パラモデル個展:UとP展

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会 期
20140517日 -  20140615
開催時間
12時00分 - 19時00分
休み
月曜・火曜/祝祭日
入場料
無料
この情報のお問合せ
MORI YU GALLERY TOKYO
tel:03-6803-0864
情報提供者/投稿者
開催場所
MORI YU GALLERY TOKYO
住所
〒101-002 東京都
千代田区外神田6-11-14 3331 Arts Chiyoda 204
最寄り駅
末広町
電話番号
03-6803-0864

詳細

参加クリエイター

展覧会内容

絵画とテクスト。パラモデルの今回の展覧会は中野裕介の世界を中心に展覧される。中野は絵画とテクストの狭間を行き来してきた。絵画とテクストを同時に平面におさめる際、そこに広がる創造や矛盾。そうした創造、矛盾、葛藤、といったことを「模型遊び」として作品化する。今回はプラレールを使ったインスタレーションで知られるパラモデルの裏ヴァージョンとしての展覧会であり、パラモデルの様々なコンセプトが多く散りばめられている。中野が作った作品からもう1人のメンバー林泰彦の作品性も透かしみえるてくる。これは彼等にしかできない曲芸のようだ。しかし二系統間の葛藤の果てに刻まれるのは良くも悪くも「傷」であろう。「傷」とはなにか。そこにもしかすると絵画とテクストの「間」にあるものをつかむ、パラモデルの「間」を理解するヒントがあるかもしれない。
 「私の傷は私以前に存在していた、私は、その傷を受肉するために生まれてきたのだ」というブスケの言葉を好む中野。「傷」をおったテナシイヌは、パラモデル結成当初から登場してくるキャラクターである。傷ついたテナシイヌの無い前足の部分から抜け道パッサージュのようなテナシイヌの無い前足の部分からうまれてくる万物を描いた平面やドローイング、ビデオなどは、プラレールインスタレーションの華やかで綺麗、かつ外部へと繋がっていく様相とは反対に、パラモデルの裏ヴァージョンをなすメタなもの、核となっている。藤子不二雄やドゥールーズとガタリといった二人の関係性を中野が語るように、この関係性は当初語った二系統間の問題と重なる。二項、二人がかかわるが故にうまれる創造から矛盾、葛藤そして「傷」へという方向性が一方であり、他方では「傷」を負ったテナシイヌが存在し、「傷」が存在する故に創造できるというという双方向性がパラモデルにはみてとれよう。これはパラモデルのパラドックスである。つまりテナシイヌはまたパラモデルそのものの「傷」とも解せるのだ。であるならばパラモデル自体、「傷」を受肉するために結成されたといっても過言ではないだろう。パラモデルはいつも既に傷ついているというとどこかのキャッチコピーのようだが、外部をも巻き込んでいく彼等の様々なコンセプトの裏には、やはりこうした「傷」が隠されているのだ。パラモデルの創造と葛藤はレールのように続き、交差してはまた離れていく。そう、実際プラレールインスタレーションをよくみてみると「傷」のようなイメージがあることにいまさらながら気付かされるのだ。思い返せば、パラモデルの最初のインスタレーションのため、企業にかけあって私がプラレールを見つけてきた瞬間から、否それ以前から、私も傷いていたのかもしれない、、、パラモデルと出会わざるをえないものとして。「傷」は痕跡である。何ものかと何ものかの接触によりうみだされてしまう「傷」は、記憶とも外部の記録とも違う「傷」を背負ったもの自らしか知り得ない感覚として現在という地平に存在している。「傷」でしかパラモデル二人の共有可能なものを表せない、「傷」しか二人を繋ぐパッサージュはないとも私には解せる。すくなくとも「傷」はその少なからぬ証なのだ。テナシイヌはパラモデル以前に既に描かれていた…そしてこのことはブスケにより既にテクストとして描かれており、中野はブスケを知らずしてテナシイヌを描いていた。
  絵画とテクストに戻ってみよう。以前黒田アキというアーティストに関して書いたことがある。
