佐藤克久 「・・・けれど難しい事に、実はそれらすべてを すっかり忘れた時に出来るのである。このようにして描かれたものが傑作である。

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会 期
20151003日 -  20151107
開催時間
11時00分 - 19時00分
休み
日・月
入場料
無料
作品の販売有無
販売有
この情報のお問合せ
児玉画廊
情報提供者/投稿者
開催場所
児玉画廊 | 東京
住所
〒108-0072 東京都
港区白金3-1-15
最寄り駅
白金高輪
電話番号
03-5449-1559

詳細

参加クリエイター

展覧会内容

児玉画廊|東京では10月3日より11月7日まで佐藤克久「・・・けれど難しい事に、実はそれらすべてをすっかり忘れた時に出来るのである。このようにして描かれたものが傑作である。」を下記の通り開催する運びとなりました。児玉画廊においては2013年の「さひつかうとさ」以来二年ぶりの新作個展となります。
 佐藤は、自分にとって絵画の制作は「選ぶこと」に終始するのだと言います。キャンバスの生地や大きさ、絵筆、絵の具の種類といったような素材について、あるいは色彩や線の一つ一つ、ストロークの強さやタッチなどの実際的な絵画の構成要素について、そのいかに些細な局面においても「選択」は無限にあり、故に、その先にある絵画というものについても同様に可能性は果てないものである、という信念を持って制作しています。これは、決して新しいアイデアでもなければ、絵画とはそもそもそういうものだと言い切ってしまえば、聞き流されてしまう程の事ではあります。しかし、佐藤にとっては、この当たり前にも等しい、根本的な所まで立ち返り、それを自覚し続けることに本意があります。絵画に関する行為の全部、文字通り「全て」に対して自らが「選択」したのだという、微塵も言い逃れのできない絵画制作の態度を保ち続けること、これは並大抵のことではありません。
 佐藤の作品は、一見手数も最小限、構成も極めて単純明快で言及すべき特色のない抽象絵画のような面立ちではあるものの、何か引っ掛かるものが潜んでいるようにも思え、目を凝らしてその理由を探るけれどもやはりそれはなかなか見えてこない、、、
そんなもどかしさに見る者を引きずり込んで離さない面白さがあります。その理由は、佐藤がその作品に対して行った「選択」が何であるか、それが浅薄な憶測では到底理解が及ばないものであるからです。苦慮に苦慮を重ねて一つの行為を「選び」、それを繰り返して作り上げていく画面には、作家の苦悶がこれ見よがしに現れることは一切なく、そう描かれるべくして出来たもののようにあるのみです。佐藤の作品を前にして、作家の思慮のわずかながらの片鱗が頭に引っ掛かるからこそ、向けた目を逸らすことができないのでしょう。
 例えば、幾つかの色彩をシンプルに重ね合わせた構成が佐藤の作品にはよく見られますが、その単純な色を重ねることについてさえ、どの色彩をどのように重ね合わせていけばいかなる視覚効果が得られるか、まるで詰将棋のように最善最低限の手段を「選択」した結果であると同時に、筆触や筆圧のニュアンスの違いなどその都度画面上で起こる偶然にも呼応するように二次、三次と重ねた「選択」の蓄積によって描かれているのです。極端な例として、そうした意識的な行為は時にキャンバス端の折り込み方や、画面の張り具合にまで及びます。
 今回およそ二年間の制作期間を経て発表される新作は、「傑作」についての佐藤の思考を主題として描かれたものです。止め処ない思考のループがやや饒舌にも思える個展タイトルにも現れていますが、これまで佐藤が試みとして行ってきた「選ぶこと」の果てには「傑作」があるというのです。おそらくは、ここで佐藤が言う「傑作」とは、万人に認められて最高の評価を得るものという意味よりも、自分自身へ向けられた戒めのように発せられているように思えます。佐藤がこれまで成してきたことは、絵画という目的のために描くのではなく、描くという行為を目的化することであり、作品はその結果として提示されてきました。絵画を志向する以上、良い絵、「傑作」を望むのは当然のことながら、「傑作」を描くという目的を先に掲げてしまっては行
為に固執し続けてきたこれまでの行いと乖離することになります。つまり「傑作」を描かんとする野心を払拭し、絵を描く行為そのものに没頭する事によって自分が企図しない「傑作」が生まれる事を固唾を飲んで待つのです。有名なバルザックの短編
「知られざる傑作」では写実主義隆盛の中孤高に己の求める傑作を追求する老画家の姿が描かれていますが、その画家は傑作と自認する絶筆となる作品を周囲に認められることなく失意のまま世を去ります。今ある価値基準と既成概念に囚われ、およそ写実とは違う自分の絵を解さぬ友人たちに彼は突き刺さすような言葉を向けます。「芸術はいずこにある?失われた、消えてしまったのだ。」と。佐藤の作品を前にすると、画家にとっても鑑賞者にとっても、「傑作」というものへの前のめりな期待や憧憬、技巧や技術、知識、それらはむしろ「傑作」を遠ざけ芸術の本質を見失わせるだけで、「それらすべてをすっかり忘れた時」不意に現れてくるものなのかもしれない、と、逡巡とも諦めともつかない尽きせぬ思いに駆られます。つきましては本状をご覧の上展覧会をご高覧賜りますよう何卒宜しくお願い申し上げます。

敬具
2015年9月
児玉画廊 小林 健

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