テート美術館所蔵 コンスタブル展

ジョン・コンスタブル《フラットフォードの製粉所(航行可能な川の情景)》1816 -17年、油彩/カンヴァス、101.6×127.0cm、テート美術館蔵 ©Tate

ジョン・コンスタブル《フラットフォードの製粉所(航行可能な川の情景)》1816 -17年、油彩/カンヴァス、101.6×127.0cm、テート美術館蔵 ©Tate

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    会 期
    20210220日 -  20210530
    開催時間
    10時00分 - 18時00分
    祝日を除く金曜と会期最終週平日、第2水曜日は21:00まで
    ※入館は閉館の30分前まで
    休み
    月曜日
    但し、祝日・振替休日の場合、会期最終週と、トークフリーデーの2/22、3/29、4/26は開館
    入場料
    有料
    一般:1,900円、高校・大学生:1,000円、小・中学生:無料
    マジックアワーチケット(毎月第2水曜日17時以降に限り適用):1200円
    ※障がい者手帳をお持ちの方は半額、付き添いの方1名まで無料
    作品の販売有無
    展示のみ
    この情報のお問合せ
    050-5541-8600(ハローダイヤル)
    情報提供者/投稿者
    開催場所
    三菱一号館美術館
    住所
    〒100-0005 東京都
    千代田区丸の内2-6-2
    最寄り駅
    東京
    電話番号
    050-5541-8600(ハローダイヤル)

    詳細

    展覧会内容

    風景画家コンスタブルの大回顧展

     19世紀イギリスの画家ジョン・コンスタブル(1776-1837年)は、一歳年長のJ.M.W.ターナーとともに自国の風景画を刷新しその評価を引き上げたことで知られます。ターナーが絶えず各地を旅して、国内外の景観を膨大な数の素描に収めたのとは対照的に、コンスタブルは、ひたすら自身の生活や家庭環境と密接に結びつく場所を描きました。
    故郷サフォーク週の田園風景をはじめとして、家族や友人と過ごしたソールズベリー、ハムステッド、ブライトンなどの光景を写した生気あふれる作品の数々は、この画家何を慈しみ、大切に育んだのかを雄弁に物諸ってやみません。
     日本では35年ぶりとなる本回顧展では、世界有数の良質なコンスタブルの作品群を収蔵するテート美術館から、ロイヤル・アカデミ一展で発表された大型の風景画や評価の進む肖像画などの油彩画、水彩画、素描およそ40点にくわえて、同時代の画家の作品約20点をご紹介します。国内で所蔵される秀作を含む全85点を通じて、ひたむきな探求の末にコンスタブルが豊かに実らせた瑞々しい風景画の世界を展覧します。

    1章 イースト・バーゴルトのコンスタブル家
     コンスタブルは1776年、イングランド東部に位置するサフォ一ク州イースト・バーゴルトに生まれました。父が製粉業を営む故郷のフラットフオード周辺は、子どもの頃の楽しい記憶と結びつく土地であり、このような風景の思い出こそが画家を志す最初のきっかけになった、とコンスタプルは後に話っています。ロンドンのロイヤル・アカデミー美術学校入学後も、自分が強く愛着を感じる土地を描くことにこだわり、証は毎年、故郷で地元の風景を猫きました。当時は「歴史(物語)」画と肖像画が優位に置かれ、風景画では自活できなかったため、敢えてジェントリ層の肖像画を手がけることもありましたが、機会があればいつでも風景画の制作に立ち戻りました。
     この章では、若きコンスタブルに重大な影響を与えた画家、すなわち18世紀の肖像画家にして風景画家のトマス・ゲインズバラ(1727-1788年)、著名な美術通でアマチュア画家でもあったジョージ・ボーモント(1753-1827年)、ロイヤル・アカデミーの重鎮であった歴史画家ベンジヤミン・ウェスト(1738-1820年)、ともに風景画を大きく前進させた好敵手ターナー(1775-1851年)らの作品も紹介します。

    2章 自然にもとづく絵画制作
     1802年からコンスタブルは、太陽の下で自然を描き始めました。戸外での油彩画制作は、17世紀にイタリアで修行したフランスの画家が訓練の一環として始め、各国こ広った技法です。これに対してコンスタブルは、「あらゆる想像力がそこから湧き出る源泉」として自然を捉え、その根源的な本質を探るには戸外で描く必要がある、と考えていました。油彩のスケッチに描き留めたのも、やはり、父の所有するフラットフォ一ドの製粉所の近くや少し離れたデダム周辺の情景でした。こうしたスケッチは、後にアトリエで制作する際の着想源としても活躍されます。1814年から1817年にかけては、さらに急進的な試みとして、展覧会出品用の絵画などの大型作品を、ほぼ完全に戸外で細部まで描こうとしました。制作活動の充実の背後には、近くの製粉所に画材を置くことを許し、専用のアトリエを村に用意した、父の支援がありました。
     19世紀初頭に、自然を前にして油彩画制作を行ったイギリス人画家は、コンスタブルだけではありません。本章では、ターナーをはじめとする同時代の風景画家が戸外で描いた油彩画の数々をあわせて展覧します。

