高田冬彦 STORYTELLING

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会 期
20160416日 -  20160521
開催時間
11時00分 - 19時00分
休み
日・月
入場料
無料
作品の販売有無
販売有
この情報のお問合せ
児玉画廊
情報提供者/投稿者
開催場所
児玉画廊 | 東京
住所
〒108-0072 東京都
港区白金3-1-15
最寄り駅
白金高輪
電話番号
03-5449-1559

詳細

参加クリエイター

展覧会内容

 高田は、2013年に開催された白金アートコンプレックス5周年合同展覧会「メメント・モリ~愛と死を見つめて~」(杉本博司キュレーション)で児玉画廊における初紹介、そして同年、観衆の度肝を抜いた衝撃的な個展「MY FANTASIA」(児玉画廊|京都)を経て、以来各所でのグループショーやイベントへの招聘、参画と精力的な制作活動を続けています。今展覧会は児玉画廊での3年ぶり2度目の個展となります。
 高田は、パフォーマンス、映像、インスタレーション等、様々な作品を制作しますが、近年は主として映像作品の形を取っています。高田の作品にはいくつか目立った特徴があります。第一に、極度に自己陶酔的である事、第二に、窃視的である事を他者に強いている事、第三に、その自/他の関係性を巧妙かつ狡猾に自らの支配下に置いている事です。作品内容の過激さに目を奪われ、つい忘れがちになりますが、高田は、この三点において明らかな特異性を見せる映像作家である事を先ずここに強調しておきます。
 高田の映像作品は、性愛や妄執のタブー的(完全なるタブーではない)なトピックを、過度に露悪的に、過剰に下品に、過多な情報量によって、見る人の胸を苦しく締め付けるように作られています。ただ美しくスマートなものを礼賛するペダンティックなアカデミスムや、気取ったモダニスムなど虫けらほどのモノと高田が驕っているだけなのかもしれませんが、もう少し踏み込んで考えてみると、わざわざそういった「過ぎた」演出にこだわる理由があるように思えるのです。先述の三点の特徴に戻って順に辿ってみましょう。

 第一に、極度に自己陶酔的である事。これは高田の初期作「LEAVE BRITONY ALONE」(2009年)の制作について高田自らが述べた「妄想へのめり込む為の精神的プロセス」という言葉が、良いリファレンスになります。この作品は、ポップアイコン:ブリトニー・スピアーズの狂信的ファンに高田自身がなりきる事で、狂気に達する直前の極限状態まで自らを追い込んで制作されたものです。「妄想へのめり込む為の精神的プロセス」というのは、その極限状態に持って行く過程で、
浴びるように彼女の曲を聴き続け、「彼女の事が狂おしく好きだ」と自己暗示をかけながら次第にその妄想が現実にシンクロしていく過程を表した言葉です。この段において、高田にとって、作品構想段階での「設定」は実際の制作段階では「限りなく事実」に近い状態になっているという事です。自己陶酔、という表現では足りないほどの、梵我一如、あるいはスーフィズムが高田の中で実現しているという事なのです。この精神状態はいずれの作品においても通底しています。

 第二に、窃視的である事を他者に強いている事。高田は作品の中で、恥じる事なく肢体をさらけ出し(必要であれば羞らいの面持ちすら興じて見せる)、多くの作品の舞台が彼が実際に住む六畳一間のアパートの中というプライベート空間である事、そして繰り広げられる行為が秘して行われるべきような内容である事、これらを目の当たりにさせられる観衆は、もれなく窃視者のそれを強要されます。「見てはいけないもの」これほどに蠱惑的な鑑賞対象はなく、シチュエーションそのももの興奮が鑑賞者の目を濁らせます。まずは作品内容よりも状況に酔わせることで、一時的にでも鑑賞者の心理を揺さぶる事ができればそれは高田の思う壺、という事になります。そうなれば、あとは絶え間なく「見てはいけないもの」を押し寄せるように見せ続ければ、それは徐々に「見ずにはおれないもの」へと変化して鑑賞者の心はもう逃れられません。裏を返して、高田側からの露出趣味的なアプローチによって、と置き換えて考えてみるのも一考の価値ありです。

 第三に、その自/他の関係性を巧妙かつ狡猾に自らの支配下に置いている事。昨今の流行に準えれば、instagram的あるいは自撮り的、とでも表現すれば良いのでしょうか。プライベートなワンシーンを切り取っているようでいて非常に演出と計算によって作り出されたイメージを、他者の視線に晒されることを確実に意識した上でそれを無自覚を装って公開するというような、虚栄心や自己承認欲求を強く思わせるものがあります。

SNS上ならばそれはお互いの了解において、言い難い鬱陶しさも織り込み済みの楽しみ方なのでしょう。しかしながら、高田の場合、それが必ず衆目に触れる美術作品であるという大前提に乗っている以上「そんなつもりはなくて、ついうっかり」とお決まりの言い訳も通用せず、そこになんらかの明確な意図を秘していると読むべきなのです。おそらく高田の作品の根源的な特異性はその一点に集約しているものと思われます。まるで詰め将棋でこう打てばこう返されると一人で先を読み進めていくように、自己の見せ方と他者からの見え方について常に相対的な視点を保ちつつ尚且つ深く自己に没入していく、という離れ業をやってのけているのです。特に、他者からの見え方の部分を意図的にコントロールすべく様々な仕掛けをしていく(第一、第二の点を踏まえて)様子は、さながら得体の知れぬ催眠術のようで空恐ろしくさえあります。

 今回の個展では、ダンス評論家の木村覚氏との協働で行われた「超連結クリエイション」でも話題となりましたニジンスキーのバレエをモチーフとした映像作品「牧神の午後」など、正式未発表の近作及び、最新作品を交えた構成を予定しております。「STORYTELLING」は同名の映像作品(2014年制作)から取られていますが、これは自らの臀裂から肛門にかけて青いインクを垂らし、臀部を引き締めてから開くとロールシャッハテストのような左右対称の図柄が出来上がり、それをモニターしながら密やかにそして真剣に何に見えるかを滔々と物語る作品です。この秘めやかで濃密なシチュエーションを、まざまざと人目に晒してしまう、内的にも外的にも極端に振り切れた欲求を突きつけてくる作品から取られていることで、「物語り」という柔らかな意味合いを超えて、何か耳元で誘惑を囁かれ続けるような居心地の悪さすら感じさせ、いかにも相克する高田の深遠な内面世界と響き合うように感じられます。

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