ハラドキュメンツ10 佐藤雅晴―東京尾行
開催概要
開催内容
原美術館がキュレーターの育成や若手作家の支援を目的に開催する不定期のプロジェクト、「ハラドキュメンツ」の第10弾として「佐藤雅晴―東京尾行」展を開催します。
佐藤雅晴(さとうまさはる、1973年、大分県生まれ)は、パソコンソフトのペンツールを用いて実写をトレースしたアニメーション作品に取り組んでいます。佐藤にとってトレースとは、対象を「自分の中に取り込む」ことだといいます。それは、自身の暮らす土地や目の前の光景への理解を深め、関係を結ぶ行為とも言えるでしょう。一方、佐藤の作品を見る私たちは、実写とのわずかな差異から生じる違和感や、現実と非現実を行き来するような知覚のゆらぎをおぼえます。人それぞれに多様な感情や感覚を呼び起こす佐藤の作品は、見ることや認識することの奥深さと豊かさを教えてくれます。
今回は、佐藤が作家として日本で注目されるきっかけとなったアニメーション作品、『Calling』(ドイツ編、2009‐2010年)を始め、「トレースとは尾行である」という新たな発想の下、2020年のオリンピック・パラリンピックに向けて変わり行く東京の今を描いた最新のアニメーション作品『東京尾行』(2015-2016年)、さらに平面作品数点を加え、作家の表現の変遷を展観します。
―― 他者のあとをつけること、自分と他者を置き換えること、互いの人生、情熱、意志を交換すること、他者の場所と立場に身を置くこと、それは人間が人間にとってついに一個の目的となりうる、おそらく唯一の道ではないか―― ジャンボードリヤール
佐藤雅晴は、東京芸術大学油画学科に学んだ作家です。しかし、同大大学院修士課程時代を含め、在学中は絵画制作に意味を見出せず、一切描くことがなかったといいます。当時、コンセプチュアルアートやインスタレーションに傾倒していた彼は、やがて日本での制作に行き詰まり渡独。以後10年にも及ぶドイツでの生活の中で辿りついたのが独自の手法によるアニメーションの制作です。
佐藤のアニメーションは、実写映像を忠実にトレースする(写し取る・なぞる)ことによって作られます。身近な人々や身の周りの風景をビデオカメラで撮影し、パソコンソフトのペンツールを用いて、「何かを強調することも、筆跡等を残すこともしないで、なるべく撮ったものに近づけるように」一筆一筆“描いて”いきます。油彩画を一枚完成させる以上の膨大な時間と労力を費やし、カメラの目が捉えた日常をただただトレースし、何百ものコマを作って仕上げたアニメーション――この無意味とも思える作業の果てに微かに現れる実写との差異が佐藤作品を特別なものにしています。
彼の作品の前では誰もが一瞬戸惑いの表情を見せますが、それは普通の風景かと思われた映像に違和感を覚え、落ち着きどころを求めて目も心も揺れ動くためです。その違和感から佐藤の作品に、孤独や不安を見る人、ディストピアや私たちが生きるこの世のパラレルワールドが現前していると捉える人もいれば、ノスタルジーを感じたり、ユーモアを見出したりする人もいるなど、作品の解釈は実に様々です。解釈の多様さは、日常そのものがもつ複雑さや多義性の表れとも言えるかもしれません。本展では佐藤のそのような作品群から、まずはトレースを極め、彼が日本で注目されるに至った『Calling』(ドイツ編、2009-2010年)をご覧いただきます。
佐藤は、実写をトレースする行為について、対象を自分の中に取り込む儀式のようなもの、と説明していますが、それは画家が名画を微細なタッチまで模写することでその制作を追体験し、作品の本質に辿り着こうとする行為と似ているかもしれません。『Calling』のドイツ編(2009-2010年)では、10年もの歳月をデュッセルドルフで過ごしながらも居場所を見出せないでいた彼が、12の身近な光景を時間の移ろいも交えて精緻にトレースすることで、その土地を理解し、関係を密に結ぼうとしていた様子が窺えます。唐突に鳴り出す電話の着信音には、異国でのコミュニケーションの不成立、繋がらないことで高まる佐藤の孤独や不安が表れているとともに、閉塞感や状況を打開する微かな希望も感じられます。
