ボストン美術館所蔵 俺たちの国芳 わたしの国貞

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会 期
20160319日 -  20160605
開催時間
10時00分 - 19時00分
入館は18時30分まで
毎週金・土曜日は21時00分まで(入館は20時30分まで)
入場料
有料
一般1500円(1300円)、大学・高校生1000(800円)、中学・小学生700円(500円)
※( )は前売りおよび20名以上の団体料金。団体は電話でのご予約をお願いします(03-3477-9413) ※学生券をお求めの場合は、学生証のご提示をお願いいたします。 (小学生は除く) ※障害者手帳のご提示で割引料金あり。詳細は窓口でお尋ねください。
作品の販売有無
展示のみ
この情報のお問合せ
03-5777-8600(ハローダイヤル)
イベントURL
情報提供者/投稿者
開催場所
Bunkamura ザ・ミュージアム
住所
〒150-8507 東京都
渋谷区道玄坂2-24-1 B1F
最寄り駅
渋谷
電話番号
050-5541-8600(ハローダイヤル)

詳細

展覧会内容

 テレビやグラビア雑誌がない時代、江戸の人々は浮世絵のなかで縦横無尽に暴れまわり活躍する人気役者や英雄たちに憧れ、美しい女性の姿に夢描きました。彩り豊かで精緻を極めた幕末の浮世絵は歌舞伎スターのブロマイドでもあり、最新のエンターテインメントやファッション、メイクアップツールのカタログともなりました。さらにはレジャースポット紹介やグルメガイドとなって人々が追い求める情報を伝える重要なメディアであったのです。
 この展覧会では、世界に冠たる浮世絵コレクションで知られるボストン美術館より、大御所の葛飾北斎や名所絵(風景画)で知られた歌川広重らと同時代に活躍し、絶大な人気を博した二人の天才浮世絵師・歌川国芳(1797~1861)と歌川国貞(1786~1864)の選りすぐりの170件(約350枚)で、江戸の世界を体感していただきます。
 彼らの作品の魅力を直接的に実感するために、本展では江戸の国芳・国貞ファンたちと現代の私たちの共通する心情を探ります。
 少年マンガをむさぼり読むように、江戸の「俺たち」は国芳描く任侠の世界に憧れ、物語のヒーローの姿に熱くのめり込み、自分と重ね合せたでしょう。そして鉄火肌の姉様(アイドルグループ)たちの揃物(シリーズ)をみながら、仲間うちで自らのお気に入り(推しメン)を語り明かしたに違いありません。
 国貞の描くキラキラ輝く歌舞伎役者(スター)たちは、江戸の「わたし」にとって恋い焦がれる夢の世界の登場人物です。ご贔屓の俳優が絵に登場すれば、何はともあれ買い求めます。可愛さ溢れるチャキチャキした少女の着物や髪飾りをみれば、現代の雑誌で読者モデルを見るように、彼女のファッションをみならい、アクセサリーを買い求めようとしたことでしょう。
 江戸の「俺たち」や「わたし」の夢見る世界を、的を外さず描き出した国芳と国貞の浮世絵で、江戸の人々が心躍らせ、わくわくした体験を実感していただこうと思います。

歌川国芳(1797-1861) 現代のクリエイターも刺激する天才肌。
 国芳は江戸日本橋(あるいは四谷とも)で、染物屋の子として生まれた。幼い頃から絵心に目覚め、15歳の頃に歌舞伎役者の浮世絵で当時、一世を風靡していた初代歌川豊国に入門した。しかし月謝を満足に払えなかったのか、師匠からの引き立てもほとんどなかったようである。あるいは国芳と豊国のそりが合わなかったのかも知れない。国芳は兄弟子のところに居候して仕事を手伝い、鳴かず飛ばずの時代が長く続いた。その頃、人気絶頂の国貞が芸妓らと遊興に耽るのを目撃した国芳は、その悔しさをバネにいっそう発奮し、画業の研鑽を誓ったという。
 江戸に「水滸伝」ブームがおこり、中国の豪傑たちの物語に人々が熱狂し、30歳を過ぎた国芳が描いた豪傑たちが大当たりすることになった。「武者絵の国芳」と大いに賞され、国芳がデザインした登場人物の彫り物までが、男たちの心意気を示すトレードマークとなり大流行となった。ここに至ってようやく国芳は、人気絵師の一人となったのである。
 天保の改革後に、風景画や戯画などさまざまなジャンルが広がり、国芳はそこでも思いもつかないような斬新なアイデアで人々を驚かせた。さらに当時の世相を揶揄し風刺する浮世絵も描いて、江戸の人々の話題をさらった。
 国芳の人気は、歌舞伎の登場人物として国芳自身が取り上げられるほどとなった。そして「葭(よし=国芳)がはびこり、渡し場(わたし船の株を持つ国貞)の邪魔になり」という落首(落書き)もあらわれた。
 国芳の絵には、しばしば国芳自身の後ろ姿が登場するが、そこにはへそ曲がりな江戸っ子特有の職人気質があらわれているのかもしれない。そんな国芳は、弟子たちに慕われ、その流れは明治以降も脈々と続いていく。そして歴史、伝奇物語の英雄たちを豪快に描き、奇抜なアイデア、デザインを生み出す国芳のセンスは、現代のクリエイターにも刺激を与え続けている。

