賀來寿史

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プロフィール
1968年 大阪府東大阪市で生まれる。大阪府泉南郡熊取町にて、青、少年期をごくごく平凡に過ごす。
実は…、

1989年 若気の至り(今もまだ若いですが…?)で思い余って上京。

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実は、
大学受験の際に上京し、東京のエネルギー(田舎モンの私には山手線の駅ごとにビルや繁華街のある風景がただ事ではなかったのです…)に圧倒されてしまい、いつか世界の東京でひと旗揚げようと野望を抱くが、大学受験に失敗(もともと学校の勉強に意味を見い出していなかったが、世間の手前、形だけ受験したようなものだからどう転んだって受かるはずがない。)はじめての上京は不発に終わってしまう。
高校卒業後、東京とばして海外をめざそうと安易に考えたが、ちょっとした縁があり、いなかの美容室で丁稚をすることになり、カリスマ美容師(当時はそんな言葉なかった。えっ、今はもう無いの?)を目指し日々精進していました。
しかし、2年半程たったある日、東京への憧れ(美容師業界もやっぱり東京が一番だったのよ…。)とモノづくりへの思いと美容室の店長との不仲が昇華し、21才のあの日、東京をめざし夜逃げをしてしまった親不孝モノなのです。

1990年 「アーバンデザインカレッジ トーイデザイン科」在学中、童具デザイナー和久洋三氏に出会い、その姿勢に多大な影響を受ける。
実は、
上京するも、気持ちばっかり大きくなってたいした目的も見つからない私は、いわゆるフリーターをして(自己弁護ですが、バイト転々としていたわけでなく、某舞浜TDLで準社員として、毎日きちんと働いていました。)悶々とした日々を悪友たち(類は友を呼ぶとは良く言ったもので、このバイト先には同じような境遇の人間が不思議と多かった。)との夜遊びすることでごまかしていました。
そんな毎日を送る中、ある夏の日、雑誌の広告で偶然に発見した、アーバンデザインカレッジ・トーイデザイン科という文字が私の人生を大きく揺さぶることに…

それまで、この先どうやっていくのかすら検討もつかず毎日を過ごしてたのだが、モノづくりを生業としていく為の筋道が薄らと見えたような気がして、次の春、学校の門をくぐることにした。

続く。のか?
(そこから先をお知りになりたい好奇心旺盛のあなた!!是非メールください。)
1992年 玩具メーカー「タカラ」入社、企画開発業務に就くも、自らの手を動かしてモノをつくれない事にフラストレーションがたまる。

1995年~ 「山形県金山町森林組合」
「童具館」にて和久洋三氏のスタッフ
「神奈川県立平塚職業技術校 木材工芸コース」

1999年 大阪府岸和田市に「木の工房KAKU」をopen。

(HPより転載)
http://www.kinokoubou.com/
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web
http://www.kinokoubou.com/
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