一方、『Calling』の日本編(2014年)は、ニューヨークで開催された「Duality of Existence –Post Fukushima」展(2014年、Friedman Benda Gallery)の出品作。ドイツから日本に帰国した直後に遭った東日本大震災、そして間もなく自身と家族を続けざまに襲った病魔との闘いなどを経て生まれた作品です。ドイツ編と同じく作家の暮らす街の日常をトレースしたものでありながら、また同様に電話の着信音が鳴り続ける状況でありながら、ここでは作家の視線は自身の内のみならず外の世界へも広がり、人の消えた街、見捨てられた街の不安や孤独が表れています。
最新作『東京尾行』
―― 両者にとってそれは自らの固有の存在の解消であり、主体としての場所を保持するという耐え難い務めの解消なのだ―― ジャンボードリヤール
佐藤の友人でグラフィックデザイナーの杉原洲志は、彼のトレースを「尾行のようだ」と表現しています。佐藤はこの言葉で、これまで自分がトレースに拠ってきた理由に気付いたといいます。尾行とは、相手に気付かれることなく後をつけること、ですが、相手の時間・空間・意思を一時共有することであると同時に自身の時間・空間・意思を相手に委ねる行為でもあります。つまり佐藤にとってトレースとは、対象を自身の中に取り込む行為であるとともに、自身の主体性から解放される行為でもありました。これにより、長年距離を置いていた“描くこと”に抵抗なく回帰することができ、作品制作に戻ってくることができたのです。
そしてこの度、本展出品作として、トレース=尾行という新たな認識の下、最新作『東京尾行』の制作を始めました。本作は彼が2015年、東京中を歩き回り撮影した映像を基にしたアニメーションです。佐藤は、国会議事堂、工事現場の油圧ショベル、歩道橋を渡る人、アイスクリーム、路地裏の猫など、東京の象徴的な場所や何気ない光景や気配を尾行し、対象に導かれるままに東京を体感しています。
これまでと異なるのは、本作でトレースされているのが実写映像の一部分であること。部分的にアニメーションとなることで、全体がそうであった時には意識されなかったこと――アニメーションの層の下に実写の層が存在し、映像が虚実一体であること――が明らかにされています。しかも、虚であるはずのアニメーション部分には、実とは別の魂(アニマ)が宿り、実よりもリアルであるかのように見え、我々が目にするものの虚実の曖昧さを問いかけながら、虚の可能性も示します。
東京は今、至る所で耐震補強工事が続けられ、また、5年後の東京オリンピック・パラリンピックに向けて街が大きく動きつつあります。半世紀前の東京オリンピック時がそうであったように、もしかすると今回も景観だけでなく、日本の社会システムや日本人の価値観・習慣・人格までもが大きく変化するのかもしれません。そのような東京の今をトレース=尾行した佐藤の作品は、見る人それぞれに、未来への希望や期待、恐れや不安など複雑な感情・感覚を呼び起こしつつ、多くの未知のものが形となる予感を感じさせてくれることでしょう。
なお、本展では、佐藤の平面作品も出品される予定です。「複写された対象をトレースして、再び描くという行為を用いて複写する」――写真と絵画の中間的な構造で表現することで、複製の時代における作品のあり方、アウラの在り処を探ります。
【ハラドキュメンツとは】
ハラドキュメンツとは、原美術館がキュレーターの育成や若手作家の支援を目的に開催する不定期のプロジェクト。原美術館賛助会員のサポートの下、1992年の福田美蘭に始まり2012年の安藤正子まで、これまでに9回開催している。美術の範疇に留まらず、着せ替え人形作家の真鍋奈見江など、次代を担う若手の創作を紹介している。