開催時間 |
11時00分 - 18時00分
11月23日(土祝) |
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休み |
日曜日,月曜日,祝日
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クリエイター在廊 |
有
水土 予定 |
入場料 |
無料 |
展覧会の撮影 |
可 |
作品の販売有無 |
販売有
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子連れ |
可 |
この情報のお問合せ |
info@lokogallery.com
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イベントURL | |
情報提供者/投稿者 |
住所 |
〒150-0032 東京都
渋谷区鶯谷町12-6 |
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最寄り駅 | 代官山 |
電話番号 | 03-6455-1376 |
LOKO GALLERYでは初となる杉本克哉個展「YOU ARE GOD – Drop in the box-」を開催いたします。
杉本のモチーフは夥おびただしい数収集している幼少期の記憶が宿ったオモチャやミニチュアです。2020年に発表した箱庭シリーズの「YOU ARE GOD」に続き、今回の「YOU ARE GOD – Drop in the box-」では<型はめオモチャ>に使われている様々な形状の箱の中にミニチュアによる小世界が現出します。
その小世界の情景を砂つぶひとつも見逃さず、計り知れない時間をかけて精緻にキャンバスに描写するのはなぜなのか?「創造主は誰なのか」という杉本の宗教観からくる祈りが込められていると思わざるを得ません。
職業などを異にする9人の人たちが造る世界をひとつひとつ見ていくと鑑賞者もミニチュアのワンピースになって箱庭の世界に紛れ込んでいるかのようなインスタレーションによる展示も行います。
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“ ここに赤い箱のオモチャがあります。
40年ちかく前に僕が買ってもらったオモチャ。
箱の中には三角形、四角形、丸形、星形など様々な形があります。いわゆる「型はめボックス」で、知育玩具です。それから僕はたくさんのオモチャを集め、時にモチーフにしながら描き、また集めています。そのオモチャコレクションの原点が僕にとってこの「型はめボックス」なのです。
オモチャを箱の中で並べる「YOU ARE GOD」というシリーズを数年前から展開をしています。このシリーズは箱庭療法を引用しながら対象者に箱の中で、様々な種類のオモチャを使って、遊んでもらうことから、作品制作が始まります。対象者が創り出す箱の世界の物語を共有しながら、それらを僕自身が絵画に転換します。これまで子どもを対象者として作品を展開していましたが、今回はこれまでに出会った様々な肩書きの9名の成人を対象者としました。保育士、元教師、医師、研究者、証券会社員、テレビディレクター、アイドル、ホームレスの方々にご協力頂き、それぞれに箱の中の世界を創り出してもらいます。そしてそれぞれが創った世界に光を当て、絵画作品に翻訳します。
「YOU ARE GOD」というタイトルには、創造主は誰なのかという問いを含ませています。作品の作者は誰なのか、表現はどこに宿るのかを。誰かが作った愛らしいオモチャがあり、それらを並べて創った誰かの世界をなぞり、絵画にしながら考えています。
杉本克哉 ”
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『存在への投企(としてのリアリズム)』
杉本克哉の絵画は、単に「写実的」なだけではなく、写実的に描くことの意味あるいは描くということ自体の意味をめぐる哲学的な態度に基づいていると言える。
かつて「Mirror」シリーズにおいては、左半分に実物のモチーフを配置し、右半分にそれを反転させた絵を描いた。さらに「Idolization」シリーズにおいては、自らのパレットをモチーフに、それを描いているあいだに生まれたパレットをまた描く、ということをくり返し、「パレット」と「パレットの絵」を並べて展示した。いずれにしても、描いた「対象」と「表象」を並置し、その差異を呈示していたことから、杉本が単なるトロンプルイユ(だまし絵)
──つまり、本物のように見えること──を目指しているわけではないことが分かる。
「YOU ARE GOD」シリーズにおいても、「箱庭」に使用された実際のミニチュアや砂を展示会場に配置している。また、「世界」の創造主(GOD)が──画家自身(I)ではなく──他者(YOU)であることによって「作者の意図」を排除しているのは、「Idolization」シリーズにおいて、無作為にできる副産物としてのパレットをモチーフに採ったこととも通底している。「他者」に委ねるにせよ「偶然」に任せるにせよ、自らのコントロールが及ばない、受動的な状況に身を投じることが、杉本にとって、描くための条件なのかもしれない。
そのとき画家を苦しめるのは、与えられたモチーフを描くのに、場合によっては途方もない手間や時間がかかることだろう。単に「パレット」や「箱庭」を記録するだけならば、写真に撮ればいい。しかし、そうではなく絵に描くことの意味は、他ならぬ「時間性」にあると言って好い。目の前にあるものに対し、それらのひとつひとつと不断に──寿命の一部を使って、という意味では死に近づきながら──向きあい続ける画家の仕事は、存在というものに最も深く向きあった哲学者の言葉と重なりあう。
だとすれば、画家が自らの半生を費やして蒐集したミニチュアを「リアル」に描こうとするのは、単なる愛玩からではなく、まさに存在の意味を理解するためなのだと言える。その姿勢を「リアリズム」と呼ぶならば、それは「リアリティ」を追求するというような方法のことではなく、ましてや世界が私たちと関係なく──客観的に──実在するという考えかたのことでもない。むしろ、現に──今ここに──存在しているという関わりによって世界を理解しようとすることだ。私たちもまた、関心をもって杉本の絵を目の前にするとき、ただ写真に撮って満足してはならない。画家が絵を描くときと同じように──命がけで──とまではいかないにしても、時間をかけて見つめ続けること自体に意味があるのだから。
飯盛 希(美術批評)
◯トークイベント「芸術における宗教性」
日 時:11月9日(土)16:00〜17:30(レセプションパーティー 〜19:00)
ゲスト:近藤 光博(日本女子大学准教授・宗教学者)、飯盛 希(美術批評家)
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