若林菜穂「Sprinkle Halo」

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会 期
20230930日 -  20231015
開催時間
11時00分 - 19時00分
休み
月曜日,火曜日
クリエイター在廊
入場料
無料
展覧会の撮影
作品の販売有無
販売有
この情報のお問合せ
TEL 03-5726-9985
Mail info@katsuya-susuki-gallery.com
イベントURL
情報提供者/投稿者
開催場所
KATSUYA SUSUKI GALLERY
住所
〒152-0022 東京都
東京都目黒区柿の木坂1-32-17
最寄り駅
都立大学
電話番号
0357269985

詳細

参加クリエイター

展覧会内容

この度KATSUYA SUSUKI GALLERYでは9月30日(土)より、若林菜穂の弊廊では初となる個展「Sprinkle Halo」を開催いたします。

若林菜穂は日々撮り溜めてきた写真をコラージュ的に組み合わせる事で、場所や物質、時間などを超越した、彼女の頭の中の漠然としたイメージを構築し、そこからキャンバス上に絵画作品として生成していきます。
彼女の手によって描かれた異空間を目にした時、そこには未来とともに懐かしさ、さらにはファンタジーと寂しさなど、様々な相反するものが去来するような、不思議な感覚に包み込まれます。
若林菜穂によって絵画作品として生み出された、心地良さとほんの少しの違和感が同居した異空間を、この機会に是非ご高覧ください。
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【statement】
現実というと、実際に見聞きし触れることができる事物を、まず思い浮かべる。
ただ物理的に存在する事物だけが現実ということではなく、そこから生じる身体感覚、意味づけの思考なども含め、人は現実を知覚している。
このように実体が無いとしても、それが非現実であるとは一蹴出来ない。

個々人の知覚は、総体として膨れ上がる情報や社会の中では、とても小さなもののように思われる。
しかしその小さなものを頼りとして、大きな流れの中を渡ってゆく。
折々に目印を施す。私の場合はそれが絵になる。

若林菜穂
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一体、若林の絵画はなにを描いているのであろうか。
 
若林の多くの絵画は、様々な時期、場所で撮影された写真をコラージュし、そこに浮かび上がる図像を、キャンバスに油絵の具を重ねて描き出すことでつくりだされている。そのプロセスは、いま、ここを基点とする時間・空間的なパースペクティブ、もしくは作家の身体的な視点やスタイルから逃れ去ることを志向しているかのようである。
 
写真は、光学的な機械により写し取られた画像であり、行為主体が目の前の対象を眼差すという身体性を消去する。その一方で、写真はある時間、ある場所の光景を写し出しているという点でパースペクティブ性をもつ。これにたいして若林は様々な場所・日時に撮影し、ストックしていった写真から、画像を切り出し組み合わることでコラージュを行う。そうして作り出された画像は、写真のもつ対象の実在性をかすかに残しながらも、時間・空間的パースペクティブをもたない架空性を帯びる。
コラージュによりつくられた画像は、ほんの数秒でCMYKの点の集合として印刷されるという点で、時間的にも物質的にも厚みがない。若林はそうした画像も多くストックしていく。そのストックのなかから、若林はその都度コラージュ画像を選びだし、それを見ながらキャンバスに油絵の具を幾重にも重ねていくことで新たな画像を描き出す。そこには、絵具の積み重ね、何度もキャンバスに対峙し描いていく時間、一枚の絵画として如何に成立させるかという思索の積み重ね、それら物体・時間・思索の厚みがあり、その厚みから画像は一枚の絵画として立ち上がる。
 
このように、我々が展示で見る若林の絵画が出来るまでには、対象‐写真、写真‐写真、コラージュ‐絵画、それら異なるものを跨ぎ越すプロセスが幾重にも織り込まれている。
一方で、若林はそれらのプロセスを逐一辿っていくことに拘りがあるわけではないようである。例えば、若林によるとコラージュをしていない一枚の写真を基に描いた作品もあるという。それは、コラージュした画像を描くという技法的側面が前面に出て、それにより鑑賞者が作品をみる視点が制約されないためであるという。また、コラージュを経由した絵画と並ぶことで、コラージュを経由していない絵画がコラージュ的に見えたり、コラージュしたものがまるで最初からそこにあったかのように見えたりする、そうしたことも生じるのではないか、とも述べている。一枚の絵画の中に対象‐写真といった複数の跨ぎ越しが織り込まれているように、展示空間では複数の絵画が並置されることで、絵画間の跨ぎ越しとそこから生じる共鳴や変調がある。
 
このように様々なパースペクティブ性から逃れることを志向するようにして作られた絵画には、なにが見えてくるのであろうか。
 
若林の絵画を見る。それぞれの作品は、些細な日常のやすらぎの時であったり、日本のどこかやぼったい片田舎の草木のようであったり、古い映画で見たアメリカのモーテルやラスベガスの電飾であったり、チープなSF作品の宇宙船のように見える。もしくは人間が滅亡した後に現れた奇妙な生物や構造物であったり、ふと訪れるあふれんばかりの眩暈のようでもあったりする。それはいつかどこかで見たことかもしれないし、これから見ることなのかもしれない。もしくは誰にも見ることなくどこかに消え去った光景なのかもしれない。今までに見てきた光景、過去にそのただ中を生きた感情や時間、いつか見た映画のイメージ、それらと若林がそれぞれ描き出した絵画の像は共鳴していき、鑑賞者には様々な情景が浮かび上がる。もしくは、すでに作品を忘れて街を歩いている時にある樹に目がとまり、ふと若林のある絵画が浮かび上がり目の前の光景と共鳴するのかもしれない。
 
様々なパースペクティブ性から逃れ去るようにしてつくられた若林の絵画は、しかし、だからこそ、至る所を揺蕩いながらも止むことなく移り変わりゆく私たちの心情を映しだすのである。

山本尚樹/武蔵野美術大学非常勤講師

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