生誕120年 古賀忠雄展 塑造(像)の楽しみ
会期: 2023-11-17 - 2024-02-25
参加クリエイター:
展覧会詳細
展覧会ジャンル:
アート
展覧会タグ:
彫刻
開催内容
練馬区に長くアトリエを構えていた彫刻家・古賀忠雄(1903-1979)を紹介する展覧会です。
佐賀県佐賀市に生まれた古賀は、1926年に東京美術学校彫刻科塑像部本科に入学し、在学中の1929年、第10回帝展に《佛心》を出品し初入選。その後帝展で活躍し、戦後は日展の評議員、理事を務めながら、日本彫塑会委員長、日本陶彫会会長などを歴任しました。古賀は、ロダンやブールデル、北村西望等の影響を受け、写実の中にやや誇張した表現を取り入れながら、安定した形態を持つ人体や動物を多く制作しています。その作品は地元の佐賀県や練馬区内をはじめ、全国各地の公共空間にも設置されています。
本展では、こうした古賀の活動の中から「塑造(像)」に注目します。木や石を彫り刻む技法「彫刻(carving[カーヴィング])」に対し、粘土などを足し引きし形を生み出す「塑造(modeling[モデリング])」で作られる塑像は、作品の制作過程や作家の姿勢に、他ジャンルとは少々異なるポイントがあります。本展では約30点の塑像に加え、区内または他地域に設置された作品をパネルで紹介し、古賀作品の魅力はもとより、塑造(像)を様々な側面から見て考える楽しみを提示します。
[みどころ]
1.一部の作品はブロンズ像とともに石膏原型も展示します。
2. 古賀忠雄の作品マップを展示!全国に常設された約60体の作品の所在地を示します。
3. 1988年の当館個展では提示されなかった戦時中の活動も紹介します。
[展覧会構成]
第一章 塑造家・古賀忠雄
古賀忠雄は、1903年佐賀県佐賀市水ケ江町に、京都地方検察庁検事正の父・作助と母・キンの次男として誕生しました。小学校時代から図画が得意であった古賀は、高等科を卒業後、佐賀県立有田工業高校図案絵画科に入学。教師であった地元の日本画家・腹巻丹丘に認められたといいます。1926年に東京美術学校彫刻科塑造部本科へ入学し、在学中の1929年、26歳で《佛心》が第10回帝展に初入選となりました。
古賀の作品は、ロダンやブールデルはもちろん美術学校時代の恩師であり長く交流をもった北村西望の影響もあるのか、写実の中に適度なデフォルメを加えつつ安定感のある形態を維持しています。人体を中心に、よく観察された動きのある動物など、表面のテクスチャを残した温かみのある作品をご覧ください。
第二章 塑像の複製性
古賀の制作手段である塑造は、その手で生み出した原型よりも他者の手を経てブロンズなどに鋳造されたものが完成形とされることが少なくありません。型があればいくつも同じ作品ができあがり、作者の没後であっても同型の作品は増やすことができますが、鋳造に携わる工房や職人によっては、仕上げの精度や色味など、同じ型であっても細かな差異が生まれることもあります。また設置年代や場所により、同じ型から作ったものが異なるタイトルをもつ場合もあります。
同じく複製芸術である版画には、何点制作されたのか誰が複製したのか明記されることが多いのに対し、塑像作品では番号が記されるということもなく、複製情報を作品から得ることが困難です。塑造の作家たちは、唯一つの作品を生み出す作家たちとは異なる制作への意識を持っているのかもしれません。ここでは塑像作品の制作方法と、複製性を物語る古賀作品を紹介します。
第三章 塑像の公共性
公共の場に彫刻が設置されるようになるのは明治以降のことですが、公共の場に作品を置くということは、作家個人の範疇を超えた意味がそこに表れるということでもあります。それぞれの塑像には設置までの様々な物語が潜んでおり、またその役割は時代とともに変化します。固有の時代や地域によって生み出され、設置された作品もあれば、時代によってくみ取られる意味が変わる作品もあります。また作られた形が先行し作家の名が後退していく作品、作品が無くなってもその象徴性だけが別の形で残る例など、人や場所と関わることで作品単体とは異なる世界が広がります。公共の場に置かれた古賀作品は現在全国に60点余り(共作も含む。2023年11月時点)。作品の存在が表す様々な側面をご紹介します。
第四章 塑造の楽しみ
古賀は、彫刻の普及に熱心な作家でした。制作者のみならず鑑賞者・愛好者が増えることを願っており、「立体の空間に生活している我々が、平面はわかるけど彫刻はわからないなんておかしい」というようなコメントを残しています。同時にただ単純に立体を作ることを楽しんだ人でもありました。アトリエではなく自宅のこたつに入りながら思いつくままに粘土をこね小さなものを作っていたこともあったようです。それがのちに注文仕事や展覧会用の作品の造形につながっていったのかもしれません。粘土をこねること自体を楽しんでいたような、造形がさらに発展していくような可能性を感じる小品を、最後に紹介します。