前川多仁 展 『KITSCH』

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会 期
20110223日 -  20110313
開催時間
11時00分 - 19時00分
休み
月曜定休
☆最終日の展示は18:00までとさせて頂きます。
クリエイター在廊

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この情報のお問合せ
neutron tokyo
TEL&FAX 03-3402-3021
イベントURL
情報提供者/投稿者
開催場所
neutron tokyo
住所
〒107-0062 東京都
港区南青山2丁目17-14
最寄り駅
外苑前
電話番号
03-3402-3021

詳細

参加クリエイター

展覧会内容

盛り上がる一方の若手陶芸界を横に見やりながら、同じく伝統工芸と先端美術の狭間で「染織」の分野から気鋭の作家が立ち上がる!
コンピュータジャカードやインクジェットプリントといった最先端の技法と、ろう染めの様な古くからの技法を組み合わせ、子供の頃に夢見たヒーロー像のファンタジーと現実の様々な要素を渾然一体と織りなす唯一無二のタペストリー。
崇高と世俗の間に生まれる「キッチュ」を追い求め、おおいなる野望が今明らかになる!!

[Creator Statement]
ろう染め、スクリーンプリント、インクジェットプリント、コンピュータジャカード織りなどの技術を取り入れ、手仕事とコンピュータテクノロジーを用いた機械による技法を複合させる染織作品などを展開。
キッチュをキーワードに研究し、現代美術における染織工芸の可能性を探る。おもにマンガ・アニメ・特撮・ゲーム・音楽などのサブカルチャーから多くの影響を受ける。
※ろう染め・・・一般にいう「ろうけつ染め」のこと。近年、「ろう染め」として国際的に言語統一しようという動きがある。英語表記は「R?ZOME」。

制 作 テ ー マ 「 キ ッ チ ュ 」 に つ い て

■ヒーローと神 ~キッチュをめぐって~

私は派手なもの、きらびやかなもの、つまりキッチュなものに魅かれてやまない。
キッチュは一般に俗悪や低俗とされるように、大衆の下等な芸術にみられる要素として扱われてきた。しかし、祭事に使われる道具や衣裳、寺社仏閣や神仏像の装飾などにみられるように、キッチュは人々の願いや欲望を詰め込み、強烈なエネルギーを放つ。キッチュは人々の満たされない現実に対して「肥大化するイメージ」を現実のものとして表現したものであると言える。現実とはどうしても、常に何らかのかたちで幾分かは満たされないものである。他方、イメージには限界がなく、人々の憧れ抱くイメージは膨張しつづける。そうした「肥大化するイメージ」へ向かって形成されるキッチュは、究極的には万能の力を示す表現となり、人を超越した存在、すなわち神の代替となる。それゆえにキッチュは呪術性を帯び、人力を超えたエネルギーを放つ。
私は染織という布を媒体にした表現方法をとる。染織は工芸とされる分野で培われてきた。工芸とは、かつては生活に根ざした芸術であり、大衆芸術に深くかかわる芸術である。その点において、工芸とキッチュは切り離すことはできないが、私が染織という表現方法をとるのは、それだけが理由ではない。

私が表現媒体の主体とするものは、あくまで布である。布はそれ自体だけでは自立することも困難で、繊細で軟弱きわまりない。油絵のような厚みすらない。一見すると、私が求めるキッチュの強いエネルギーと相反するものの ようにも思える。しかし、キッチュが向かう「肥大化するイメージ」は満たされない現実と表裏一体に存在する。
満たされない思いが強くなれば、「肥大化するイメージ」もいっそう膨張する関係にある。私にとって布の繊細さや軟弱さは、現実の弱い自分自身の鏡のように思えてならない。その弱さを孕むことにより、反作用のように布に詰め込まれた欲望や願望のエネルギーは増強されるのである。そして、一枚の薄く軟弱な布に描かれた弱さを孕むヒーローは、弱者という同類への親和性によって、私自身と重なり合う。

近代産業と情報化が進展する現代社会において、モノと情報が溢れ、人々はキッチュから逃れがたく生活している。ポストモダン以降、「大きな物語」が機能しにくくなり、宗教もかつてのような絶対的な機能を失った。しかし、私たちは、心のよりどころにする神をも失ってしまったのだろうか。否、もちろん失ってはいない。むしろ、キッチュが溢れる消費社会に野放図にあらわれるサブカルチャーの中で神は増殖しつつある。例えば、ギャル文化では、カリスマモデルは彼女たちの神のような存在であり、そのモデルが持っているものを、まるで御守のように自身も同じく携帯する。このように神はサブカルチャーの中で受け継がれ、私たちはテレビヒーローにも神をみるようになる。

人は、神を人間に憑依させるために仮面という道具をつかった。仮面をつける時、大袈裟なキッチュともいえる儀式が行われ、人々はキッチュのもつ呪術性によって「肥大化するイメージ」の世界へ引き込まれ、さらにそのイメージの世界から表出した、仮面をかぶった人を、それ自身のキッチュな風体をも加え、人としてではなく神そのものとしてみた。同様にテレビヒーローも大袈裟なキッチュとしかいいようのない変身という儀式を介し、それ自身の風体も加え、人間を超越した存在になる。そのヒーローは完全無欠な正義の味方であり、あらゆる危機から私たちを救ってくれる。つまり、私たちはヒーローをいつの間にか神格化しているのである。そうしてヒーローはますますキッチュ化し、私たちは、ヒーローに神を、サブカルチャーに神話をみようとしているのではないか。

