任田 進一展「屹立する白」

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会 期
20120201日 -  20120219
開催時間
11時00分 - 19時00分
最終日の展示は18:00までとさせて頂きます
休み
月曜
クリエイター在廊

2/1
この情報のお問合せ
neutron tokyo 03-3402-3021
イベントURL
情報提供者/投稿者
開催場所
neutron tokyo
住所
〒107-0062 東京都
港区南青山2丁目17-14
最寄り駅
外苑前
電話番号
03-3402-3021

詳細

参加クリエイター

展覧会内容

静謐なモノクロームの画面上、漆黒の宇宙に放たれた白い液体は、その獰猛さと生命力を昇竜のごとく発揮する。
自然や土を用いた現象写真で知られる気鋭の作家が、「3.11」後に取り組む新たな素材となる「ミルク」。
流麗で耽美、時に野生を秘めたエロスさえ感じさせるその様相は、人智を超えた魅力を突きつける。
「動的平衡」を瞬間に秘める写真と、流れる様な映像作品、それぞれの表現に注目して下さい。

[主催者コメント]
 かつて美術の分野でもてはやされた有名なモチーフに、「ミルククラウン」というものがあるのをご存知だろうか? 写真で見れば一目瞭然だが、平たい容器に浸されたミルクの上に一滴のミルクを落下させると、水面(ミルク面)がバシャッと跳ね上がり、その液体の瞬間的な形状が「王冠」のようであることから名付けられた現象である。今までに数多の写真に捉えられ、あるいはポップアートにも転用されてきたのでオリジナルの出自については不明だが、どうやら先に科学分野で研究されたらしく、美術の分野においてアイコンとなったのがいつ頃からかは分からない。しかし今に至るまで、ミルクと言えばクラウンと、相場は決まっていた。
 しかしここで、一滴のミルクがもたらす現象よりも遥かに雄々しく、あるいは禍々しいミルクアートが発表される。無論、作家はミルクアートなどと定義していないが。ミルクを使った瞬間的な造形を切り取る写真、あるいはその現象を動画に収める手法は決して新しい事では無いと先に前置きした上で、任田進一の試みる行為を探って行きたい。
 彼は写真を主な制作技法としているが、一般的なポートレートや風景写真といった切り口で提示するタイプの写真家ではない。どちらかと言えば思考が先に存在し、そこで浮かんだ疑問やアイデアを具現化するためにカメラを構え、時には撮影舞台を自ら演出し、訪れる事を期待される瞬間を待ち、シャッターを押す。そこには予め用意された(期待された)現象以外に、予想だにしない多くの奇跡的な現象が連続的に訪れ、レンズ越しの彼を興奮させもする。いや、むしろ任田が期待しているのは、「期待(予想)を超えた何か」であると言えるだろう。予定調和に留まっていようとするならば、彼はわざわざ動くモチーフ、不定形な被写体を使う必要は無い。液体やそれにまつわる現象はいつだって不安定であり、動いているからこそ、作家の思い通りになるはずもないのだから。だとすると任田は、緻密な思考と計算の基に周到に撮影環境・素材・照明等を用意しながら、一方ではそれらによって現出させたいと思う現象の上を行く新たな光景を見たいがために、緊張しながらカメラを構えていることになる。計算や仮説を立証させたいと願う「化学者」のようでありながら、同時に作為を超えた次元の新しい現象を期待する「科学者」でもある。いずれにしても、その眼はファインダー越しに箱庭の宇宙を捉え、どんな微細な変化も、あるいはその手前の予兆すら見逃すまいと狙っている。何かが「起こる」一瞬の前の出来事ですらあるのだろう、これらの写真が持つ緊張感と不気味な様相は、ただごとでは無いと感じさせる。
 野原の草木を写したシリーズを除けば、専ら彼の「箱庭的」写真の素材となっていたのは「土」だった。しかし、彼のステートメントにもあるように、「3.11」によって自らの選ぶ素材に恐怖すら感じ、土から離れてみようと思うことになる。そこで登場したのが「ミルク」である。土は言うまでも無く大地を象徴し、それらが巻き上げる土煙は自然の猛威を感じさせる。ではミルクはどうなのだろう。イメージだけで言えば母乳から連想される優しさや包容力、生命力を想起するが、任田の写したミルクは彼自身が予想だにしなかった程、野生的で暴力的な姿を現した- 。 まるで母乳というよりも精液のように水中で意思を持つかのように蠢き、粘着性を帯びながら漂う様は明らかに土とは違った様相である。直接的に生命維持に欠かせない液体は、その行き先を狭い水槽の中でも必至に探すかのように、自らを吸収する媒体をエロチックに求めているかのごとく。
 任田の写真に映る現象、映像に見せられる一部始終を「偶然の産物」と片付けてしまうのは、人間の想像力や表現力を過信し過ぎている証拠となろう。箱庭で実現された現象は、いずれ大きな規模で地球上に再現されない保証は無い。人智を超えた現象、化学や科学で追いつかない領域が存在するからこそ、私達はそれを美術として楽しむことも出来るのではないだろうか。そして人々はその中にこそ、何かを予感することも出来るはずだ。
                                  gallery neutron 代表 石橋圭吾

