ギャラリーQ40周年記念展「鈴木慶則-石子順造と歩んだ世界」
会期: 2023-01-09 - 2023-01-21
参加クリエイター:
展覧会詳細
展覧会ジャンル:
アート
展覧会タグ:
開催内容
<絵画>を作る--
形而上的暗喩としてのトロンプ・ルイユ 石子順造
鈴木慶則の絵に何度か接したことのある人は、ほとんどきまって
変った感想態度を示す。しばらくは一定の距離をおいてふつうに
眺めているのだが、やがて作品に近づき、まじまじとまさに目で
絵をなめまわすのである。時には、指で絵にさわろうともする。
そしてふたたび距離をとって、改めて見つめ直すのである。
いうまでもなくそれは鈴木の絵が、精巧なトロンプ・ルイユ
(目だまし)の技法で描かれていて、鑑賞者は、作品のどこまでが
絵で、どこから絵でないのか知りたくなるからである。
つい最近もぼくは隅から隅まで描かれた絵であるにもかかわらず、
専門家でさえ、どこも描かれた部分がないと錯覚させられた小品が
あったことを知っている。
鈴木は、10年間一貫してそのような作品を描いてきた。題材はき
まって、東西古今の名画である。彼の手にかかると、日本画や写真
がそのまま油彩画になり、立体は平面に、裏面は表面に、またその
逆にもたちまち変貌する。
たんなる職人芸で、個性やオリジナリティがないなどという一部
の幸せな美術愛好家の非難をよそに、鈴木が執拗に問いつめてきた
ものは何だったのだろうか? 彼がトロンプ・ルイユの技法に到達
したのは、絵画とは何か、描くとは何かという問題に、さんざん苦
しみ抜いてからのことであった。
おそらく鈴木は、<絵画>そのものを作っているのである。絵画
という事物はない。つまり絵画は美的に価値づけられた感覚のメカ
ニズムであるということ、そのことを彼は、まともに問い返してい
るのではなかろうか。したがって彼の場合、トロンプ・ルイユは、
たんなる技法ではなく、いわば形而上的な暗喩にほかならない。
だが、そのようにこむづかしく考えながら、鈴木の作品を見る必
要はないだろう。なによりも鑑賞者は、すなおにだまされ、指で触
ってみたいのをがまんしてくればいいのである。カラー写真もけっ
して的確に伝えられない鈴木の作品の本領は、やはり実物に接して
楽しんでみるしかない。今回の展覧会は、その絶好の機会である。
鈴木慶則展パンフレットより
1976年9月1日-11日
東京店・大阪フォルム画廊