開催時間 |
9時30分 - 16時30分
入館は16時00分まで |
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休み |
月(月曜が休日の場合は開館し、翌日を休館日とします)
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入場料 |
有料 一般830(560)円/高校生・大学生450(250)円/小・中学生無料 ※( )内は20名以上の団体 ※総合展示もあわせてご覧になれます。 ※毎週土曜日は、高校生の入館が無料です。 ※障がい者手帳等保侍者は手帳提示により、介護者と共に入館が無料です。 |
作品の販売有無 |
展示のみ
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この情報のお問合せ |
ハローダイヤル:03-5777-8600(8:00から22:00まで)
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情報提供者/投稿者 |
住所 |
〒285-8502 千葉県
佐倉市城内町 117 |
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最寄り駅 | 京成佐倉 |
電話番号 | 043-486-0123(代) |
本展は、1960年代後半に日本で起こった、ベトナム反戦運動や三里塚闘争・水俣病闘争などの市民運動・住民運動、全国的な大学闘争などの多様な社会運動に総合的に光を当てたものです。これらの運動は、戦後の平和と民主主義、そして高度経済成長や公共性を押し立てた開発計画のあり方、広くは戦後日本の政治的・経済的枠組みを「問う」ものでした。この時代に噴出した「問い」はいまなお「現役」としての意味を持ち続けています。また、1960年代後半は、日本の社会運動が、それまでの組織的な問題設定・問題解決の方式から、「個」の主体性を重視する特徴を強く顕し始める転換期でもありました。人々は様々な問題に対し異議を唱え、あるいは改革を要求する声を、各自の居場所で、多様な形態であげていったのです。こうした新しい社会運動のスタイルは後の時代にまで大きな影響を与えました。
「1968年」は、この時代の象徴的な出来事である東大闘争や日大闘争といった学生運動が活発に行われた年でした。本展は、当時を象徴する資料約500点を展示し、「1968年」を中心としたこの時代の多様な運動をより総合的に紹介することで、この時代の運動の意味を探ります。
なぜ、「1968年」か
1968年は、世界に目を転じると、ベトナム反戦運動が世界的に展開され、アメリカではキング牧師暗殺を契機として公民権運動が勢いを得、フランスでは五月革命とも呼ばれる学生運動・労働者ゼネストが起こり、西ドイツでは戦後民主主義の形骸化・権威主義化に抗議する学生運動が高揚しました。社会主義圈では、「プラハの春」と言われたチェコスロバキアの民主化運動とそれに対するワルシャワ条約機構軍の軍事介入の年であり、各国の新左翼学生が中国の文化大革命に、ソ運型社会主義に代わる社会主義のモデルを托そうとしていました。
第1部 「平和と民主主義」・経済成長への問い
[第1章] 平和運動の展開:ベトナム反戦とベ平連運動
ベトナム戦争は「メディアの戦争」と呼ばれ、生々しい戦場の様子が世界中に報じられました。特に1965年2月のアメリカによる北ベトナム爆撃(北爆)の開始は世界中に衝撃を与え、当事国のアメリカを超えて世界の反戦運動に火をつけ、日本にも波及しました。日本のベトナム反戦市民運動である「ベトナムに平和を!市民連合」(略称:べ平連)は、一人一人の個人の運動を束ねていくという組織的な性格や、ティーチインという集会の方法など、それまでにない新しいユニークな運動形態を通じて市民参加の裾野を広げるとともに、海外との連帯を積極的に進めました。また、在日米軍基地がベトナム戦争に不可欠な機能を果たしていたことは、人々に戦争における被害と加害の問題を強く意識させ、それまで主として被害の論理で展開されていた日本の反戦平和運動を新たな地平に導いていくことになりました。
第1節 ベトナム反戦・反基地運動の広がり
第2節 べ平運の発足
第3節 多様な抗議スタイル
第4節 国境を越える運動
第5節 様々な世代、様々な地域、様々な人びと
第6節 べ平運の解散
[第2章] 地方都市から戦後社会を問う:神戸の街から
神戸は、華僑、在日コリアンのコミュニティ、大規模な都市下層社会など、そこに暮らす人々が多様で自立性が高いという特徴を持っていました。また、神戸港は、アメリカ軍の後方基地として機能していました。このため神戸では、学生運動や反戦運動、差別への批判の運動など、非常に多彩な社会運動が当時交錯しました。この章では、神戸という地方都市に着目し、地域内の諸社会運動の関係性や全体として織りなす特性に焦点を当て解説します。
第1節 「神戸港は南シナ海に、太平洋西岸に通じる」
第2節 解放空間サンチカ
第3節 戦後民主主義を問い直す
[第3章] 戦後民主主義と戦後農政への問い:三里塚闘争
