開催時間 |
11時00分 - 18時00分
※金曜日は19時00分まで開館 ※入館は閉館の30分前まで |
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休み |
月曜日
2月25日(火)、(※2月24日(月・休)は開館) |
入場料 |
有料 一般1,200円(1,000円)、学生600円(500円)、18歳以下無料 ※学生および18歳以下のかたは証明書の呈示が必要です ※20名様以上の団体は( )内の割引料金 ※障がい者手帳等ご呈示の方はご本人および同伴者1名まで無料 |
作品の販売有無 |
展示のみ
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この情報のお問合せ |
050-5541-8600(ハローダイヤル)
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情報提供者/投稿者 |
住所 |
〒106-0032 東京都
港区六本木1-5-1 |
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最寄り駅 | 六本木一丁目 |
電話番号 | 050-5541-8600(ハローダイヤル) |
日本における花器の歴史は、中国より寺院における荘厳の道具として伝来したのがはじまりとされます。室町時代には連歌や茶会、 生花など室内芸能がさかんになり、中国から輸入された唐物と称される書画、調度類や茶道具、文房具を座敷に並び立てる「座敷飾り」が発展します。床の間の飾りには、唐物の花生・香炉・香合・天目などが飾られました。
茶の湯の世界でも、清浄なる空間を演出するものとして、花器は重用されました。唐物の金属製の花器をもとに、日本でも中世以降、陶磁器や竹など様々な素材で花器が作られ、日本独自の美意識が誕生します。住友コレクションには、室町時代の茶人、松本珠報が所持したとされる《砂張舟形釣花入 銘松本船》、江戸時代の茶人、小堀遠州ゆかりの《古銅象耳花入 銘キネナリ》などの花器が伝世します。本展では、住友コレクションから花器と、花器が描かれた絵画を紹介します。
同時開催として、 華道家・大郷理明氏よりご寄贈頂いた花器コレクションも紹介します。あわせてお楽しみください。
(出品点数 約90点、会期中の展示替えあり)
[みどころ]
1. 椿椿山から梅原龍三郎まで、華やかでおめでたい絵画を紹介
2. 住友コレクションの茶の湯の名品花入が集結します
3. 新規収蔵品の「大郷理明コレクション」を一挙公開!!
[展示構成]
第一章:「描かれた花器」
花を花器にいけるという行為は、花をなにか明確な意図を持って自然のままの状態から切り離し、まったく別の環境に置きなおすことを意味します。日本では古く、中国から伝わった仏教の影響で、仏像や仏堂を荘厳するための三具足のひとつとして、花器が用いられました。平安時代に描かれた仏画などにも、しばしば花のいけられた花器が描き込まれています。江戸時代になって描かれるようになった花車図も、もともとは神聖なものとして捉えられていましたが、次第に豊かさや繁栄の象徴となり、吉祥のモチーフとして広まっていきました。《唐児遊図屛風》では、子孫繁栄を意味する唐子たちが、牡丹や山吹、菖蒲などのいけられた花籠を載せた車を曳くようすが描かれています。
一方、中国では宋時代に古銅器の見直しが行われ、それらを模した陶磁器がつくられるとともに、そこへ花をいけることもはじまりました。さらには自己の表現として花がいけられるようになり、取り合わせる器にも注意が払われ、陶磁器のほかにも金属器やガラス器、また竹や籐で編まれた器なども広く用いられるようになりました。のちに日本の椿椿山(1801-1854)が、「北宋人の意に倣う」として描いた《玉堂富貴図》には、非常に凝ったつくりの釣竹籠が描かれています。
また、中国でつくられた花器の一部は唐物として日本にも渡り、室町時代以降、座敷飾りに欠かせない道具のひとつとして珍重されました。原在中(1750-1837)と在明(1778?-1844)の合作になる《春花図》にも、花器に対する強い関心が窺え、古銅器製と思しき水盤と、玉飾りのふんだんに施された手籠に、春の花々がこぼれんばかりにいけられています。
こうした花器に対する関心は近代に入ってもなお続いており、村田香谷(1831-1912)の《花卉・文房花果図巻》には、陶磁器や古銅器、ガラス器、籠など、花器としても用いられた器が多く描き込まれています。
第二章:「茶の湯の花器」
住友コレクションの花器は、江戸時代より歴代の住友家当主によって収集されました。住友家三代当主・友信(1647-1706)は、和歌・茶の湯・香道をよくし、風雅を好んだ人物でした。江戸時代の収集についてはまだ不明な点も多いですが、幕末期以降の十二代友親(1843-90)と十五代友純(号・春翠)は茶の湯との繋がりが特に深い人物でした。友親は、幕末から明治時代にかけて、愛媛県・別子の銅山接収による経営危機に直面するなど、後の初代・総理事の広瀬宰平と共に難局を乗り越えます。そのかたわら文芸を好み、茶の湯を愛し多くの茶人と繋がりをもった人物です。
