開催時間 |
10時00分 - 18時00分
入場は17時30分まで |
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休み |
月曜日
年末年始(2023年12月29日(金)~2024年1月3日(水)) ※ただし、2024年1月8日(月・祝)は開館。1月9日(火)は休館 |
入場料 |
有料 一般1,200(1,000)円、65歳以上1,000(800)円、大高生800(600)円、中小生500(300)円 ※( )内は20名以上の団体料金。事前に電話でお問い合わせください。 ※障害者の方は500円。ただし、小中高大学生の障害者は無料。介助者(当該障害者1名につき1名)は無料(予約不要)。 ※未就学児は無料(予約不要)。 ※高校生、大学生、専門学校生、65歳以上の方、各種手帳をお持ちの方は、証明できるものをご提示ください。 ※ご入館に際しては感染症予防のため手指消毒、検温にご協力ください。館内で充分な距離を保てない場合がありますので、マスクの着用を推奨しています。 ※展覧会の会期および内容が、急遽変更や中止になる場合もございます。会期中の最新情報は美術館ウェブサイト等でお知らせします。 |
作品の販売有無 |
展示のみ
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この情報のお問合せ |
050-5541-8600(ハローダイヤル)
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情報提供者/投稿者 |
住所 |
〒157-0075 東京都
世田谷区砧公園1-2 |
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最寄り駅 | 用賀 |
電話番号 | 03-3415-6011 |
倉俣史朗(1934-1991、1978年以降は世田谷区在住)は、1960年代以降のデザイン界において、世界的に高い評価を受けたデザイナーです。富山県美術館所蔵の椅子《ミス・ブランチ》(1988年)に代表されるように、アクリル、ガラス、建材用のアルミなど、従来の家具やインテリアデザインの世界では用いられなかった工業素材に独自の詩情を乗せた仕事は、特に1970年代以降、世界的な注目を集めました。
1991年の没後もなお、比類ないデザイナーとして揺るがない評価を保っている倉俣ですが、国内美術館での紹介は数多いとは言えません。没後5年に原美術館から始まり、世界巡回をした回顧展(1996年)の後は、21_21デザインサイトでのエットレ・ソットサスとの二人展(2011年)がありました。しかし、埼玉県立近代美術館(2013年)以降、大きな展覧会は開かれていません。
本展では、作家の内面やその思考の背景による「倉俣史朗自身」を一つの軸としつつ、その「倉俣史朗自身」と紐づけながら初期から晩年までの作品を紹介することを試みます。2021年に没後30年を経たことも一つの契機として、同時代を生きた世代だけではなく、若い世代にも倉俣史朗という人と仕事を伝える機会となるでしょう。
展覧会の見どころ
今、倉俣史朗を振り返る
バブル経済の絶頂期の1991年に、56歳という若さで突然亡くなった伝説のデザイナー倉俣史朗。その後、磯崎新や三宅一生といった同時代に仕事をした世界的デザイナーがたびたび言及するも、その業績を目の当たりにする機会は多くありませんでした。没後30年を超えた今回の回顧展では、いままであまり公開されてこなかった資料も含め、倉俣史朗の業績を回顧します。
海外での評価の高さ
香港に強大な美術館M+が誕生しました。そこに倉俣史朗がインテリアデザインを手掛けた新橋の寿司店「きよ友」がまるごと移設されたことはニュースになりました。店舗を丸ごと美術館に移設するというのも例がないのではないでしょうか。倉俣史朗の家具も海外の家具メーカーによって復刻・販売されています。造花の薔薇をアクリルに閉じ込めた《ミス・ブランチ》だけではない、倉俣史朗のデザインに対する世界的評価を再確認する機会です。
誰も知らない倉俣史朗
そのようにそのデザインの先駆性が今でも高く評価される倉俣史朗ですが、なにを考えてデザインをしていたのでしょう。今回の展覧会では、独立前に三愛で手がけていた仕事から、デザインという形にはならずに断片的に書き留められたままのスケッチや夢日記を紹介することで、その創作の源泉と秘密に迫ります。また、倉俣自身の言葉を多数紹介することで、伝説というヴェールを剥がして、本人に迫ります。