開催時間 |
13時00分 - 19時00分
|
---|---|
休み |
月曜日,火曜日
|
この情報のお問合せ |
info@changting-gallery.com
|
イベントURL | |
情報提供者/投稿者 |
住所 |
〒103-0005 東京都
中央区日本橋久松町4-12 コスギビル4F |
---|---|
最寄り駅 | 馬喰横山 |
電話番号 | - |
絵を描いていると、やはり形を捨てることが必要だと思うのです。心底それが出来れば、先入観に惑わされず後腐れない絵が描けるのではないか、そう感じることが最近増えてきました。でもそれは、捨てることばかり考えているわけではなくて、捨てることが形を描くことになり、また逆に、形を描くことが形を捨てることになります。なんのことやら、と思うかもしれませんが、捨てることが同時に生み出すこと、「ない」と「ある」の同時性が起きているということになるのです。それを一言で例えると「無我夢中」といった言葉を思い浮かべますが、そんな簡単にこの言葉をつかっていいのかと、そりゃその通りだけど、そのあと話しがつづいていかない感じが今ひとつな気がします。それから、このような話しを人にすると、それは創造と破壊だね、と言われたりしますが、これもまた、今ひとつな気がするのです。なぜなら、創造と破壊といった言葉を使うときは、まず何かが創造され、そのあと破壊を起こし、そしてまた一から何かが創造され、また破壊される。といった段取りよい繰り返しを、どうしてもイメージしてしまうからです。自分の表現は、そういったものではなくて、創造と破壊といった逆の性質の出来事が、逆であるにもかかわらず、同時に一つとして表裏一体的な運動を起こすこと、そういったことに自分は興味があるのです。
自分が書いた短編小説に、このような言葉を残しました。
「こっちの娑婆はあの極楽に映っているし、あの極楽はこっちの娑婆に映っている。(いいかい、娑婆が極楽に変わったわけではないよ、誰かがそんなことを言っていた)」
なんとも名のつかぬ世界。
無極な体。
そういった境地で生きたいものです。
栗原一成
長亭GALLERY