開催時間 |
13時00分 - 19時00分
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休み |
日曜日,月曜日,火曜日,祝日
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入場料 |
無料 |
作品の販売有無 |
販売有
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この情報のお問合せ |
SNOW Contemporary
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情報提供者/投稿者 |
住所 |
〒106-0031 東京都
港区西麻布2-13-12 早野ビル404 |
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最寄り駅 | 六本木 |
電話番号 | 03-6427-2511 |
SNOW Contemporaryでは2023年6月23日 (金)〜 8月5日(土)まで布施琳太郎の個展「絶縁のステートメント」を開催いたします。
1994年生まれの布施琳太郎は、iPhoneの発売以降、急速に拡散するメディア環境に生きる人間の認知や慣習、それによる社会と人の距離やコミュニケーションのあり方など、可視化されないが実在する意識の変容や違和感を、絵画や映像作品を通じて顕在化させた作品を制作しています。また布施は作品制作のみならず、批評や詩の執筆、展覧会企画、ウェブサイトの制作にいたるまで、精力的に表現活動を行なう同世代アーティストの中でも最も注目度の高いアーティストの一人です。
2022年には、個展「イヴの肉屋」(SNOW Contemporary)、個展「新しい死体」( PARCO MUSEUM TOKYO)、製本印刷工場跡地でのグループ展のキュレーション「惑星ザムザ」(小高製本工業跡地、東京)、現代詩手帖への詩の寄稿など、立て続けに作品発表やキュレーションを行ないました。また、2023年1月から連続講義「ラブレターの書き方」を開催し、これまでの現代美術、美術史において取りこぼされてきた実践や作品を、布施自身の作家活動のなかで育まれてきた「新しい孤独」や「死体」、「ラブレター」といった概念を整理して発展させながら「『私』が消滅するまで、想いを伝えたい誰かと向き合うことの歴史」を議論し「ラブレターの書き方」として発表しました。
本個展「絶縁のステートメント」では、人と人がコミュニケーションをした場合、その二人は絶縁しなければならない未来社会に人類が制作した(とされる)映像作品と数点の平面絵画を併せて発表予定です。
大量のデータを解析し予測モデルを構築するAI技術の急激な進化により、社会は目まぐるしく変動しようとしています。「すべてが現在のなかで操作可能な変数になってしまった時代において、展覧会は異なる時間感覚を再起動する装置であって欲しい」と願う布施が本展を通じてどのような表現を行うのか、布施の新作を本展にてご覧いただけると幸いです。
*アーティスト・ステートメント
布施琳太郎
本展はひとつの思考実験である。「人と人がコミュニケーションをした場合、その二人は絶縁しなければならない未来」。人々が出会うことなくすれ違い、しかし生き続けていく。そんな社会を想定して、そうした時代に人類が制作したいくつかの架空のアーティファクト(人工遺物)で『絶縁のステートメント』は構成される。
会話というコミュニケーションを行った場合、その二人は絶縁させられる。性行為をしたら絶縁させられる。出産しても、感謝しても、手を振っても、出会ってしまったら終わり。それがこの世界のルールである。
しかし絶縁の時代に、それでもコミュニケーションに魅了された人間はなにを作るだろう?それが本展における問いと実践の内容だ。
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人類は、コミュニケーションこそが人と人を争わせ、線引きし、不幸の温床となることに同意した。そして社会契約プログラム「絶縁者たち」が制作された。身体の維持、子育て、介護、工学的設計、農業生産など。それらすべてが「絶縁者たち」によって自動的に最適化された未来。ありとあらゆる情報を学習して、それらの関係を数学的に類推することで、人間の認知限界を超えた計算をすることができるプログラムが作られた時代。それが本作の前提となる設定である。
目的の達成は、思考せずに計算した方が早い。分かりきったことである。しかしついにそれが完全に実現された。もはやコミュニケーションをせずとも、人間は生きることができるのだ。
しかし目的は人類が考えなければならない。目的を与えなければ「絶縁者たち」は動かないのだ。永遠にも思えるほどの長い争いと話し合いの末、疲弊しきった人類はひとつの目的を入力した。「不幸の消滅」。そして今度は人類自らが設定した目的に従って「絶縁者たち」が逆生成する命令に従うことになった……その命令こそが「人と人がコミュニケーションをした場合、その二人は絶縁しなければならない」である。
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このように、ある種の反出生主義を生後において実践するような本作の世界観は、今日のコミュニケーションが強調し、特権化する「現在」に対して、異なる想像力を駆動するために構想された。
手紙や絵画によって想起することができた未来や過去は、注意経済(アテンション・エコノミー)において、その時間的なひろがりを消去されてしまったのではないだろうか。すべてが現在のなかで操作可能な変数になってしまった時代において、展覧会は異なる時間感覚を再起動する装置であって欲しい……それが本展に込めた想いである。
例えば、一度も話したことのないにもかかわらず恋してしまった人に対してメッセージを送るためには、どうしたらいいだろう。さらにそれが最後のメッセージだとしたら?
こうした問いのなかで、人が作り出すのはどんなアーティファクトなのだろうか。まだ制作の前段階ではあるが、こうして頭をひねり、考える時間は、とても自由で豊かな想像力にひらかれているように感じられる。