令和6年度秋季展 熊本大学永青文庫研究センター設立15周年記念 信長の手紙

開催概要

会期
2024年10月05日 〜 2024年12月01日
会場
永青文庫 (東京都文京区目白台1-1-1)
ジャンル
その他
タグ
古文書、書簡、武具、工芸

開催内容

戦国乱世を駆け抜けた武将・織田信長(1534~82)。永青文庫が所蔵する細川家伝来の信長の手紙59通は重要文化財に指定されていますが、これほどの数が一か所にまとまって伝わる例は他にはなく、直筆であることが確実な唯一の手紙をも含む点で、質量ともに突出したコレクションといえます。
本展では、これらすべての珠玉の文書を通して、室町幕府の滅亡、一向一揆との死闘、長篠合戦、荒木村重謀反、明智光秀による本能寺の変など、信長の激動の10年間を、配下の細川藤孝(1534~1610)らの動向とともに丁寧に読み解きます。革新的、破天荒、残虐、超人といった現代の多くの人が抱く信長のイメージは真実なのか——。永青文庫の歴史資料から真の信長像に迫ります。

織田信長と細川家
織田信長と細川家は、厚い信頼関係で結ばれていました。永青文庫が所蔵する信長の手紙のほとんどは、細川家初代・藤孝(1534~1610)に宛てて出されたものです。藤孝は、はじめ15代将軍・足利義昭に仕えていましたが、義昭が信長と対立すると、やがて同い年の信長を主君として選び、戦の最前線で明智光秀らとともに信長を支え続けました。さらに藤孝の嫡男・忠興(1563~1645)も、15歳のときに大和の片岡城を攻略し、信長からその働きが認められて自筆の感状を受けるなどしています。また、忠興は信長の斡旋により光秀の娘・玉(ガラシャ)を妻として迎え、細川家と光秀は姻戚関係となりました。

細川藤孝(ふじたか、1534~1610)
肥後細川家初代(剃髪後は幽斎(ゆうさい)と名乗る)。室町将軍家に仕えた父・三淵晴員(みつぶちはるかず)と、代々漢文などをよくした清原家の出である母との間に生まれ、のちに細川家へ養子入りしました。足利義昭や織田信長に仕え、隠居後は豊臣秀吉、徳川家康らを支えました。『古今和歌集』の秘説「古今伝授」の継承者としても知られ、和歌、能、茶の湯など諸芸に通じていました。

細川忠興(ただおき、1563~1645)
細川藤孝と麝香(じゃこう、若狭国熊川城主・沼田光兼の娘)の嫡男。天正6年(1578)、信長の斡旋で明智光秀の娘・玉(ガラシャ)と結婚し、天正8年(1580)には藤孝とともに信長から丹後一国を与えられています。信長没後は家督を継いで秀吉の天下統一に協力。関ヶ原合戦では東軍として家康に仕え、その戦功により豊前一国、豊後国東郡・速水郡の一部が与えられました。茶の湯にも造詣が深く、千利休の高弟・利休七哲の一人に数えられています。

[見どころ]
1.永青文庫の一大コレクション、信長の手紙を全て公開
永青文庫が所蔵する信長の手紙59通(重要文化財)を展示替えしながら全て公開します。室町幕府の滅亡から信長が本能寺の変を迎えるまでの約10年間を追うことができる貴重な文書群です。永青文庫・細川家にしか残っていない唯一無二の手紙は必見です!

2.自筆の手紙は永青文庫の「織田信長自筆感状」のみ!
信長の手紙といっても、実は右筆(書記官)が筆をとるのが原則でした。そのなかで、信長本人がしたためたことが確実な手紙は、細川忠興に宛てた「織田信長自筆感状」1通のみ。信長の側近・堀秀政の添状に、信長自ら筆をとったと明記されています。「織田信長自筆感状」は永青文庫が所蔵する歴史資料のなかでも白眉の文書です。豪快な筆運びから、信長像をイメージしてみては!?

3.手紙を通して読み解く、リアルな日本史
59通の一通一通には、戦場等の緊迫した状況下でリアルタイムに交わされた、信長の肉声がつまっています。天下統一へ向かう信長の戦略と、それに従った細川家や部将たちの動きが手に取るようにわかります。本展では、そうした手紙を通して、室町幕府滅亡へとつながる信長と将軍義昭との対立、武田勢に大勝利した長篠合戦、信長を苦しめた度重なる家臣の裏切りなど、日本史の一大画期となる出来事を読み解きます。展示室にずらりと並ぶ手紙の迫力を感じながら、リアルな日本史を目の当たりにできます。

4.信長イメージが変わる?
手紙には「敵を根絶やしにしてやろう」「自分が負けないのは天の定めだ!」といった、現代の私たちがイメージする信長像と合致するかのような言葉が見られます。その一方、信長があくまで中世的な枠組みにとどまっていた保守的な姿も窺えます。信長は直臣大名領内の統治には原則不干渉で、むしろ家臣の明智光秀らによって、石高制に基づいた近世を先取りするような統治が行われ始めていました。

5.永青文庫・細川家に信長の手紙が集まったワケに注目
信長の手紙は800通ほど現存しているとされますが、そのうち59通が永青文庫に所在しています。なぜこれほどまでの数が一か所に伝わったのでしょうか。その理由は、のちに熊本を治めることになった細川家三代・忠利(1586~1641)の尽力にあることが近年の研究で明らかになっています。本展では、祖父藤孝の武功を証明すべく、「信長の感状が埋もれてしまうのは惜しい」と蒐集にかけた忠利の情熱にも注目します。

6.信長の手紙のほかにも
本展では、信長や藤孝・忠興ゆかりの品々も展示します。細川家伝来の香木「蘭奢待」や、藤孝が13代将軍足利義輝より拝領した「柏木菟螺鈿鞍」(国宝)、伝藤孝所用「紅糸威腹巻」(熊本県指定重要文化財)、細川ガラシャ作と伝わる雨具「露払」、藤孝(幽斎)筆『源氏物語』(熊本県指定重要文化財)など、信長の手紙とあわせてお楽しみください。

令和6年度秋季展 熊本大学永青文庫研究センター設立15周年記念 信長の手紙