開催時間 |
11時00分 - 19時00分
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休み |
土 11: 00 - 17: 00
日曜・祝日 閉廊 |
クリエイター在廊 |
有
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この情報のお問合せ |
ギャラリー・ショウ・コンテンポラリー・アート
高橋・森 info@g-sho.com http://www.g-sho.com |
情報提供者/投稿者 |
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住所 |
〒103-0027 東京都
中央区日本橋3-2-9 三晶ビル B 1 F |
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最寄り駅 | 日本橋 |
電話番号 | 03-3275-1008 |
本展覧会は、日本家屋の庭で行われる性行為を描いた「庭いじり」、青い空を背景にした「西海岸」、幼い兄弟が車に轢かれる光景を描いた「キャー!ダーリン!!」などを含む新作で構成されます。
5-6歳の頃から、ピアノの上で好きなだけ春画を模写していた原体験を持つ吉岡にとって、性行為は本能的な欲望、自然法則のひとつであり、美しく愛しい行為として存在しています。
「筆を止めたくないから、流れの中で出てきたものを描きだす」という彼の制作姿勢は、てらいのない性の賛美や性的身体反応を背景に、ダイナミックなストロークと一筆描きのような迷いのない筆致によって、あからさまで、かつ愛しさあふれる快楽表現へと純化されていきます。
善悪を兼ね備えた、避難場所にも殺人現場にもなり得る微妙な位置としての「コンビニ」を好んで描く吉岡の嗜好性は、地方都市のぼんやりとした平穏と狂気性を漂わせながら、画面全体を夢幻世界へと変容させるのです。
「初期衝動のまま描き続けている」という吉岡の作品は、セックス=性と身近にある死生観が、ある種の短絡さを持って共存する心地よさを湛えています。
吉岡さんの絵ってのは、いったい何なのでしょうか?
営みとしてのコンビニ通いと、セックス。まさか、その二つを並べることによって「現代文明批評」っていうワケでもないだろう。
確かにコンビニに行って、雑誌棚(いまパソコンの変換ミスで「雑死だな」という言葉になって、思わず何故か殺人現場の様子と共に検死官の「これは雑死だなぁ」みたいな台詞が頭に浮かび、ちょっと興奮した)にあるAV専門誌を見れば、男女の性交の場面を幾らでも日常的なコンビニ店内の風景の中に出現させることができる。だがそれは、彼の絵の中にあるような、何か心霊写真のような、そして白日夢のようなセックスではない。
ところでイメージとしてのセックスほど、意識無意識関係なく、人間の心を掴んで放さないものはないだろう。日常の光景に、突然性器を露出させた人間が登場した際の衝撃は、いまや駅のホームで轢殺死体を目撃してしまった際を凌駕しているのは、誰も否定できないだろう。例えば人間の死体が、コンビニの店先にポツンと置かれているところを想像してみるとホラー映画のようには叫ばないで、きっと「ああ、いま世界はとてもサツバツとした状況なのだった」くらいなことを呟いて納得してしまうだろう。言わば「何故死んでいるの?」というよりも先に「何故裸なの?」という時代なのである。
彼の絵はあたかも、かつては表裏一体として長らく語られてきた「エロス」と「タナトス」がいまや装いも新たに「エロス」VS「タナトス」といった戦争(何の?)の始まりを高らかに謳ったように、僕は感じる。
死よりもセックス。コンビニエンス感覚で死んじまうくらいなら、ガンガンにセックスしろ!などと深夜ひとりで原稿書いていたら、無性にセックスしたくなってきた・・・どうしたらいいんでしょうか?
中原昌也