グループショウ「Harsh Listening 2 」
開催概要
開催内容
昨年開催された「Harsh Listening」は、音をテーマとした展覧会でありながら、いわゆるサウンドアート展とは異なる印象を残した。会場にはケーブルや機材が張り巡らされ、音という目に見えない現象を扱いながらも、空間にはむしろ強い物質感が漂っていた。振動、配線、装置、記録媒体。作品群は音を再生するための環境や身体との関係性を露わにしながら、音そのものを「もの」として捉えようとするかのようだった。
また、来場者の多くが比較的若い世代であったことも印象的だった。日常のコミュニケーションや鑑賞体験の多くがデジタル空間へ移行し、音がデータとして流通することが当たり前になった現在、彼らが惹かれたのは情報としての音ではなく、身体を伴った経験としての音だったのかもしれない。そこには、実感や手触りを失いつつある時代だからこそ生まれる、新たな物質性への欲望を見ることができた。
続編となる「Harsh Listening 2」では、そうした問題意識を引き継ぎながら、さらに多様な角度から音と美術の関係を探る。本展に参加する作家たちは、それぞれ異なる方法で音に接近しながらも、音を単なる聴覚的現象としてではなく、記憶や身体、空間、物質との関係のなかで捉えようとしている。
デジタル化が進み、音がますます非物質化していく時代にあって、こうした試みは興味深い。私たちは日々無数の音に囲まれながら、その多くを情報として処理し、消費している。しかし音は本来、空間を震わせ、身体に作用し、時に言葉になる以前の感覚として立ち現れるものである。本展の作品群は、その見過ごされがちな側面へと私たちの注意を向けるだろう。
企画・構成は前回に引き続き涌井智仁。本展は、音をめぐる表現の現在地を提示するとともに、私たちが世界を経験する方法そのものをあらためて見つめ直す機会となるはずである。
出展作家:小松千倫、土井樹、涌井智仁、PLG
[作家ステートメント]
私たちは聴きたいものを聴き、聴きたくないものを聴いていないことにできる。聴いてしまったものを聴きたかったものとして聴き、聴いていないものを聴いていることもできる。しかし、何故あるものが音として聴かれるのか、ということと、その音があるものである、ということには決定的な差がある。私たちはどうであれ「聴いている」をしているに過ぎないのだ。私たちはきっと音のことをよく分かっていないのだろう。いや、この音の故郷喪失感こそ音の正体なのかもしれない。いや、この問いはまた一歩私たちを音から遠ざけるだろう。
あらゆる場面で私たちは恣意的に音を聴き、音を聴いたと思う。しかし、そのように音を聴くことが音の実在に向かって恣意的に切断する行為であるならば、音は初めから聴かれていなかったことになる。私たちはつまるところ音の現れに対して、無防備に身体を差し出すことしかできないのではないだろうか。聴けば聴くほど、音は私たちから離れていくのだから。
昨年の展覧会「Harsh Listening」から1年が経ったものの、未だ「聴くこと」は身体の無意識化された振る舞いの結果としてしか経験されていない。ことアートにおける視覚や身体の状況は安全な行為として「聴くこと」を消費しているようにも思う。これまでのフォームを延命するために「音」や「聴くこと」を歓待し、また隣人を記号化の泥沼に突き落としているに過ぎないのに。
私たちが実践すべきことは単純で困難だ。
「聴くこと」が予め持っている過酷さ(harsh)に耳を塞ぐことなく、「聴くこと」をまだ知覚されていない領域として再発明すること。音の鑑賞体験から離れ、音の現れそのものを受け入れること。
そして未だ「聴かれていないこと」をあらゆる営為の潜在性として寿いでみること。今回がそんな機会になれば嬉しい。
本展覧会「Harsh Listening 2」は終わらない「Harsh Listening」に与えられた別の試練だ。しかし、そこが過酷な煉獄であることを祈って。
涌井智仁