日野田崇「着地した光の音楽」

開催概要

会期
2026年10月13日 〜 2026年10月24日
会場
imura art gallery (京都府京都市左京区丸太町通川端東入東丸太町31)
参加クリエイター
日野田崇
ジャンル
アート
タグ
彫刻、トークイベント

開催内容

imura art galleryでは、2026年10月3日(土)より、日野田崇による個展「着地した光の音楽」を開催いたします。

本展では、日野田が近年取り組んできた「手色形楽(しゅしきけいがく)」の現在形として、新作7点を発表します。
日野田は、「手色形楽」という独自の言葉・概念を掲げ、色やかたちそのものが本来持つ価値や面白さを捉え直す試みを続けています。大衆文化をはじめ、陶芸、即興音楽における和声やリズムの形式など、異なる領域から要素を取り込み、それらを融合させながら、新たな造形表現へと展開していきます。

近年の日野田の制作では、色やかたちを決定するための独自のルールが、より明確に取り入れられるようになっています。以前は感覚的に行っていた色彩や造形の選択も、現在では徐々にシステマティックな方法へと変化しています。色やかたちを偶然や感覚だけに委ねるのではなく、一定の関係性やルールを設定することで、造形そのものの可能性を探っています。
こうした制作姿勢の背景には、音楽に親しんできた日野田の経験があります。とりわけ、ロシアの作曲家アレクサンドル・スクリャービンが試みた「色と音」を結びつける考え方からもインスピレーションを得ています。
音楽における和声やリズムのように、色やかたちにも一定の関係性や構造を見いだし、それを造形へと展開します。
日野田は、音と色のあいだに独自の対応関係を設定しながら、色彩や造形を決定する方法を模索しています。こうした試みは、目に見えない音楽的な構造を、色やかたちを通して具体的な立体へと変換するものです。

音から色へ、色からかたちへ。 そして、それらが陶として「着地」する。
その過程から生まれる新たな作品群を通して、日野田が探求する「手色形楽」の現在をご覧いただけますと幸いです。


―作家ステイトメント
この数年、分散していた自分の興味関心をひとつに結びあわせていくための方法論の構築に取り組んできた。私はそれを「手色形楽(しゅしきけいがく)」という造語で呼んできた。そのいくつかの要素の中でも重要だったのが、聴覚芸術である音楽、それも20世紀以降の大衆音楽の構造を、視覚芸術、立体の造形に取り込めないかと考えてきたことである。20世紀の後半以降の音楽、とくに大衆音楽の世界の構造的な特徴は、伝統的な音楽からすると不協和音的、調性から外れたように聞こえるものも使うこと、近代西洋以外に由来するリズムの文化を大幅に導入したことである。

 私が自分の制作において成したいと願うことのひとつは、マルセル・デュシャン以降の理知的なArtの系譜にあるものではなく、その対極にある、彼が生前嫌っていた「網膜的な」ものを、「聴く」という方向から再考する試みである。

 具体的には、まずはじめに、個々の色の性格にではなく、複数の色と色の関係性に積極的な意味を見いだすという方法を使っている。私が参考にしたのは色彩を学ぶ過程で時折使われることのある12色相環である。そこに西洋音楽の発明品である平均律12音階の音程を当てはめていった。たとえば、赤色をC、緑青色をGといった具合にである。つまり、色と色の関係性はインターヴァル(音程差)によって決まることになる。
そこに見られるこの色の関係性を、和声の組み立てや進行によって特徴づけ、それにもとづいて予めつくられた色彩チャートに沿って陶作品の彩色をしていく試みを、最近の制作で実践してきた。

 陶芸材料の色材は、もともと地殻に眠っていた鉱物由来のものである。それは天上からやってきた光と反応して何らかの波長の色を呈するが、あくまでもそれは物質的なものである。しかもそれを高温で焼くことによって焼結させる必要がある。その発色の性質に起因する問題(使える色相や彩度が限定されていたり、偏りがあったりすること)がさまざまにある。くわえて、平均律は利便性がある一方で、音楽のすべてを表現できるわけでもない。そのような課題はあるものの、これまでの試行錯誤としてまとめられたのが今回の出展作品である。この中には、セロニアス・モンクの「ブルー・モンク」やジョン・コルトレーンの「ジャイアント・ステップス」のような既存の曲をもとに可視化したものもあれば、単に楽器をさわっていて書き留められた断片的なコードの流れをもとにしたものもある。何れにせよ、先述の方法によって私の色彩に対する感覚はまったく一新された。思い返せば、子どもの時分から、私は色彩を使うことに対して非常に強いコンプレックスを抱えてきたので、それからするとずいぶんな飛躍である。これは大げさに言えば、世界の調和原理の感じ方が変わったということなのだろう。そして、この方法は誰にとっても開かれているものでもある。
音、色、かたち、リズムに敬伲に学び、楽しむ気さえあれば。

日野田崇「着地した光の音楽」