河口 龍夫「種子が芸術になるとき」

「関係―ひと粒の鉛の種子・リンゴ」(1987) 種子、鉛、厚紙, 25.7cm x 18.5cm

「関係―ひと粒の鉛の種子・リンゴ」(1987) 種子、鉛、厚紙, 25.7cm x 18.5cm

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会 期
20200110日 -  20200208
開催時間
13時00分 - 19時00分
休み
日・月・火・祝
入場料
無料
作品の販売有無
販売有
この情報のお問合せ
SNOW CONTEMPORARY
情報提供者/投稿者
開催場所
SNOW Contemporary
住所
〒106-0031 東京都
港区西麻布2-13-12 早野ビル404
最寄り駅
六本木
電話番号
03-6427-2511

詳細

参加クリエイター

展覧会内容

SNOW Contemporaryでは2020年1月10日(金)から2月8日(土)まで、河口龍夫の個展「種子が芸術になるとき」を開催いたします。

SNOW Contemporaryでは5度目の個展となる今回は、自身の作品でモチーフとして度々登場する「種子」を主題とした作品を発表いたします。河口は、1982年から継続的に「関係—種子」シリーズを展開し、種子と最初に出会った場でもある食卓や書籍、櫛、植木鉢、鍬、ついには温室まで、多様なものを種子と共に銅や鉛、蜜蝋で封印しています。肉眼では捉えることができない人と物質との見えないつながりや事象を形として表現してきました。

複数の種子が蒔かれたような構成の「関係—種子」シリーズは広く知られていますが、本展では、1987年に制作された一粒の種子からなる「関係―ひと粒の鉛の種子」シリーズ全30作品の一部を初めて発表いたします。
本作は野菜や果実、植物などの種子が一粒づつ鉛で密封されていますが、その厚みや大きさ、凸凹などの痕跡から包まれた種子の存在を感じることができます。河口がステートメントで「目の前に置かれているひと粒の蓮の種子を見つめ続ける。時には触ってみたり、手の平に置いて匂いをかいでみたりして、数時間そのひと粒の蓮の種子と対峙する。そして、その種子をできるだけ理解しようと努力する。できれば蓮という言葉を超えてひとつの生命体としてのありのままを理解しようと試みる。しかし、いったい一粒の蓮の種子を理解するとはどういうことであろうか。種子がわかったという根拠はどこにあるのであろうか。さらに何をもってわかったといえるのであろうか。蓮の種子を見つめながら、自問自答の時間が経過する」と記載しているとおり、一粒の種子そのものと真摯に向き合った作家の痕跡を各作品から見て取ることができます。
本展に際し論考を寄稿した鞍田崇は、河口の本作品に対する目線を次のように執筆しています。「〈関係―ひと粒の鉛の種子〉シリーズでは、スイカ、マスカット、メロン、リンゴ、グレープフルーツ、ザクロ、ナシといったなじみの果物の種子もあれば、コメ、ソラマメ、カボチャ、キューリといった食卓を彷彿とさせる種子もある。スィートピーやアサガオ、ハスの種子からは、慣れ親しんだ庭の光景を見るようでもある。共通しているのは、それがどれも小さいこと。〈関係―縄文時代〉シリーズでは、もはや痕跡しかない。はかなく、おぼつかなく、でも確実に在るといえるもの、それが在るのでないならば、この世界のすべてがないに等しいといえるもの。そういうものが、ひとつひとつ、河口の手によって僕たちの前に供されている。あたかも、小さく、はかなく、おぼつかない僕たち自身を見守るように。」(「河口龍夫を体験する」より抜粋)

本展において発表する作品群は、すべて一粒の種子で構成されています。「関係―種子」シリーズを、新たな視点から考察いただく貴重な機会となりますので、是非ご高覧下さい。

◼︎ ︎河口龍夫 アーティストステートメント 「種子と芸術と宇宙」より抜粋
1986年4月26日、チェノブイリ原発事故がおこり世界中を恐怖させた。さらに、25年後の2011年3月11日、我が国においても不幸にして原発事故が起こり、放射能が漏洩する事態が起こってしまった。わたしは植物の種子を守るために、チェノブイリ原発事故直後に、入手可能な野菜や果物や花といった植物の種子を鉛で封印した。
この種子を鉛でおおう行為は、放射能漏洩から種子を保護するというメタファーの表れであったとしても、種子を直接見ることができないようにする行為となってしまい、結果的には視覚の遮断をおこなうことになった。造形芸術において見る行為が最も重要だと考えるならば、視覚の遮断はその問題をないがしろにするかのような意味に受け止められかねない行為である。
しかし、見えないものをも感じさせることが造形芸術の本質であるとするならば、鉛によって覆われ種子本体が見えなくなっても、逆に見えなくなったことによって見えない種子を感じることができたとすれば、視覚が遮断されても見えない何かを感じるという意味で、覆われた種子は、造形芸術のカテゴリーと関係し、種子が芸術を成立させる可能性を証明することになったといえないだろうか。と同時に、封印された種子の側からいえば鉛に包まれることによって視覚を遮断するだけではなく、外部の空間からもさらに時間からも遮断されたまま存在し続けることになったかのようである。このことは現実時間からも隔離されることになったとも言えるのである。そのことにより変化することからも逃れることとなり、あたかも不変という永遠の時間を持たせることになったかのように見えることになった。そのことは種子が芸術と関係したかのように見えるとも言える。あるいは、種子は芸術と関係することによって芸術と共有する独自の時間を持った。とも言えるのである。その時、種子は種子本来が持つ時間とは無関係な時間を所有したことになったのではなかろうか。

宇宙は存在している。我々はその宇宙のどこかに確かに存在している。しかし、芸術はそのようには存在してはいないのではなかろうか。何故なら、芸術は創造することによって誕生するからである。したがって、芸術は創造し続けなければ存在し続けないようなものではなかろうか。
芸術は宇宙と関係するが、宇宙にとって芸術は無関係であるともいえるのではなかろうか。
2019年11月7日

関連イベント

オープニングレセプション:1月10日(金) 18:00 – 20:00
オープニング対談「種子と芸術と宇宙」河口龍夫x鞍田崇:1月10日(金) 19:00 – 20:00

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