歌川国貞(1786-1864) 女子の支持率No1。モードにこだわる人気絵師。
 国貞は江戸の本所に、渡し船営業の株を持つ材木問屋の子として生まれた。15、16歳頃初代豊国に入門する。国芳の兄弟子にあたる。裕福な商人の子である国貞は学資に事欠かず、豊国の引き立てもあったのか、早々に美人画、役者絵の錦絵を発表する機会に恵まれた。
 文化11,12(1814,15)年頃の大首絵「大当狂言ノ内」シリーズは、人気役者の特徴をみごとにあらわして高い評判を得た。当時の浮世絵師番付では、大関の師、豊国に次いで国貞は関脇に位置している。その後、役者似顔絵の数々のヒット作を生み出した国貞は、役者絵において師匠を超えたと評されるほどとなった。
 美人画のジャンルでも、当時流行りの着付けや髪型、化粧法を取り入れて、時流に乗った女性像を描き出した。町方の娘やさまざまな職業、年齢の女性たちを的確に描き分け、生き生きとした表情によって女性の内面までも、絵からにじみ出るほど迫真の描写をみせている。
 さらに国貞は古典の「源氏物語」を通俗的に書き直したベストセラー小説『偐紫田舎源氏』(にせむらさきいなかげんじ)の挿絵を担当した。歌舞伎を思わせる絵で「源氏絵」というジャンルを生むほどの人気を博し、髪型や着物やキセルといった道具類など、登場人物のファッションが江戸の流行になるほどであった。
 人気絵師として盤石の地位を浮世絵界に築いた国貞は、歌川一門の大名跡「豊国」を継ぐこととなる。しかし初代の養子となった豊重が二代目を継いだにもかかわらず、後に国貞は三代ではなく「二代豊国」と強引に名乗っている。並々ならぬ浮世絵にかける国貞の執念の強さがうかがえる。
 国貞は門人も多く抱えて、工房制作を行うことで機能的、効果的に数多くの錦絵を描いた。長い作画期間に、数万作ともいわれるほど大量生産され、幕末の浮世絵界随一の人気を誇った。この時代の浮世絵は、国貞抜きには語れない。

一幕目の一 髑髏彫物伊達男(スカル&タトゥー・クールガイ)
 国芳は躍動感あふれるポーズやスタイリッシュな着こなしの男の姿を、目がチカチカするほど微に入り細をうがち描いた。国貞は、人気役者が演じる好漢たちを役者の顔や表情、演技の特徴までとらえ、歌舞伎役者と冒険活劇の男たちを重ね合わせた。「水滸伝」を始め、史実と虚構をない交ぜにした物語に登場する男たちはみな強烈なキャラクターで、江戸の男たちは絵を前にして、お気に入りのメンバー=推しメンの話題で盛り上がるのである。

一幕目の二 物怪退治英雄譚(モンスターハンター& ヒーロー)
 国芳描く、画面から飛び出てくるかのような「がしゃどくろ」も、正悪入れ替って絵のなかでは主人公。国貞は、超常現象や霊能力が渦巻く世界で大活躍する空想伝奇の登場人物を、歌舞伎の舞台の仕掛けに移し替え、人気役者に英雄を重ね合わせた。強烈なインパクトを生み出す国芳と国貞の絵を見た人々は、伝説の英雄たちが奇っ怪な物怪と対決するドラマに、まさに現実的(リアル)な共感を引き起こされたであろう。

一幕目の三 畏怖大海原(ホ ラ ー・オブ・ウォーター)
 ひとたび荒れ狂う大海原に投げ出されれば、ひとたまりもない。その海を絵にあらわし、人々の目を驚かせ、畏怖の念まで抱かせることが、国芳のテーマであった。青の濃淡であらわされた波涛は水の質感を生み出し、砕ける波しぶきは花火のような形である。

一幕目の四 異世界魑魅魍魎(ゴースト& ファントム)
 怪異や物怪が生みだされる核心は人の心の内面にこそある。国貞は役者の人間味が醸し出す怖さを描き出したが、国芳は物語性を強く打ち出した。人の恨みの強さを強調するように、美醜の違いを際立たせて描き、正体があらわれる場面では、うっすらと変化させていくことで未練を感じさせ涙を誘い、屏風の絵から亡霊が蠢うごめきだす瞬間をとらえている。

一幕目の五 天下無双武者絵(サムライウォリアー)
 保元・平治の乱や源平合戦といった古典の軍記物は、江戸の人々が大好きな「時代劇」の格好の主題となった。幕府が禁じた戦国時代の物語も、武将の名を少しだけ変えて見せれば、伝説の群雄の物語とわかる。そんな誰もが知る戦陣話は歌舞伎にもとりあげられて、人気小説の挿絵にも描かれた。それらの定番シーンを三枚続きに拡大した大パノラマ画面で描き出して、国芳は人々の目を楽しませた。