「黒田アキの作品《Le Monde1991-1993》(『世界』、1991-93年)には、彼の友人である小説家パスカル・キニャールの文章が書き込まれている。キニャールが黒田のために書いたA4ほどの紙20数枚の文章を黒田がキャンヴァスに書いていく。いや描いていく。黒田の書いた、描いた線は文字、エクリチュールでもある。いったいタブローと化したエクリチュールとはなにか。わたしが読み解くエクリチュールは、キニャールの文章であるのかどうか。それとも黒田の描いた線か。解けないエクリチュールの糸が、氷がとけるように、タブローの海に消えていく。それは解けたのか、溶けたのか。」
黒田とキニャール、黒田の作品とキニャールの作品、絵画とテクスト、これらの二項間にはなにがあるのか。それを解く鍵となろう黒田の作品がある。《conti/nuit/e》というタイトルの作品(『連続のなかの夜』)。時間という連続の中に夜がある。夜はいったいいつから始まりいつ終わるのか。微分されるように、その狭間は判然としないものの、確かに夜はある。黒田の絵画は台風の〈目〉のように静まりかえっている。しかしそれはあくまで、生成と混乱のさなかに、不意に訪れた「休止」でしかない。線が「縺れた」ところに、「フィギュール」としての「夜」がある。しかし、それは縺れたままではない。「夜」が終わりを告げるとともに、縺れた時間が動き出し、また「風」が吹き始める。そこで凍った海は溶け出し、縺れた糸は解けていく。「縺れては解ける」。しかしそこにはノイズが、アンデュレーションがある。夜は闇に近いパースペクティブを持つ。黒田がディディエ=オッタンジェを副主幹にして20巻を編集した雑誌の名前は『NOISE』であった。
もちろんパラモデルは、黒田のアプローチとは異なる。しかし似ているのだ。中野の書く、描くテキストも彼の絵画やドローイングの海の中で結んでは消え、消えては結ぶかのようにみえてくる。夜のように、朝に昼に解けてはまた夕方の後に生まれてくる。そしてまたこのようにも考えられる。パラモデルという時間の狭間(パラ//モデル)に林と中野はいる。するとパラモデル二人が互いを遥か彼方に見据える時、その間に広がるパッサージュとしての海が在る。然るにその海は決してスーパーにフラットではない、僅かにノイズが、否アンデュレーションがある。そこにモリユウギャラリーのアーティストたる所以がある。パラモデルたる所以もある。海面に浮かぶプラレールと深い傷を想いださせるであろう沁みる海水。プラレールインスタレーションはたんなるフォーマルなるものではない。揺れているのだ。それは本当の「傷」を負ったものにしかわからないのかもしれないが、中野の水道管を描いた絵画や、林のパイプのインスタレーションはそれをわかりやすく紐解いてみせてくれる。そうしたことを再認識させてくれるのが今回の展覧会でもある。パラモデルの間に存在する海が荒れ、パラモデルの間にいる中野と林の二人が縺れた時、黒田でいうところのフィギュール、あるカタチ、痕跡、「傷」があらわれる。まさに二人の接触による「傷」がそうなのだ。傷つけ、傷つき合いながら生み出される作品は、追随を許さないほどの強さと痛みを持ち、「俊徳丸」の背負った「傷」をともないアンデュレーションを生み出す。二人の間に浮かぶ小舟に乗っていると常に二人の間にある海の波を感じられるのだ。」

モリユウギャラリー森裕一

これからますます多くの方々にパラモデルの様々な側面に触れて頂きたいとおもっております。林から透かしみた中野というヴァージョンもいずれまた。ますますパラモデルの面白さがみえてくるかとおもいます。
どうぞ御高覧ください。

関連イベント

オープニングレセプション
5.17 (土) 18:00 - 20:00

パラモデル「UとP展」トークイベント
2014.6.15 [日] 15:00 - 17:00
中野裕介(パラモデル)のアーティスト・トークを実施いたします。
聞き手:河合政之(ヴィデオアーティスト)
森裕一(MORI YU GALLERY代表)
※参加費無料、予約不要

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