Kodama Gallery Project 42 大久保 薫「He」

大久保 薫「He」 (児玉画廊)
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    会 期
    20140215日 -  20140322
    開催時間
    11時00分 - 19時00分
    休み
    日・月・祝休廊
    入場料
    無料
    この情報のお問合せ
    児玉画廊
    情報提供者/投稿者
    開催場所
    児玉画廊|京都
    住所
    〒601-8025 京都府
    京都市南区東九条柳下町67-2
    最寄り駅
    十条
    電話番号
    075-693-4075

    詳細

    展覧会内容

    大久保は白金アートコンプレックスで開催された杉本博司キュレーション「メメント・モリ~愛と死を見つめて~」において、昨年児玉画廊でデビューを果たしております。そこで出品した肉体をモチーフとしたペインティング、彫刻作品およびドローイングインスタレーションは圧巻でした。大久保の作品は、「肉体」をテーマとしたペインティングであり、主に男性の裸体を力強い筆致で捉えていることが特徴的に見て取れます。しかしそれらは単に人体や性を礼讃するものではありません。
     大久保は、雑誌広告、ネット上からピックアップした人物の画像や、あるいは自分でポージングしセルフ撮影した写真など、「肉体」といっても生身の人間ではなく、一旦何らかのメディアを通して平面化された「肉体」をモチーフに絵を描きます。大久保の目指すところは、いわゆる彫刻における量隗(マッス)や解剖学的な意味での「肉体」の表現ではありません。一見いかにも筋骨隆々とした男性的肉体美を賛美するかのように見えますが、その造形や外面的な美しさではなく、自分を含む人間の「肉体」を概念的に対象化し、それが何であるのかの探求であると言えます。

     画家の目と思考と体の動きを通じて絵画が描かれているということは自明ですが、「絵画は作者の肉体を根拠とするべきである」という大久保の言葉は、その画家の「肉体」の存在が、観る側に十分に感得されるべく絵を描きたいという大久保本人の願望であり、制作の目的を表しています。しかし、単純にアクションや感情を筆致に残せば良いのかと言えばそうではありません。大久保にとっての「肉体」とは、血肉の通った物質的なものではなく、「存在」とでも言い換えるべき抽象的な対象なのです。いかにして「肉体」の存在を鑑賞者に伝えるか。大久保が人物像をモチーフに描くという行為は、視覚的な「肉体」に、自分の「肉体」の存在を投射する試みに他なりません。
     大久保はその試みの実践として、制作過程において次のような手順を踏みます。まずはモチーフとなる写真や印刷物上の人物像を見て簡単な模写を起こします。そして更にその模写を基にしたドローイングを何枚も制作し、最終段階としてそのドローイングをキャンバスに「描き写す」のです。模写によってまずモチーフの「肉体」のイメージを捉え、そして次のドローイングのプロセスで、自分の「肉体」のイメージを重ね合わせて徐々に変換させていきます。そして最後のペインティングでは、ドローイングによって醸成した概念的「肉体」のイメージのみを転写させ、それがいわゆるフィニッシュワークとなります。このペインティングの際の「描き写す」という態度が大久保の特異性を決定づける重点となっています。感情を抑制し、ただ正確に「描き写す」行為に集中することで、線描や筆致の中から情念を取り払って、モチーフと自己のいずれでもなくいずれでもある状態へと「肉体」を客観的に対象化していくのです。そうすることにより、ドローイングの時点で大久保の中で一旦肥大化した「肉体」のイメージから、残余物が濾過された「肉体」像を画面に表出させることができるのではないかと大久保は考えています。絵筆を握り
    しめて、いかに描くかとキャンバス上でのたうち回るのではなく、その苦悩はドローイングの時点で決着をつけ、置き捨てます。その一例として大久保は、過去作において自分の手癖を残さないように絵筆を長い棒の先に括り付け、わざと描きにくくした上でキャンバスに向かいました。ドローイングをただ「描き写す」こと、その行為だけで精一杯になるよう自分を仕向ける為でした。普通に絵筆を握れば当たり前に描ける反面、どうしても感情が筆致に宿ってしまい、取り払うべき情念が更に上書きされて、それでは大久保の目指す絵画にはなりません。(最近ではその描き方にも慣れ、もはや手枷ではなくなったのでその手法を止めています。)
     死生観、愛憎、性など、「肉体」をモチーフとすることはそれだけで多くを想起させます。肖像画や単なる人物描写なら、それで良いのでしょう。しかし大久保にとっては、そうした個人的、感情的な要素は「肉体」を描くための動機にはなり得ても、「肉体」の描写を通して表出すべき対象ではありません。だからこそ、大久保の作品上にいかに露な図像が含まれていようとも、そこにジェンダー論や図像学的見地を見出すことはなく、「絵画は作者の肉体を根拠とするべきである」という大久保の信念に基づいた、ただ「肉体」から出ずる「肉体」の表現であり続けます。

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