私が作品を制作することは、キッチュの呪術性もと、ヒーローの勇士を神像として昇華することに他ならない。

[主催者コメント]
極彩色の、とりわけ真っ赤な染め物にキラビやかな金糸が施された作品は、その存在感だけで充分威圧的である。スペインの闘牛士のマントの赤は牛を興奮させるために選ばれたとされるが、日本でも赤(朱や紅を総じて)は国威発揚に用いられてきたばかりか、子供が見るテレビ番組においては必ず赤=正義の色とされ、五人組の戦隊ものでは赤は絶対的なエースとしての主役を張る。他方、赤は血の色を連想させるため、その使い方次第ではおどろおどろしく、グロテスクな表現へと一気に傾倒する危険性を孕む。テレビの戦隊ものの戦いでは決して血を流す場面は写されることなく、あくまでフィクションとして爆発してみせ、そうかと思えば倒したはずの魔人が巨大化して再度登場したりと、一気に現実から遠のきながらお約束のフィニッシュへと向かうのである。赤は正義の味方たらん子供達の中でも選ばれた一握りしか身に纏う事を許されない色であり、多くの控えめな子供達は青や緑、女の子はピンクに甘んじて役柄を全うせんとする。赤は勇者の色であり、覚悟を表す色でもある。
 前川多仁の用いる赤はもちろん、現代美術を通じて強いメッセージを発する上での覚悟の色である。と同時に、彼はまさに上述のテレビヒーロー達に魅入られて育った世代でもあり、カラーテレビによる恩恵とその裏に潜むコマーシャリズムの影響を多大に受けて育ったことは見逃せない。彼が伝統的な染めの技法である「ろう染め」を習得しながらも一方ではコンピュータジャカード織りやインクジェットプリントなど先端の染織技法を取り入れ、虚実ないまぜに構築する作品において、アナログとデジタルが混在しながら破綻することなく強固なオリジナリティーを発揮しているのも、おそらくは幼少の頃から接して来た文化や娯楽を分け隔てなく融合させているからこそであり、それが時代のリアリティーを正直に反映しているのである。
 彼の用いる「キッチュ」という単語は聞き慣れている様で、なかなか用いる場面は少ない。「一見して俗悪、異様なもの、毒々しいもの、下手物などの事物に認められる美的価値」とされ、「複製技術の発達した近・現代において大量生産された工芸品などに見いだせる」とされる(wikipedia 引用)。つまり本来の手仕事によるアート(arte=ギリシャ語語源で「手」を表すことばから)と区別されるのは、20世紀の近代工業の発達による消費の多様化、ものづくりの大きな変革から派生した概念であることは間違い無い。前川が言う様に、日本人は侘び寂びを古来から美徳として大事にしながらも、一方では大衆文化において脈々とキッチュ的な価値観を受け継いできており(歌舞伎(傾き)など)、ことさら近代以降は大量生産、大量消費のシステムによってキッチュは流通し、一気に身の回りに溢れたのである。陳腐なのに愛すべきもの。決して現実には訪れないであろう興奮・高揚感を気軽に再現するイメージの氾濫。それを卑下するのは簡単でも、実際に今現在に至る日本の文化からそれを排除することは極めて難しい。もはや現代日本人のDNA には動かし難い位置に植え込まれたキッチュの遺伝子は、子供ばかりか大人さえも虜にしながら日本全土を制覇しているのである。
 昨年夏に現代絵師・天明屋尚が提唱し展覧会を実現した「BASARA」も、まさにキッチュと背中合わせに成り立っていたことは見逃せない。勇壮なデコレーショントラックや、彫り師による入れ墨の禍々しさは展示された各ジャンルの美術作品と同等あるいはそれ以上に存在感を発揮した。また、ラブホテルという日本独特の文化発信源の佇まいや、インターネット上の仮想空間におけるサービスの過度な広告性・娯楽性などにおいても、説明不要のキッチュが浮かび上がる。日本経済・文化は伝統美や先端デザイン・アートにおけるスマートさをいくら訴えても、大衆の望み/生み出すサブカルチャーの孕むキッチュの精神の前には太刀打ちできないのでは、
とさえ思ってしまうほどである。だとすれば、前川が美術と工芸の狭間で、上質と卑下を布一枚の中に渾然一体と織りなす様は、それそのまま日本の文化と美的なものの変遷を表していると言えなくもないだろう。登場するキャラクターやモチーフには子供騙しを超えた切実な存在意義を見出すことが可能であり、実際にそれらに囲まれて社会へと巣立った私達のタイムカプセルのごとく、見過ごせないものばかりである。まさに私達現代日本人にとっての押し入れの財産として、あるいは心の中の秘宝として色あせることのないロマンが、そこには在る。絢爛豪華な色彩と細やかなディテール、確かな技術と革新的なアイデアによって生み出された21 世紀の
タペストリーには、現実と向き合う上で大切な勇気と愛とハッタリが溢れている。
 金色の布団で見る夢は、戦国時代の織田信長のそれに匹敵するだろう。

gallery neutron代表 石橋圭吾

関連イベント

初日(2/23・水)の18:00~20:00に、会場で作家を交えてのオープニングパーティー開催(無料)

関連情報

neutron tokyo 1F main gallery + 2F salon にて展示

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