樹々の間 - Among the Trees-
開催概要
開催内容
山口牧子の絵画
大島 徹也(広島大学大学院 准教授)
1999年にギャラリーαMで開催された沓澤貴子との二人展以来、私は山口牧子の仕事に関心を持ち、折に触れ彼女の作品を見てきた。しかしながら、ステイニング(絵具を支持体に染み込ませて描く手法)を特徴とした彼女の抽象絵画には、どこか物足りなさを感じもしてきた。それは確かに美しい。とりわけ、綿布にブルー、ピンク、オレンジ、ホワイトなどの色彩の広がりを絶妙に重ね合わせた《Birdsong ―Riverside 7―》(2013年、FACE展 2014 損保ジャパン美術賞展出品)などは、彼女と同世代やその前後の世代の抽象画家たちの仕事と比べても、堂々たる傑作と言えよう。しかし、どういうわけか、それでも私は彼女の仕事に充分な満足感を覚えることがなかった。何かまだ突き抜けていない――山口牧子は良い画家ではあるが、そこまでということだろうか――いや、彼女の芸術にはその先があるかもしれず、そして、それはなければならない。このような私の勝手な思いに対して、山口は近年、一つの答えを出してくれたように思う。
2015年、山口は新たなステイニングの試みに着手した。麻紙を支持体とし、その裏面に寒冷紗を張って、胡粉などで裏面の下地を整える。そして、薄めた絵具をその裏面に塗り、麻紙の表面(=画面)に薄っすらと滲み出させる。その後山口は表面からの制作に移り、裏面から立ち現れてきたそのイメージを背景として、その上に描いてゆく。ある絵具は麻紙の中へと染み込んで広がってゆき、またある絵具は、顔料のテクスチュアをはっきりと残しつつ表面上に留まる。こうして、さまざまな色彩が視覚的にはもとより物理的にも複雑に重なり合った独特の絵画空間が作り出される。
山口はそれと同時に、もう一つの新しい試みを行っている。それは、裏面から絵具を塗り始める前に、支持体にまず皴を入れるというものである。そこでは皴の入り方自体が一つの表現となるが、皴の効果はそれだけではない。上述のような構造をなす山口の色彩空間は、支持体そのものが皴入れによる盛り上がりや溝、よじれや巻き込みを持っていることで、その複雑さをいっそう有意味に増すのである。
山口は、しばしば麻スサを絵具に混ぜて画面に載せてもいる。これによって画面には、皴が生み出すのとはまた異なるテクスチュアや物質感が加えられるが、麻スサは支持体と素材的に近いため、さほど違和感を生じさせない。その繊維質の不定形な物質は、支持体との関係において異質性と親和性の間で機能しており、それが、山口の絵の表情と構造にさらなる深みを与えている。
以上のような興味深い新手法は、まだまだ発展の可能性を秘めているように感じられる。そうして私たちはいま、その過程を静かに見守り、山口牧子という画家の大きな達成を楽しみに待つという幸福を手にしている。
鳥の飛翔を抽象表現する中から生まれた色彩絵画、30号5点、小作品10点、展示予定。