長崎県名誉県民 富永直樹/松尾敏男
開催概要
開催内容
彫刻家・富永直樹(1913-2006)と日本画家・松尾敏男(1926-2016)。ともに長崎市出身である二人は、戦後大きく変革する美術界において新進気鋭の作家として頭角を現し、生涯を通じてそれぞれの分野を牽引する活躍をみせました。彫刻と日本画という異なる分野を活躍の場とした二人ですが、その歩みはまさに、戦後日本美術の大きな流れを感じさせるものだといえるでしょう。富永にとっては没後20 年、松尾にとっては生誕100 年および没後10 年という節目にあわせて開催する本展では、長崎県名誉県民である二人の芸術家の軌跡を改めて顕彰します。
[本展の見どころ]
■富永直樹|躍動する身体:彫刻家・富永直樹の登場
富永直樹の彫刻家デビューはかなり早く、東京美術学校(現在の東京藝術大学)彫刻科在学中の1936年にすでに《F子の首》が文展(現在の日展)に入選を果たしました。卒業時には首席という栄誉にも浴しています。このように早熟の作家であった富永が、彫刻界において揺るがぬ存在感を示すようになるのは1950年代前半のこと。彼は1950年から3年連続で、日展彫刻部において特選を受賞したのです。受賞作《殊勲者》《山》《主将》はいずれも若きスポーツマンを題材としたものでした。当時の日展では裸婦像が主流でしたが、富永の作品は堅実な構成と、肉体にみなぎる生命感によって高く評価されました。富永はその後《新風》などの作品において、たしかな技術による安定した身体表現にさらなる精神性を加え、自らのスタイルを確立していきます。
■富永直樹|はるかな世界へのあこがれ:ロマンティシズムあふれるテーマへの挑戦
《新風》によって日本芸術院賞を受賞した1970年代ごろから、スポーツマンとは異なる新たな主題の作品が見られるようになってゆきます。それが、「キリスト教」や「歴史」といったロマンティシズムを感じさせるテーマをもつ作品群です。《南蛮船の来た頃は》などの作品では、堅実な身体の描写はもちろん、身に着けた衣服の細部にも注目です。ふわりとした衣服のひだはもちろん、表面の装飾文様に至るまで、ごく細密な表現が施されています。歴史的な人物を題材として扱うとき、富永は時には資料を繙きながら、彼らが実際にどんな風に生活していたか、想像しつつ制作に励んでいたといいます。歴史的な存在に対するロマンティックなあこがれと実直な好奇心がすぐれた技術によって作品へと昇華されています。
■富永直樹|創作のひろがり:エネルギッシュかつ多彩な作品群
どちらかといえばパワフルな男性像によって知られる富永ですが、家族や動物といったより親密なテーマの作品も数多く残しています。家族をモティーフとした《慈愛》や家族が飼っていたペルシャ猫のハッピーを主役に据えた《大将の椅子》などの作品が挙げられます。《大将の椅子》では、骨董品店で見つけた年代物の椅子自体をブロンズで再現するという、富永らしい細部へのこだわりも見ることができます。1950年代に高く評価されたスタイルに拘泥せず、つくりたいものに真っすぐ取り組んでゆく態度は、彫刻家・富永直樹の根底をなすものといえるかもしれません。
■松尾敏男|松尾敏男の肖像画
松尾敏男が手がけた最初の肖像画は《南風先生像》(熊本県立美術館蔵)です。すでに最晩年を迎えた師・堅山南風が新緑に囲まれ正面観ですっと立つ衒いのない姿は、師と弟子との長年にわたる親密な関係性が現れ出たものとして、松尾芸術の一つの到達点といえるでしょう。この作品を描くきっかけとなったのは、師の堅山南風が描いた《大観先生像》でした。40年以上にわたり師と仰いだ大観が威厳を保ちながらも、一方で等身大の人間としての大観がありのままに表されています。本展では、松尾の肖像画に大きな影響を与えた堅山南風の《大観先生像》を、初の試みとして展示します。
■松尾敏男|晩年の制作、そして後進の画家たち
松尾敏男は晩年長きにわたる画業が評価され、2000年に文化功労者、2012年には文化勲章を受章、さらに翌年には長崎県名誉県民の称号を受けました。また2009年には亡き平山郁夫の跡を継いで日本美術院理事長に就任し、名実ともに日本画壇の頂点に立ちました。後進の育成にも精力的に努め、戦前の日本美術院を牽引した横山大観やその後の安田靫彦、前田青邨、小林古径らを直接知る最後の世代として、彼らの教えを次世代へと継承しました。松尾から薫陶を受けた筆頭画家は、現在日本美術院の代表理事を務める那波多目功一でしょう。松尾と那波多目は1965年に出会い、一緒に写生やゴルフに赴くなど、公私にわたり行動をともにしました。本展の最後に那波多目の牡丹を描いた作品《寂》を展示することにより、松尾の教えが今なお日本美術院のなかで生き続けていることを明らかにします。
■松尾敏男|松尾敏男の絶筆
松尾の最後の院展出品作で実質的な絶筆となったのは、亡くなる前年に描かれた《玄皎想》です。松尾は晩年、水墨画への志向を強めていきます。そこには「日本画は究極的には水墨に到達しなければならない」という思いがありました。最晩年に至って日本画の源流に立ち戻るかのように、《玄皎想》では水墨の濃淡と余白の美を追求していきます。また墨の濃淡に調和するような胡粉による花弁の色の繊細さは、玄妙の域に達しています。花の下で静かに眠る猫は、まるで自分自身を投影したかのようです。まさに画業の最後を飾るにふさわしい作品となりました。