏側で、その準備に疲弊し、社会問題のなかで戦い、故郷ナンシーでは名声ゆえの反発を買うこともあったというガレ。新しい世紀を迎えた1901年あたりから、彼は療養を繰り返すようになりました。そして1904年9月23日、白血病によってその人生に幕を下ろします(享年58)。ここでは、ガレの最晩年にあたる1901年からの4年間、おそらく死を覚悟していた彼の心情と、独自の芸術のために奔走し、その人生を捧げた、ガレの集大成とも言える作品をご覧いただきます。
講演会「エミール・ガレ:人と芸術」
講師:土田ルリ子氏(富山市ガラス美術館 館長)
日時:3月2日(日)14時~15時30分
会場:6階ホール
料金:700円(別途要入館料)
定員:95名
※サントリー美術館ウェブサイトよりお申込みください。応募者多数の場合は抽選
主催:サントリー美術館
協賛:三井不動産、鹿島建設、サントリーホールディングス
後援:在日フランス大使館/アンスティチュ・フランセ