二幕目の一 三角関係世話物(トライアングル オブ ラブ)
 三角関係は、江戸の人気小説や一般庶民の社会生活を題材にとる歌舞伎の「世話物」にも絶好のテーマとなった。それだけ世間の強い関心ごとでもあったのだ。国貞は複雑な人の機微を、迫真の演技で克明ににじみ出す人気役者を、細やかにそして華やかに描き出した。
それに対し、国芳は提灯が発する光を放射状に広がる線であらわす演出効果などで、背景描写に力を注ぎ、劇的なシーンに強いインパクトを与えている。

二幕目の二 千両役者揃続絵(カブキスター コレクション)
 役者絵は現代のブロマイド(アイドルの生写真)だとよく言われる。「役者絵の国貞」と評された国貞は、揃いの浴衣を着ていても各人が光を放つほど、人気役者の特徴を細やかにとらえ、まるでアニメの主人公が強調される場面の特殊効果のように、背景に華やかな模様や色彩を施して役者を彩る。国芳は贔屓筋(ファンクラブ)に配る團十郎の非売品の寂寥(せきりょう)感ある死絵を描いている。

二幕目の三 楽屋裏素顔夢想(オフステージ)
 役者たちが夢のような現実離れした物語を舞台で演じて、大活躍するからこそ、日常の素顔を知りたいのがファンの偽らざる心情。国貞はそんなファン心理もお見通しで、江戸や大坂道頓堀の歌舞伎劇場の舞台裏を垣間みせ、役者たちが素顔を見せる楽屋の喧騒の様子をありありと描いている。三階には大立者や大部屋、二階に女方の部屋があり、一服付けるところや、衣裳方が役者に裃(かみしも)を付け、床山が鬘を整えているところまで描き出す。

二幕目の四 痛快機知娯楽絵(ザッツ エンターテインメント)
 幕府の締め付けによって役者絵や遊女を描く美人画に規制がかかり、浮世絵業界は人々の購買欲をそそる新たなジャンルをみつける必要が生じた。趣向を凝らした題材がいくつも見出されたが、その中の一つが滑稽で、痛快な戯画であった。国貞はいくつかの事柄の絵で、俳優の名を示す「判じ絵」とともに半身像を描いたが、国芳は壁の落書き(グラフィティ)のような俳優の顔で人を喰う。

二幕目の五 滑稽面白相(ファニー ピープル)
 超高層ビルの建設が話題となるように、江戸の町に大きな建物がたてば、国芳はすぐさま取り上げ、その上、子どもの大工が玄人仕事をこなすひねりを加える。大評判の興行(イベント)やできごとは、すぐさまニュースとなって、浮世絵にただちにとり上げられた。プロデューサーである版元は、旬(ホット)なニュースを題材として発注し、国芳がさらなる趣向を凝らした絵で、さらに話題を広げたのだ。

二幕目の六 今様江戸女子姿(エドガールズ コレクション)
 浮世絵の華は、人気俳優の似顔絵である役者絵と遊女を描いた美人画である。しかし禁令によってまかり成らぬものとされ、町家(素人)の娘たちを題材にしたものが活況となった。国芳は、男に媚びない威勢のよい女性の気きっぷ風のよさが画面からみてとれ、艶やかな国貞の女性は、持ち物の小物、装飾品のすべてが可愛らしい。江戸の女性が、彼らの絵をファッション・カタログとして見ていたとしても不思議ではない。

二幕目の七 四季行楽案内図(フォーシーズン レジャーガイド)
 土日の休みもない江戸時代、社寺のお祭りや縁日は、人々にとって信心だけでなく、なくてはならないイベントだった。それは四季折々の花を愛でる機会でもあったし、高級料理屋でご当地の名物を楽しむグルマンたちの目をひきつけた。国芳の描く女性は、男たちの目をひいて、その盛り場に足を向けさせ、国貞の絵に登場する女性たちは、まるで祭礼の現場でロケを行ったグラビア雑誌のモデルのようだ。

二幕目の八 当世艶姿考(アデモード スタイル)
 幕末の吉原で、高級遊女である花魁(おいらん)を揚げて遊ぶのは大店の商人ら富裕層である。有名な遊女は高級店が入銀(出資)して、宣伝目的で浮世絵に描かれることもあった。そんな二次元上の遊女をみた男たちは、よりいっそうの憧れをつのらせたであろう。国貞は、町家の女性たちの仕事に追われる日々の暮らしのなかの艶(なまめ)かしさを見出しながら、高級遊女の姿を、打掛の柄や装飾品に至るまで、緻密にそして色鮮やかに描き出す。

関連イベント

巡回
[神戸展]
 会期:2016年6 月18日(土)- 8 月28日(日)
 会場:神戸市立博物館

[名古屋展]
 会期:2016年9 月10日(土)-12月11日(日)
 会場:名古屋ボストン美術館

主催・協賛・後援

【東京展】
主催:Bunkamura、ボストン美術館、日本テレビ放送網、読売新聞社、BS日テレ
協賛:光村印刷
協力:日本航空、日本通運、CS日テレ、ラジオ日本、J-WAVE、文化放送、テレビ神奈川
企画協力:NTVIC

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