[Artist Statement]

屹立する白 / 任田 進一

2002 年に球体の土を水中に沈め、その崩壊過程を見せるインスタレーションを発表しました。予想できない形態の変化というテーマがこの作品から生まれ、それを起点に、私は物質が水中で崩壊するシーンの撮影を始めます。2009 年頃からは、水中に土を固めず直接注入するようになりました。
原形への興味が消え、変化という現象そのものへ関心が移ったからです。以来そこで生まれる形、それらが孕むイメージの変遷を彷徨うことが、制作の基本スタンスになり、2011 年の冬に発表した作品は、水中に雲のごとく漂う土煙のシリーズ写真となりました。  
展示が終了して約1ヶ月後、東日本大震災が起こりました。自身の無力を実感しつつ、再び制作を始めたのですが「土」という素材は、生命の終焉の姿を連想させ、しばらく離れたい思いがあり、新しい素材を、出来れば生命の始まりに近いモチーフはないかと考え「乳」つまりはミルクを試そうと思うに至りました。「土と乳」は、お互いに相反する要素を多分に備えており、新しい展開が期待できたのです。
 水中での粒子の動きと液体の動きは異なる部分が多く、私は液体が見せる流動現象のダイナミズムに揉まれ続けました。記述を拒むかのようなその曲線の絡みは、どこか人智を超えた制御不能な猛威を思わせるようで、立ち上るミルクが示す獰猛な動きを前にした時、今回の「屹立する白」というタイトルが浮かびました。
刻一刻と変化する流動現象は、その姿を留めません。そこには 固定という概念がなく、柔軟な変化があるだけです。その絶え間ない動きに必然性を見い出したのが、鴨長明の方丈記や福岡伸一の動的平衡だと私は理解しています。自分自身がその流動現象の一端であることを踏まえると、 生命の成立条件のひとつであろう、存在を維持するための変化について、思いを馳せずにはいられません。
不変性は、その存在の強度を高めますが、それはある意味停滞であり、完全な停滞とは「死」そのものです。逆に「生」 とは動き続けること、呼吸を繰り返し細胞が入れ替わり常に流動していることが、つまりは生きていることです。全てが「死」への流れに在るならば、その潮流に唯一抵抗できる力が「生」であると言えるでしょう。その拮抗状態に興味があります。そこに死と対峙する生としての形態、つまり「無」から「有」への転成を現すフォルムがあると私は思うのです。

関連情報

初日(2/1・水)の18:00~20:30に、会場で作家を交えてのオープニングパーティー開催(無料)

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