    3章 ロイヤル・アカデミーでの成功
     1816年に結婚したコンスタブルは、ロンドンでの家庭生活を維持するために、肖像画制作に励みます。とはいえ、風景画を最も重視する姿勢は変わらず、ロイヤル・アカデミー展できらなる注目を集めようとして、より大判の、幅が約6フィート(約185cm)あるカンヴァスにサフォークの風景を描き始めました。この意欲あふれる試みによって、1819年、画家はロイヤル・アカデミーの准会員に選出きれます。評価を得て、例年の回覧会に向けて大型の風景画を制作する一方、家庭に馴染むような小型の絵画も好んで描きました。
     夏の間、家族が清浄な空気に触れられるように、コンスタブルはロンドン中心部から数キロ北に位置する高台のハムステッドにも住まいを借りました。この地の小道や木々、人目につかない一角を描写しながらも、とりわけ強く惹きつけられたのは、視界いっぱいに広がる荒野とダイナミックに変化する空でした。1820年代初頭にコンスタブルは、このハムステッドで、きわめて表現力豊かな雲の油彩習作を無数に手がけています。同じように空や雲に魅了され、その表現を追求した18世紀以降のイギリスの画家の作品も、ここで紹介します。

    4章 ブライトンとソールズベリー
     結咳を患う妻の療養のため、コンスタブルは1824年以降、イングランド南岸サセックスの海辺の町ブライトンに何度も足をのばしました。ブライトンは、摂政皇太子時代のジョージ四世が建てた異国風の私邸で知られるリゾート地で、最初この街が気に入らなかった画家は、ひと気のない長く伸びた浜や、住人が少ない丘陵地帯のひなびた一角を作品の題材に選びました。しかし、1827年のロイヤル・アカデミー展で発表した大型作品には、荒天の下の波打ち際で、流行りの服を身にまとった観光客と昔ながらの漁師が混在する、ブライトンの賑やかな海辺を描き出しています。
     ブライトンが家庭の事情で訪れる場所だったのに対して、画家にとってソールズベリーは、同地の大聖堂に関わる聖職者であるジョン・フィッシャー主教およびその甥のジョン・フィッシャー大執事と親交を育んだ土地でした。大聖堂に隣接する主教の公邸や大執事の自宅に滞在したコンスタブルは、あたりの川沿いに広がる眺望を描いています。また、1828年に妻が世を去ると、その翌年、この地で大規模な大聖堂の眺めを描くことに没頭し、喪失の悲しみを癒そうとしました。

    5章 後期のピクチャレスクな風景画と没後の名声
     妻の死からわずか数ヶ月後の1829年2月、画家のもとに、ロイヤル・アカデミーの正会員に選出されたという吉報が届きます。公的な評価を確立し、批評家らの反応にに縛られずに主題と技法を選ぶ自由を得たコンスタブルは、これ以降、過去に描いたサフォークやハムステッドの風景に再び取り組みはじめます。後期には画家のモ
    ティーフを思いのままに配置しなおすなど、想像力を駆使した「ピクチャレスク」な絵画の制作を手がけました。
     死後の評価に思いをはせた晩年のコンスタブルは、主要作品の版画からなる「イングランドの風景」の出版計画に注力します。自身で選んだ代表作の版画化に際しては、濃淡が豊かに表現できるメゾチントを採用し、その解説文のなかで「自然のキアロスクーロ」と呼ぶ効果の重要性を強調しました。画家によれば、この効果は.
    風景画に生命を吹きこみ、より大きな表現力をもたらす光と影の力のことを意味します。1830年代には風景画の歴史と意義についての講義を行い、ロイヤル・アカデミー美術学校で後進の指導にあたるだけでなく、夏季展覧会の選考委員会に2度加わるなど、画壇の重鎮としての役割を果たしました。

    主催・協賛・後援

    主催:三菱一号館美術館、テート美術館、朝日新聞社
    後援:ブリティッシュ・カウンシル
    協賛:DNP大日本印刷

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