出会いと、旅と、人生と。ある画家の肖像 日本近代洋画の巨匠 金山平三と同時代の画家たち
会期: 2023-06-03 - 2023-07-23
参加クリエイター:
展覧会詳細
展覧会ジャンル:
アート
展覧会タグ:
平面
絵画
開催内容
兵庫県ゆかりの洋画家、金山平三(1883-1964)の生誕140 年を記念して開催します。
金山平三は神戸元町に生まれ、1909(明治42)年東京美術学校を首席で卒業、1912(明治45)年から約4年間の欧州滞在を経て、1916(大正5)年の第10 回文展で特選第二席を受賞し注目を集めました。その後は文展、帝展を中心に作品を発表、審査員を務めるなど第一線で活躍しますが、1935(昭和10)年の帝展改組とその後の混乱を機に中央画壇から身を引き、以後それまでにもまして精力的に日本各地を旅行して四季折々にさまざまな表情をみせる日本の自然風土を傑出した筆づかいと豊かな色彩で描きつづけました。1944(昭和19)年に帝室技芸員、戦後には日本芸術院会員となり、1964(昭和39)年に東京で没するまで珠玉の作品を数多く残しました。
後半生、中央画壇から距離をおいたがゆえに孤高の風景画家としてのイメージが強い画家ですが、風景画だけでなく静物画や人物画も描き、明治神宮聖せい徳とく記念絵画館に設置する壁画や芝居絵など多彩な仕事を手掛け、また同時代の画家たちとも親しく交わり影響を与えあう関係にもありました。
本展では、今まで取り上げることがなかった交友関係や足跡、壁画や芝居絵制作の取り組みなどさまざまな視点から金山平三の画業を紹介します。激動の20世紀前半、時代と四つに組み、真摯に絵画と向き合い近代日本美術に大きな功績をのこした画家、金山平三の創作の軌跡をたどる展覧会です。
[みどころ]
1 多彩な画風、変化する様式。作品本位で考える「画家」の一生とは?
これまでの回顧展には出品されなかった珍しい作品をまじえて、金山平三作品の真の「歩み」をたどります。
2 孤高なんかじゃない
金山平三にはセンセイもいれば、大好きなセンパイ、トモダチがいました。金山が多くのものを得た彼らの作品もあわせ、総数約 150 点で構成します。
3 それは通勤だった
写生地へ行くのは仕事なので、金山平三の場合は通勤なのです。通勤列車の長い旅。どの路線を利用したのか、何時の列車に乗ったのかをらく夫人あての書簡から紹介します。
4 静物画は画家の命、芝居絵は制作の礎
金山が描く主に花の絵は、戦前からよく売れ画家の生活を支えました。芝居好き、踊り好きが高じて描いた芝居絵は、風景画だけでなく壁画制作の基礎となるものでした。
[展示構成]
第 1 章 センパイ・トモダチ
孤高のイメージが強い金山平三ですが、先輩格の画家、満谷国四郎(みつたに・くにしろう 1874-1936)とは親しくつきあい、制作の上でも少なからぬ影響を受けています。同世代の画家としては、姫路出身の新井完(あらい・たもつ1885⁻1964)や満谷の弟子といえる柚木久太(ゆのき・ひさた 1885-1970)らとは、写生旅行に一緒に出かけ、画架を並べて制作しました。特に柚木とは、東京にあるアトリエを行き来し、戦後に至るまで交友を続けました。第1章では、これらの画家たちを紹介しながら、金山の交友関係やその影響を確認し、彼がどのような表現に関心をもち制作に反映させていったのかを検証します。
第 2 章 壁画への道
1924(大正13)年、金山平三は明治神宮聖徳記念絵画館を飾る壁画制作の委嘱を受け、明治天皇の事績を顕彰するために計画された壁画80 面のひとつに取り組みます。与えられた画題は「日清役平壌戦」。さまざまな制約や条件がつけられていた中、金山は最大限この画題を効果的に表現するべく研究を重ねました。日本画40 点、洋画40 点から成る一連の壁画のうちでも金山の1 点はリアリティあふれる表現において傑出しているといえるでしょう。この章では、1933(昭和8)年に完成作を納めるまで足かけ約9年の歳月を費やして、テーマにふさわしい構成や動きの表現について金山が重ねた試行のあとを、習作や課題解決のために描いた別作品からたどります。
第 3 章 画家と身体―動きを追いかけて
幼い頃から芝居に親しんでいた金山平三は、1929(昭和4)年頃から芝居絵という一連の作品を描き始めます。病気治療のため安静が必要となり、屋外に出かけられない療養生活の手すさびとして始めたのがきっかけとされていますが、記憶の中のさまざまな芝居の場面を観客が舞台を見る視点で半ば即興的に、正確な筆致をもって描き出しました。役者の動きや舞台転換など瞬間の動きを的確にとらえたこれら芝居絵は、金山の画家としての観察力がいかんなく発揮されたものです。金山のこうした眼力は、風景を描く場合も、季節や天候、点景人物の姿など全てを、動きと変化を内包するものとしてとらえました。この章では、こうした金山の「眼」のありさまを、須田国太郎(すだ・くにたろう 1891-1961)の能・狂言デッサンと比較しながら見ていただきます。
第 4 章 生命への眼差し
金山平三は、一年の大半を写生旅行先で過ごしましたが、東京・下落合のアトリエでは静物画をよく描いていました。今は盛りに咲き誇る花から、萎し お れて花弁が垂れ枯れ行く花まで、柔らかく繊細な筆致で描かれた花々は優雅で気品にあふれ、時代を超えて私たちを魅了します。また、写生地の宿で、描く天候に恵まれない時に、海からとれたばかりの魚介類を描いた作品は、金山の名人技を堪能できる作品として愛好されました。この章では花をはじめ、身の周りの静物を描いた作品を展示し、移ろいやすく儚はかない生命をみずみずしい筆致で描いた珠玉の作品を展示します。
第5章 列車を乗り継いで―風景画家の旅
風景画家として金山は列車を乗り継いで、頻繁に日本各地を旅行しました。道中そして旅先から、妻、らくに絵葉書を送り、旅程を克明に伝えています。らく夫人あての絵葉書からは、金山のリアルな足跡をたどることができるだけでなく、どの時間、どの天候で風景をとらえたかったかが分かります。この章では、絵葉書から読み解くことができるルートを紹介しながら、風景画の数々を紹介します。画家が道中、何を目にし、何を描こうとしたのか、行く先々で出会う風景の中で何を見、何を描こうとしたのか、金山の眼になって作品をお楽しみください。