開催時間 |
10時00分 - 18時00分
毎週金・土曜日は21時00分まで ※入館は各閉館時間の30分前まで |
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休み |
2月15日(火)、3月22日(火)
状況により、会期・開館時間等が変更となる可能性がございます。 新型コロナウイルス感染症対策のため、入場制限や一部日程で入場日時予約が必要となる場合がございます。ご来場の際は、Bunkamura ザ・ミュージアムHPにて最新情報をご確認ください。 【Bunkamura ザ・ミュージアムHP】 www.bunkamura.co.jp/museum |
入場料 |
有料 一般1,800円(1,600円)、大学・高校生1,000円(800円)、中学・小学生700円(500円) ※( )内は前売料金。 ※学生券をお求めの場合は、学生証のご提示をお願いいたします。(小学生は除く) ※障がい者手帳のご提示で、ご本人様とお付き添いの方1名様は半額となります。(一般900円、大学・高校生500円、中学・小学生350円)当日窓口にてご購入ください。 ※未就学児は入館無料。 ※チケット情報詳細は後日Bunkamura ザ・ミュージアムHPで発表します。 |
作品の販売有無 |
展示のみ
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この情報のお問合せ |
050-5541-8600(ハローダイヤル)
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情報提供者/投稿者 |
住所 |
〒150-8507 東京都
渋谷区道玄坂2-24-1 B1F |
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最寄り駅 | 渋谷 |
電話番号 | 050-5541-8600(ハローダイヤル) |
スペインのバルセロナで生まれた大芸術家、ジュアン・ミロ(1893-1983)。ピカソと並ぶ現代スペインの巨匠として日本でも広くその名は知られていますが、ミロの創作活動の裏側には日本文化への深い造詣があったことは意外なほど知られていません。一方日本では1930年代からミロの作品が紹介され、世界に先駆けて1940年にモノグラフ(単行書)が出版されるなど、日本は早くからその活動に注目をしてきました。そして現在も日本各地の美術館が数々のミロの名品を収蔵しており、今なおミロの人気は衰えません。
本展では、若き日の日本への憧れを象徴する初期作品から代表作、そして日本で初めて展示されたミロ作品を通し、相思相愛であったこの画家と日本の関係に迫ります。さらに本人のアトリエにあった日本の民芸品や批評家の瀧口修造との交流を示す多彩な資料を通してミロと日本の深いつながりを紐解き、ミロというよく知られた画家を約130点の作品と資料で新たな角度からご紹介します。
「ミロ展―日本を夢みて」では次の4つのポイントでミロと日本の相思相愛ぶりをたどります。
1920年ごろ 若き画家・ミロ ―日本への興味の芽生え
ミロは1888年に開かれた万国博覧会で始まったジャポニスム・ブーム真っ只中のバルセロナに生まれました。ミロの生家の近くにも日本美術の輸入販売店があり、初の個展を開いたダルマウ画廊でも日本美術の展覧会がたびたび開催されていました。こうした環境で育ったミロは、早くから日本文化への憧れや興味を示します。
「一枚の草の葉には、一本の木や、山と同じだけの魅力がある。素朴な人たちや日本人のほかは、ほとんど誰もが、これほど神聖なことを見過ごしている」という言葉を残した若き画家ミロは、浮世絵にも親しみ、特に葛飾北斎を敬愛していました。その熱中ぶりは、《アンリク・クリストフル・リカルの肖像》の背景に、浮世絵をコラージュするほどでした。本作はミロと日本の繋がりを示す出発点であり、こうした日本への興味をうかがわせる、ミロの若き日の作品を多数展示します。
1920年-1945年ごろ 新たな表現を目指して ―描くことと書くこと
バルセロナで気鋭の画家として活動していたミロは、さらなる飛躍を目指し、1920年に芸術の都パリに行き、独自の表現を模索します。
時に一般的な画材ではない素材を効果的に用いるなど「素材との対話」を深める一方、絵を「描くこと」と文字を「書くこと」を同じようにとらえたミロは、「絵画と文字の融合」を追求するようになります。
本展のみどころの一つでミロの絵画と文字による独自の表現の代表作として挙げられる《絵画(カタツムリ、女、花、星)》は、56年ぶりの来日を果たします。
文字を絵のように扱う描き方は、日本の書の関心へとつながっていきます。戦争によりマジョルカ島へ逃れた1940年ごろから、ミロは日本の墨と和紙を用いて描線の太さや濃淡の実験を繰り返し行うようになりました。書のような自由闊達な黒い線と、従来からの丁寧で細い描線による人物たちが共存する最も美しい例の一つとして、《ゴシック聖堂でオルガン演奏を聞いている踊り子》が出品されます。
1945年-1983年 日本を夢みて ―そして、二度の来日へ
「素材との対話」と「絵画と文字の融合」は、第二次世界大戦以降のミロの制作活動に新たな展開を与えました。それは、陶器制作への熱中、書道を思わせる黒い大胆な線描、日本の民芸品への愛着につながっていきます。
日本文化に造詣が深い陶芸家ジュゼップ・リュレンス・イ・アルティガスとともに、戦後ミロは積極的に陶器の制作を始めました。当初はアルティガスのやきものに絵付けをするだけでしたが、やがて二人の共同作業は、互いの持ち味を引き出しあう唯一無二の作品に進化していきます。
また、ミロは友人らが持ち帰った日本の文物、特にやきもの、書、民芸品等日本の文化に実際に触れ、さらに日本人コレクターや批評家との交流を通して日本への旅を夢みるようになります。その夢は早くからミロの魅力を見出した日本側のラブコールによって実現します。
1962年国立西洋美術館等での大規模な版画展に続き、1966年に国立近代美術館でも回顧展が開催され、この時ミロは念願の初来日を果たしました。
「長い間、日本を夢みていた」と積年の想いを口にしたミロは二週間ほどの滞在で、1940年に世界初のミロのモノグラフを発表した瀧口修造と26年の時を経てようやく対面したほか、作家の佐野繁次郎、勅使河原蒼風、岡本太郎らと交流。更にやきもので知られる信楽や瀬戸等の窯元も訪ね、精力的に各地を巡りました。
来日以降のミロの作品には、油彩・水彩を問わず、書道の滲みや跳ねの動きを感じる黒く太い線が多用されるようになります。ミロ自身も「日本の書家たちの仕事に夢中になったし、確実に私の制作方法に影響を与えている」と語っています。また巻物の形態をとった作品等も直接的な日本の影響を感じさせます。
若い頃から日本に魅力を見出したミロと、世界に先駆けてミロの魅力を見出した日本。両者の関係はミロの二度の来日により確実に深まり、そのことは本展の数々の展示品が色濃く物語っています。
ミロのアトリエから ―ミロを取り囲むたくさんの日本
ミロが愛してやまなかったモンロッチのアトリエや晩年を過ごしたマジョルカ島のアトリエには、友人から贈られた日本の民芸品や拓本類、そして来日時にミロ自身が購入したものを含め、様々な日本の品が飾られていました。ミロの蔵書のほか、制作に用いられた刷毛やたわし、和紙の束等からも生涯にわたり日本に親しんだ彼の姿を垣間見ることができます。本展ではこれらミロ旧蔵の貴重な品々が数十年ぶりにまとまって「里帰り」して皆様をお迎えします。
主催:Bunkamura、東京新聞、フジテレビジョン
協賛:ネスレ日本、ライブアートブックス
協力:ヤマト運輸
後援:スペイン大使館、インスティトュト・セルバンテス東京
出品協力:ピラール&ジュアン・ミロ財団、マジョルカ
評価サマリ