十五代春翠は、元治元年(1864)、公家の徳大寺公純の第五子として京都に生まれました。明治25年(1892)徳大寺家より住友家に養嗣子として入り、家長として住友家の中心にあり、同家の事業を近代化させ、現在の住友グループへと導いた人物です。文化活動にも熱心で、青銅器の収集家として名を馳せました。さらに茶事や書画、能楽などにも親しむ数寄者として、関連の美術品を幅広く収集し、様々な文化人を自らの邸宅に招き、交友関係を広げた人物でした。大正時代に住友春翠によって催された茶会は、合計20回におよび、その際に披露された道具類は現在の住友コレクションの柱となっています。
春翠が茶の湯に親しむ中で、特に好んだのが江戸時代前期、寛永期(1624-1644)の茶人・小堀遠州ゆかりの茶道具でした。小堀遠州が活躍した江戸時代初期の寛永年間は、宮廷には才気溢れる後水尾天皇のもと、皇族から公家、武家、僧侶、町人まで、階層を超えて芸術家が集ったとされます。王朝復興の高まりと共に、宮廷を中心に雅な文化が花開き、小堀遠州や千宗旦らにより、侘び茶にも新風が吹き込まれました。唐物のみならず和物にも美を見いだした遠州の功績により、様々な道具類が後世へ伝世しています。春翠によって収集された花器は、唐物、和物問わず、清淡で典雅な趣が感じられます。
第三章:受贈記念「大郷理明コレクションの花器」
当館では近年、華道家大郷理明氏より94点の花器を「大郷理明コレクション」としてご寄贈いただきました。大郷氏は古流のいけばな団体「心の花」を主宰され、ご自身の創作活動で使用するために蒐集した花器は600点以上に及びます。
当館が受贈した花器の中核をなすのは銅花器69点ですが、これらは大郷氏蒐集品のなかでも、近世から受け継がれてきた近代の伝統的鋳金工芸を語るうえでとくに重要な作品で構成されています。東京、埼玉、京都、金沢、高岡など各地で製作された作品が揃いますが、とくに関東で活躍した鋳金家による作品が目立ちます。大島如雲や岡崎雪聲により創設された東京美術学校鋳金科(現東京藝術大学工芸科鋳金研究室)出身者のほか、在地の工房で鋳造業を営んだ鋳金家など多様な顔ぶれが揃っています。そのなかには残念ながら現在その業績が忘れ去られた鋳金家も多いのですが、当時の蠟型鋳造技術と表面着色技術を駆使した極めて出来の良い作品が多くみられます。とくに蠟型による緻密な紋様と美しく仕上げられた表面の色合いなどに独特の風合いを感じさせます。これらは伝統的総合芸術のなかで使用される道具として製作された「鋳物」とされ、これまで美術館ではほとんど顧みられることがありませんでしたが、この度、大郷理明氏からの受贈を契機に改めて近代の鋳金工芸を見直す機会とすべく、皆様にご披露する次第です。
貴重な下絵などの資料と共に、日本が誇る鋳造技術の粋をお楽しみください。
第四章:「さまざまな花器」
江戸時代の発展を経て日本独自の美を確立していった近代の花器を展示いたします。
明治時代は、欧米に日本の技術の精緻さや質の高さをアピールするために、万国博覧会に向けて、多くの美術工芸品が制作されました。明治時代に貿易が自由化されると、日本のやきものは世界各国で開催された博覧会を中心に絶大な人気を誇りました。国内でも、近代日本初の迎賓施設である延遼館えんりょうかん、鹿鳴館や明治宮殿など、国内外のお客様をもてなす場に花器は調度品として飾られ、饗宴に華を添えました。その精密さと細やかさから日本人の技術力と美意識の高さがうかがえます。延遼館を飾ったのは京焼の名工・幹山伝七の花器や洋食器でした。欧米から花瓶という新たな形が伝わり、日本の花器もより様々な形のものが誕生します。また、生花や盆栽などで用いられる薄端や水盤などの花器の器形は、江戸時代からの伝統を継承しつつも、意匠に欧米からの影響がみられるようになり、和洋折衷の華やかなデザインへと昇華していきます。
花器が描かれた洋画と共にご紹介します。
(予定)
記念講演会「近代の銅花器にみる鋳造技術」
2月 1日(土)14:00~15:00(要事前申込)
〔講師〕三船温尚 氏(富山大学 芸術文化学部客員教授)
講演会①「金属器をやきものへ」
2月15日(土) 14:00~15:00(要事前申込)
〔講師〕戸田浩二氏(陶芸家)
ワークショップ、〈アートWith〉レクチャー現在調整中 (要事前申込)
学芸員によるスライドトーク
「住友コレクションの花器」
2月6日(木)・27日(木)各 12:00~12:45(予約不要・当日整理券配付)
〔講師〕森下愛子(泉屋博古館東京主任学芸員)
「描かれた花器」
3月6日(木)各 12:00~12:45(予約不要・当日整理券配付)
〔講師〕田所泰(泉屋博古館東京学芸員)
主催:公益財団法人泉屋博古館
同時開催 受贈記念「大郷理明コレクションの花器」