三里塚闘争は、1960年代初期に計画された新東京国際空港(現成田国際空港)の建設をめぐる地元住民らによる反対闘争です。千葉県成田市の農村地区名称である三里塚とその近辺で息の長い運動が継続しました。今回は農民闘争としての姿を軸に解説します。
第1節 三里塚開拓と空港建設
第2節 陳情・請願運動から実力阻止へ
第3節 日本農民の名において
第4節 公共事業と農政への問い
[第4章] 経済成長と豊かさへの問い:熊本水俣病闘争
1956年に熊本県水俣市で公式発表されて以来、今日まで長期闘争として継続する熊本水俣病闘争。高度経済成長を背景に起こった公害病について、市民会議の結成や告発する会の活動などに注目して取り上げます。
第1節 水俣とチッソ
第2節 市民会議の結成、訴訟へ
第3節 告発する会の活動と自主交渉闘争
[第5章] 住民運動の噴出とその問い:横浜新貨物線反対運動
多数の住民運動の中の代表格とも言える「横浜新貨物線反対運動」をクローズアップします。横浜新貨物線反対運動は、鶴見一戸塚間の13.7kmにわたる住宅地を横切って貨物線を敷設する計画への反対運動です。1966年、国鉄が住民に何の相談もなく決定したこの計画に対し、付近住民は1967年には「横浜新貨物線反対同盟連合協議会」(8700世帯)を結成させていきました。この反対運動での「公共」とは何か、という―貫した問いは、当時の住民運動・地域闘争に大きな影響を与えました。
第1節 横浜新貨物線反対運動の開始と展開
第2節 「公共性」を撃つ
第2部 大学という場からの問い一全共闘運動の展開
[第1章] 1960年代の大学
大学にとって1965年は画期的な年で、大学生は初めて100万人を超えました(うち私立大学生が72%)。60年代に入ると国の大学政策は大きな変化を見せるようになり、産業界の要請に即した高等教育の「種別化」「多様化」、大学管理運営の強化、理工系学部の増設・定員増、教育養成制度の改編(学芸学部から教育学部へ)が行われていきました。そうした中で大学と軍事の問題も問われていきました。
キャンパスは、学生運動の舞台であったことにとどまらず、様々なサークル活動がキャンパス外の文化状況と敏感に呼応しながら創造的に展開していく場所でもありました。学生たちの映画・演劇・マンガ経験や購読雑誌の様子といった60年代の文化の一端も展示します。
第1節 1960年代の大学社会・学生生活
第2節 社会のなかの大学生
[第2章] 全共闘運動の形成と展開
全共闘運動の発端は、日本大学で、1968年4月の新入生歓迎運動に対する学生の民主化運動への抑圧と大学の経理不正・脱税問題が明るみに出たことが絡み、学生側の大学当局追及・現理事長体制批判の動きが急激に表面化したことでした。全学共闘会議や各学部の闘争委員会も結成され、日大は全共闘時代に入ります。
続いて、東大では処分問題などで対立が続いていた医学部の学生が安田講堂を占拠し、これに対し東大当局が機動隊導入を強行したことから、大学自治への暴挙として10学部中9学部が一日ストライキを行いました。その後、無期限ストライキ拡大という事態に発展し、1968年7月5日には東大全共闘が結成されます。そして、全共闘と新左翼が連携し、民青系学生運動と対抗する中で、全共闘運動が展開されました。本章では、この日大・東大の全共闘の成立や活動についてご紹介します。
第1節 1967年から1968年へ
第2節 1968年5~7月 日大・東大全共闘の成立
第3節 1968年秋 全学ストライキと大衆団交
[第3章] 大学闘争の全国展開
日大・東大全共闘の成立後、大学闘争は全国に波及しました。全国各地で燃え上がった大学闘争の様子や学生の問いを受け止めた教員たちの姿をご紹介します。
第1節 東大・日大闘争の衝撃と大学闘争の全国展開
第2節 造反教員
第3節 大学改革への始動、あるいは挫折
[第4章] 闘争の鎮静化と遺産
大学闘争の激化に伴い、政府は1969年5月に「大学運営に関する臨時措置法」案を国会に上程しました。同法案は、闘争の収拾が困難な場合教育研究の停止措置を取ることができるとされたため、強い法案反対運動が起こりましたが、8月17日に施行となり、廃止されたのは2001年のことでした。大学管理法と大学の機動隊による封鎖解除と併せて、その後の大学闘争の展開や闘争が遺した遺産と批判についても解説します。
第1節 大学管理法と封鎖の解除
第2節 闘争の継続と遺産
歴博講演会
日時:11月11日(土)13:00~15:00
会場:国立歴史民俗博物館 講堂
講師:荒川章二(国立歴史民俗博物館研究部歴史研究系教授)
演題:「全共闘とは何だったのか一歴博所蔵資料から見える世界一」
歴博フォーラム「戦後社会運動のなかの『1968年』」
日時:10月21日(土)10:30~16:00
会場:国立歴史民俗博物館 講堂
講師:荒川章二(国立歴史民俗博物館研究部歴史研究系教授)他
主催:大学共同利用機関法人 人間文化研究機構 国立歴史民俗博物館
特別協力:立教大学共生社会研究センター、法政大学大原社会問題研究所、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)、「技術と社会」資料館、成田空港 空と大地の歴史館