開催時間 |
10時00分 - 18時00分
入館は17時30分まで |
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休み |
月
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入場料 |
有料 一般800円、高・大学生および65~74歳600円、中学生以下および75歳以上無料、その他各種割引制度あり ※一般以外の方は、年齢等確認できるものをお持ちください。 |
展覧会の撮影 |
不可 |
作品の販売有無 |
展示のみ
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この情報のお問合せ |
練馬区立美術館
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情報提供者/投稿者 |
住所 |
〒176-0021 東京都
練馬区貫井1-36-16 |
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最寄り駅 | 中村橋 |
電話番号 | 03-3577-1821 |
フランスを代表するポスター作家であるレイモン・サヴィニャック(1907-2002)。サーカスや見世物のアートに魅せられ確立したサヴィニャックのスタイルは、第二次世界大戦後、それまでのフランスにおけるポスターの伝統であった装飾的な様式を一新します。
サヴィニャックの編み出したポスター様式はユーモアとエスプリのアート、瞬時に人の心を射抜くアートでした。インパクトを与える視覚的操作と明快な造形という確固たる論理を持つ彼のデザインをベースに、このうえなく陽気にシンプルに、ポスターのメッセージを道行く人々へと届けたのです。知性豊かなクリエイターであったサヴィニャックの描くデッサンは常に、「どのようにメッセージを届けるか」という問いに対する、視覚的な解答でした。ビック、チンザノ、シトロエン、ダンロップ、ミシュラン、モンサヴォン、ティファール、トレカ、パリ市ほか、フランスの錚々たる広告主のビジュアル広告は、レイモン・サヴィニャックのポスターなしには語ることができないでしょう。
国内5美術館を巡回するかつてない大規模展となる本展覧会では、サヴィニャックの20世紀ポスター史を語るのに欠かせない代表作を中心に、それらのスケッチ、原画、パリに貼られたサヴィニャックポスターの景観写真などあわせて約200点を紹介します。ポスターとは近代都市のモニュメントであり、街角に掲出するという習慣とは切り離して考えることはできないからです。20世紀フランスという時代と場所の空気を切り取ってきた写真を通して、今日「屋外広告」とよばれる広告芸術が、道行く人々の心を癒し心躍らせ、時に批判され、街の中でどのような効果を発揮していたかに思いを馳せながら、ポスターというメディアを魔術師のように操ったサヴィニャックの世界をご堪能ください。
【見どころ】
日本でも人気の高いサヴィニャックですが、本展は日本初公開作品も含むポスター95点あまりをはじめ、制作過程が垣間見えるスケッチや原画、ポスターが実際に街中に貼られた様子を窺うことのできる写真等により構成されます。
牛乳石鹸モンサヴォンのポスターで真のポスター作家となったサヴィニャックの創作を、時系列に追うのではなく、イコノグラフィや、グラフィックの手法や考え方、同じ製品を扱ったものなど、共通する項目によってグループを作り、その魅力の源に迫ります。
今や実際に目にする機会のなくなった3メートル、4メートルにもおよぶ大型ポスターも必見です。
レイモン・サヴィニャック Raymond Savignac
1907年11月6日パリに生まれる。
1920年中学では商業科のクラスに入るが好きになれない。自転車競技に夢中になるもチャンピオンになる夢はあきらめる。
1922年TCRP(パリ公共輸送公団)のトレース係となり、夜学で工業デザインを学ぶ。
1925年ロルタック広告アニメーションスタジオに入社。
1927年1年半の兵役に服する。
1928年兵役を終えてロルタックのスタジオに戻る。
ポスターデザインを試みながら数年の間取るに足らない仕事を続ける。
1933年大胆にもカッサンドルの門を叩き自分の作品を見せる。カッサンドルはその場でアシスタントとして雇い、1935年までコラボレーションは続く。サヴィニャックの経歴の最初の転機となる。
1938年モンルージュのドレジェール兄弟印刷所にポスターデザイナー兼下絵制作者として入社。
1939年第二次世界大戦宣戦布告と同時に召集される。
1940年マルセル・メルシエと結婚。敗北と休戦の後、パリに復員する。
1942年ロレアルの社長ウージェーヌ・シュレールのアートディレクターであるロベール・ゲランの口利きで広告コンソーシアムに入社。
1944年コンソーシアムの仕事をしながら、広告会社アルジャンヴィックとも活発に仕事をする。
1947年コンソーシアムを解雇される。
1948年ベルナール・ヴィルモと出会う。ヴィルモは行き場のないサヴィニャックを自分のアトリエに誘う。
1949年ヴィルモと二人展を開催し、大きな成功を収める。この展覧会でウージェーヌ・シュレールはモンサヴォン石鹸の牝牛を発見し自社の広告に採用、サヴィニャックはポスター作家として真のデビューを果たす。
1950-60年代サヴィニャックの最も有名な作品が次々と生まれたのは50年代と60年代。60年代の終わりには広告代理店好みの写真ポスターに押しやられる形で手描きポスターは衰退の一途をたどる。サヴィニャックの活動もその影響を受けるが、それでも多くのポスターや他の仕事も手掛ける。
1981年「シトロエン前へ!」キャンペーンの注文を受ける。1984年まで続いたこの仕事が、サヴィニャックの最後の商業的な大成功となる。
1982年サヴィニャックは妻と共にノルマンディー海岸のトゥルーヴィルに移住。この街で皆に大歓迎され充実した晩年を過ごす。
地元からフランス国内外からそして日本から仕事は途切れることがなかった。大小様々な展覧会が次々開催される。
2002年10月31日、サヴィニャックは町の英雄としてトゥルーヴィルでで皆に惜しまれながら亡くなった。
主催:練馬区立美術館(公益財団法人練馬区文化振興協会)、読売新聞社、美術館連絡協議会
後援:在日フランス大使館/アンスティチュ・フランセ日本
特別協力:パリ市
協力:日本航空、株式会社豊島園
特別協賛:大日本印刷
協賛:ライオン、損保ジャパン日本興亜、日本テレビ放送網、サントリーコミュニケーションズ株式会社
企画協力:DNPアートコミュニケーションズ