開催時間 |
10時00分 - 18時00分
金曜日は20時00分まで ※入館は閉館30 分前まで |
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休み |
月曜日(9月19日、10月10日は開館、翌火曜日も開館)
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入場料 |
有料 一般:1300(1100)円、大学・高校生:800(650)円、シルバー<65 歳以上>:1100 円、中学生以下無料 ※ ( )内は前売りおよび20 名以上の団体料金 |
作品の販売有無 |
展示のみ
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この情報のお問合せ |
東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館
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情報提供者/投稿者 |
住所 |
〒160-8338 東京都
新宿区西新宿1-26-1 |
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最寄り駅 | 新宿 |
電話番号 | 050-5541-8600(ハローダイヤル) |
セピア色の画面に神秘的に浮かびあがる人物や母子像で知られる、19世紀フランス象徴主義を代表する画家、ウジェーヌ・カリエール(1849年生~1906年没)の展覧会です。
没後110年に開催される本展覧会では、カリエールのひ孫でカリエールのカタログ・レゾネ(全作品集)の編集者である美術史家ヴェロニク・ノラ=ミラン氏の全面的な協力のもと、個人所蔵作品および油彩画を中心に、カリエールの作品約80点をご紹介いたします。
カリエールの代表的な主題である母子像や身の回りで繰り広げられる日常の光景はじめ、妻や子どもたち、著名人らの肖像、カリエールの作品では珍しい風景など、様々な主題の作品を展示し、親密な光景を幻想的に描いたカリエールの真髄に迫ります。
ウジェーヌ・カリエール
母子や室内など、身近な光景を幻想的に描いたフランスの象徴主義を代表する画家。ドイツ国境に近いストラスブールで育ち、保険業を営む父の反対を押し切り、画家を志す。1880年を過ぎた頃から、茶褐色の靄がかかったような画面に対象がぼんやりと浮かび上がる独自の様式を確立、批評家の注目を集めるようになる。伝統的なサロンでの活動に甘んじることなく、サロン・ナショナルやサロン・ドートンヌなど、新しいサロンの創設にも積極的に参加した。喉頭がんのため57歳で没。
第1章 画家カリエールの誕生から最初の国家買い上げまで(初期から1885年頃まで)
1871年、普仏戦争が終わり、カリエールはパリに戻り学業を再開しました。1876年にはサロン初出品を果たし、1880年頃からロジェ・マルクスら批評家の注目を集めるようになります。1885年、4歳の長男レオンをジフテリアで亡くします。同年、《病気の子ども》(オルセー美術館、パリ)がサロンで3 等賞を受賞、国家買い上げとなります。
第2章 母性、子どもたち、室内(1885年頃から1890年頃まで)
1879年のサロンに「母性」をテーマにした作品を出品して以来、カリエールは妻や子どもたち、室内など、身近な光景をテーマにした作品を手がけます。中でも成長し、様々な表情を見せる子どもたち、そして母と子の姿は、「母性の画家」カリエールの主要なテーマとして描かれました。
第3章 サロンからの独立、著名人の肖像と風景(1890年頃から1900年頃まで)
1890年、サロン(官展)を引継いだ「フランス芸術家協会」から分離する形で、「サロン・ナショナル」が設立されました。カリエールはこの新しいサロンの設立に参画します。1891年には最初の個展がパリの画廊で開催され、それまでの親密な作品に加えて、著名人の肖像画や壁画装飾といった公的な仕事も手がけるようになります。
第4章 晩年(1900年頃から1906年まで)
1900年、パリ万国博覧会が開催され、カリエールはパヴィリオンのためのポスター制作を手がけ、同時開催の「フランス絵画100 年展」に出品します。1902年、喉頭がんの最初の手術を受けますが、翌1903年には個展を開催します。同年サロン・ドートンヌの設立に参加、名誉会長に就任するなど、療養に努めながら制作と活動を続けました。
主催:東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館、朝日新聞社
協賛:損保ジャパン日本興亜
後援:在日フランス大使館/アンスティチュ・フランセ日本
協力:日本航空
監修:ヴェロニク・ノラ=ミラン(『カリエール全作品集』編集者)
企画協力:IS ART INC.