生誕120年 大沢昌助 展

大沢昌助 《笛を吹く童女》 1978年油彩 カンヴァス 個人蔵

大沢昌助 《笛を吹く童女》 1978年油彩 カンヴァス 個人蔵

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会 期
20230429日 -  20230618
開催時間
10時00分 - 18時00分
入館は17時30分まで
休み
月曜日
クリエイター在廊
入場料
有料
一般1,000円、高校・大学生および65~74歳800円、中学生以下および75歳以上無料
※障害者手帳をご提示の方(介添者1名まで)は、一般500円、高校・大学生400円 ※一般以外の方(無料・割引対象者)は、年齢等が確認できるものをお持ちください。
展覧会の撮影
不可
作品の販売有無
展示のみ
この情報のお問合せ
練馬区立美術館
情報提供者/投稿者
開催場所
練馬区立美術館
住所
〒176-0021 東京都
練馬区貫井1-36-16
最寄り駅
中村橋
電話番号
03-3577-1821

詳細

参加クリエイター

展覧会内容

 大沢昌助(1903~1997)は戦前、戦後の社会背景を見据えつつ、ブレることのない独自のスタイルを貫いた昭和を象徴する美術家です。モダン、シンプル、自由そして軽やか。そんな言葉が大沢の作品には息づいています。
 当館では最初期から晩年に至る、100点以上もの作品を所蔵しており、1991年の回顧展を皮切りに1996年の追悼展、父で建築家の大沢三之助との親子展など折にふれその芸術を紹介してきました。
 本展では生誕120年という記念の年にあたって、これまで紹介してきた作品に加え、作画の原点であるスケッチ類や三之助作品を含む新収蔵品、調査の中で新たに発見された作品、ことに1980~90年代にかけての晩年の抽象画を含めた約120点で大沢芸術の豊かさを多面的に紹介する展覧会です。

大沢昌助とは
 大沢昌助の父、大沢三之助(1867~1945)は欧州留学の後、官庁や宮内庁の建物を数多く設計した近代黎明期の建築家である。三之助は学生時代、松岡寿にデッサン・水彩画を学ぶなど絵画に能くしており、大沢昌助は画家となるにはたいへん恵まれた環境で育ったということが言える。
 1928年、東京美術学校西洋画科を首席で卒業し、翌年、《丘上の少年》ほかで二科展に初入選し大いに注目を集める。しかし、当時、画壇で一世を風靡していた抽象美術、シュルレアリスムに全面的にのめり込むこともなく、距離を置いていた大沢は試行錯誤の末、古代ギリシア彫刻が持つ均整の取れたモニュメンタルな人物表現に関心を持つ。《水浴》(1941年)はそうした中から生まれてきた作品である。1940年に二科会会友推挙、42年に二科賞受賞と充実した作画活動が続くかに思われたが、戦況はますます悪化し、暗く重い影が差すようになってくる。
 終戦を東京で迎えた大沢の作品には明るさと希望が戻り、画面の子供たちも生き生きと活発に表現されるようになる。
 1950年代にはいるといよいよ抽象的な表現が始まり、60年代には「ふっきれてきて仕事が楽になってきた」と《亡霊》に見られるような自由な発想が明快な形態によって表現されてくる。

80年代から没年までの自由な抽象絵画
 60年代からふっきれたと語るように、大沢の後年は晩年という言葉とはほど遠いくらいの収穫と豊穣の年月であった。一つのスタイルに決してとどまることはなく、新鮮な発想を重んじ、自由な画風に身を任せている。その伸びやかで若々しい感覚を称するものに対して大沢は「若いころ、僕は、こう描けなかった」と答えている。

「全てのおきてからはなれて、自由に平面に描き上げる作業は、必ずしも楽とは言えないが、決定の瞬間は悪い気持ちがしないものだ」
 大沢は変心という言葉を使って自らの画歴を称している。変貌と変心がこの画家のスタイルなのである。

大沢昌助と壁画
 現在、都内で見ることができる大沢昌助の壁画は1959年の世田谷区役所(2023年取り壊し)、1964年の旧国立競技場(新設に伴い移設)、1990年の東京都庁内都議会議事堂の3か所である。壁画はその建物に付随しその当時の社会情勢や美術・文化の動向を如実に表すモニュメントであると同時に、建物の建て替えにより、持続性の難しい戦後絵画の記録、記憶であると言える。この展覧会では都内3カ所の映像を撮影し、展示室内で放映、その原画と共に展示を行う。

主催・協賛・後援

主催:練馬区立美術館(公益財団法人練馬区文化振興協会)

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