開催時間 |
9時30分 - 17時00分
※金・土曜日、10月31日(水)、11月1日(木)は21:00まで ※入館は閉館の30分前まで。 |
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休み |
月曜(10月8日[月・祝]は開館)、10月9日(火)
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入場料 |
有料 一般1400円(1200円)、大学生1000円(800円)、高校生800円(600円) 中学生以下無料 ※( )内は20名以上の団体料金 |
作品の販売有無 |
展示のみ
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この情報のお問合せ |
03-5777-8600 (ハローダイヤル)
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イベントURL | |
情報提供者/投稿者 |
住所 |
〒110-8712 東京都
台東区上野公園13-9 |
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最寄り駅 | 上野 |
電話番号 | 050-5541-8600(ハローダイヤル) |
京都市上京区に所在する大報恩寺は、鎌倉時代初期に開創された古刹です。釈迦如来坐像をご本尊とし、千本釈迦堂の通称で親しまれています。本展では、大報恩寺の秘仏本尊で、快慶の弟子、行快作の釈迦如来坐像、快慶作の十大弟子立像、運慶の弟子筋にあたり、行快とほぼ同じ世代である肥後定慶作の六観音菩薩像など、大報恩寺に伝わる鎌倉彫刻の名品の数々を展示いたします。
[展示構成]
大報恩寺の歴史と寺宝-大報恩寺と北野経王堂
大報恩寺は、平安京大内裏のすぐ北西に所在しました。そのほど近く、北野天満宮の西側には、創建が7世紀にさかのぼる古代寺院があったといい、平安遷都後はこの寺が桓武天皇ゆかりの寺として整備されるなど、古くから開かれた土地であったことが知られます。伝来は不明ですが、大報恩寺には平安時代前期に遡る千手観音菩薩立像が伝えられています。
このほかにも大報恩寺には、今は失われてしまった北野経王堂ゆかりの名宝も数多くのこされています。北野経王堂は足利義満によって建てられた仏堂で、室町将軍家があつい信仰を寄せました。五千帖を超す「北野経王堂一切経」や「傅大士坐像および二童子立像」は、北野社境内に位置し、経王堂管理下にあった輪蔵ゆかりの品です。こうした大報恩寺に伝来する数々の名宝を通して、この地で積み重ねられてきた歴史をうかがい知ることができます。
ここでは、大報恩寺とともに、大報恩寺がその運営に密接に関与した北野経王堂の歴史を紐解きます。
聖地の創出―釈迦信仰の隆盛
大報恩寺が建立された13世紀の前半は、人びとに仏の教えが届かず、仏法を実践する者すらいなくなる末法の世を強く実感させる時代でした。12世紀末より全国規模で起こった源氏と平氏の内乱、たび重なる大規模災害、なにより戦乱のさなかに東大寺の大仏が焼け崩れてしまったことは、仏法の破滅とそれと連動する王権の衰微を強く印象づけました。こうした時代背景のもと、仏教の教主である釈迦の教えに立ち返ろうとする動きが強くなり、釈迦信仰が隆盛しました。
天台僧の義空(1172~1241)は、釈迦は永久にこの世に存在し法を説くという『法華経』の教えにもとづいて、大報恩寺を創建しました。快慶作の十大弟子立像と、快慶の弟子、行快作の釈迦如来坐像が、今も本寺に伝わっています。本堂の上棟当時は、文殊菩薩・弥菩薩像も安置されていました。これらの尊像構成は、『法華経』での釈迦如来の説法を意図したものだと考えられます。
義空は、この世に常住して説法する釈迦を造ることによって、末法の世を生きる人びとを救う場を生み出したのでした。
六観音菩薩像と肥後定慶
大報恩寺には、運慶一門の慶派仏師、定慶作の六観音菩薩像が伝来しています。六観音とは、聖観音・千手観音・馬頭観音・十一面観音・准胝観音(または不空羂索観音)・如意輪観音の総称で、地獄道や餓鬼道をはじめとする六道から人びとを救う仏として、平安時代以降に大変流行しました。本像は、中世に遡る六観音で、しかも光背、台座までも完存する唯一の作例です。
本像は、准胝観音の像内墨書銘によって、貞応三年(1224)に、定慶が造ったことがわかります。運慶の長男である湛慶より十歳ほど若い定慶は、運慶次世代の実力派仏師の一人でした。定慶は、運慶の作風をよく学び、仏像の体躯を破綻なくまとめあげる、相当な力量をもっていましたが、そればかりではなく、結い上げた髪の毛の柔らかな質感や束ねた髪束の毛先の複雑な動きの描写、空気をはらむ衣の描写や翻転する衣文表現など、細部にも目を見張る彫技を見せています。
本像がもつなまなましい実在感は、末法の世に生きる当時の人びとが、仏に切実に求めたものだったのかもしれません。
主催:東京国立博物館、大報恩寺、読売新聞社
協賛:トヨタ自動車、あいおいニッセイ同和損害保険
東京国立博物館 平成館特別第3・4室で開催