開催時間 |
10時00分 - 17時00分
入館は16時30分まで |
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休み |
月曜日
1/14 、2/25 (ただし、 1/13 、 2/24 の祝日・休日、 3/24 ・ 31 は開館) |
入場料 |
有料 一般 1,200円 (1,100円)、高大生 500円 (400円)、中学生以下無料、障がい者手帳・ミライロID をお持ちの方 300円 ※( )内は 20 名以上の団体の場合 ※価格は全て税込表示です |
展覧会の撮影 |
不可 |
作品の販売有無 |
展示のみ
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この情報のお問合せ |
アサヒグループ大山崎山荘美術館
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情報提供者/投稿者 |
住所 |
〒618-0071 京都府
乙訓郡大山崎町銭原5-3 |
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最寄り駅 | 大山崎 |
電話番号 | 075-957-2364(総合案内) |
アサヒグループ大山崎山荘美術館ではこのたび、1930‐40年代に活躍した洋画家松本竣介(1912-1948)の展覧会を開催します。竣介が生きた年代はまさに、大山崎山荘が建設され、多くの文化人や政財界の人たちが訪れた時代でした。
1912(明治45)年、東京に生まれた松本竣介は2歳で岩手県に移り、聡明な少年に成長しますが、13歳で病により聴覚を失いました。兄から油絵道具一式を贈られた竣介は17歳で上京し、本格的に絵を学びます。1935(昭和10)年二科展に初入選、36歳で亡くなるまで探求をかさね、制作に情熱を注ぎつづけました。静謐かつ抒情を湛える竣介の作品は、今なお私たちを魅了してやみません。
群馬県桐生市にある大川美術館の創設者大川栄二(1924-2008)が美術コレクションをはじめるきっかけとなったのは、松本竣介の作品でした。この展覧会では、大川美術館の所蔵する松本竣介コレクションを中心に、短い生涯のなかで確かな軌跡をのこした竣介の画業を、60点余りの作品とデッサンでたどります。
※2023年に大川美術館で開催された「生誕110年記念松本竣介デッサン50」展に出品された作品が巡回します。
[展示構成]
第1章 自画像
主な制作期間をほぼ戦時下に過ごした竣介は、読書家であり思索家でもありました。自ら雑誌の編集・発行に携わり、多くの言葉をのこしています。彼は自画像にどのような思いをこめたのでしょうか。
第2章 都会/郊外
17歳で盛岡から上京した竣介は「街の雑踏の中を原っぱを歩く様な気持ち」*で歩き、東京の街を題材としました。作品にはさまざまなイメージが組み合わされ、積み重なっています。
*松本竣介『人間風景新装増補版』中央公論美術出版、1990より
第3章 建物
都会の詩情あふれる竣介の風景画は、実は彼によって再構築されたものです。その光景は、戦時下にありながら静けさをたたえています。
第4章 女性像
竣介の女性像のモデルとなったのは、ともに雑誌制作にも携わった編集者である夫人禎子(ていこ)ら身近な人物のほか、スクラップブックに収められた切り抜きの女性たちでした。描き出されているのは特定の「誰か」ではなく、普遍性を帯びた「女性」です。
第5章 少年像
長男、長女を幼くして亡くした竣介にとって、1939年に生まれた次男の成長はこのうえない喜びだったことでしょう。少年を描いたデッサンからは子を見つめる父のやわらかなまなざしが伝わるようです。
第6章 構図
わが子の鉛筆画から着想を得た作品のように、戦後の竣介は新たな表現を模索しはじめていました。
しかし36歳でその情熱にあふれた短い生涯を閉じました。絶筆となった作品に描かれた暗い入口は、病に侵された竣介が覚悟した死のように感じられます。
〈コレクション展示〉
当館の所蔵する西洋美術コレクションより、クロード・モネの《睡蓮》のほか、若き松本竣介が影響を受けたアメデオ・モディリアーニとジョルジュ・ルオーの作品を展示します。
主催 :アサヒグループ大山崎山荘美術館公益財団法人
特別協力:公益財団法人 大川美術館
後援:京都府、大山崎町、大山崎町教育委員会、京都新聞、読売新聞京都総局、朝日新聞京都総局、毎日新聞京都支局、産経新聞社京都総局、 NHK 京都放送局、エフエム京都