開催時間 |
10時00分 - 17時30分
入場は閉館の30分前まで |
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休み |
火曜
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入場料 |
有料 一般1800円、大・高校生・65歳以上1300円、中学生1300円、小学生以下は無料(ただし大人1人につき子ども2人まで)(入館料は常設展ほか含む) |
展覧会の撮影 |
不可 |
作品の販売有無 |
展示のみ
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子連れ |
可 |
この情報のお問合せ |
ホキ美術館 043-205-1500
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情報提供者/投稿者 |
住所 |
〒267-0067 千葉県
千葉市緑区あすみが丘東3-15 |
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最寄り駅 | 土気 |
電話番号 | 043-205-1500 |
ホキ美術館では、9月5日(木)より11月17日(日)まで、ハンガリーの写実画家イシュトヴァーン・サンドルフィの作品20点を日本で初めて紹介する展覧会を開催いたします。本展はバルセロナのヨーロッパ近代美術館(MEAM)とのコラボレーション第二弾であり、同館所蔵のコレクションから厳選された20点を展示するものです。1948年にハンガリーに生まれ、ハンガリー動乱を経て10歳から晩年までパリで過ごしたサンドルフィは、若くして画才を発揮し、世界各地で個展を開きました。没後10年の2016年にMEAMにて大回顧展が開催され、現在ブタペストでも展覧会が開かれています。細部まで克明に描いた人体が、美しく冷たい色合いの背景のもと、空間に溶け込んだり抜け出てきたり、不思議な設定のなかで描かれています。画家の心の叫びとも言える衝撃の作品群をご紹介いたします。
作品はすべて日本初公開となります。
MEAMは世界の写実絵画を収集しており、ハンガリーの写実画家サンドルフィの作品も200点余りコレクションしています。ホキ美術館では、5月17日~9月1日まで開催のMEAM所蔵の「スペインの現代写実絵画展」に続き、幅広い世界の写実絵画をご紹介いたします。
美しくも冷たい色合いで描かれた人物の姿は苦悩に満ちている
1948年ハンガリーに生まれたイシュトヴァーン・サンドルフィが、8歳の時に民主化やソ連軍撤退を要求する学生や労働者のデモが発生、ハンガリー動乱に遭遇します。ソ連は軍を出動させ、市民と衝突しました。父親が米国系企業に勤めていたことから、サンドルフィ一家は祖国を離れざるを得ず、オーストリアやドイツを経て、10歳でパリに移住。そうした経験から強い孤独を感じ、1人で絵を描くことが多くなりました。子供時代から画才を発揮し、エコール・デ・ボザールと国立高等装飾美術学校に学びます。若くしてその才能は花開き、73年にはパリ市立近代美術館で大規模な展覧会を開催。以降、作品はニューヨーク、ローマ、ミュンヘンなど各国で紹介されます。2006、2007年には祖国ハンガリーで展覧会を開催するも、惜しくも2007年末に59歳のときパリで亡くなりました。
その作品を見ると、主に70年代から80年代初頭は冷たい色の背景のもと、細部まで克明に描いた人体の姿を多く残しています。構図や人物の表情は印象的で、空間溶け込んでいたり、空間の中から抜け出てきたり、不思議な設定のなかで人体を描いています。また80年代以降は自画像や、室内の女性をモデルに描きました。本展は、1978年から1991年まで、サンドルフィの画業のなかでも主要作品ともいうべき、主に30代で描いた作品20点を展覧します。
イシュトヴァーン・サンドルフィとは
「作者の人生を知らないなら作品を解釈することは不可能だ」とサンドルフィの娘アンジ・サンドルフィは語っている。サンドルフィは衝動的な画家で、与えられた時間に自分の思うままに仕事をした。毎日、14時間絵を描く。疲れがとれたら起きて、お腹がすいたら食べる。それは正気を保つために必要だった。仕事のときは古い着物とバレエシューズという出で立ちだった。子どもの頃に体験したハンガリー動乱、そのトラウマにもかかわらず、本人はバランスが取れて、穏やかでいて繊細だったと娘は語っている。
◇心の欲求のままに個人に向けた絵画作品
「個人に向けて絵を描くようにしている。芸術運動を無視し、流れに逆行する絵を描いている」と語ったサンドルフィの作品には、表現豊かな強さ、真の必要に駆られて本能的に生まれた純粋な強さがある。絵とは心の欲求である。
◇人生に衝撃を与えた子ども時代のできごと
サンドルフィは1948年6月12日、ブタペストに生まれ、幼い頃から世間への孤独感を抱いていたという。生涯それは消えることがなかった。1956年、ソビエト進軍を前に国外脱出を余儀なくされた。オーストリアとの国境を家族とともに歩いて越え、難民キャンプヘ。その後ドイツで暮らしたのちパリヘ移住、生涯をそこで暮らす。この幼い頃の体験は彼の人生に大きな衝撃を与えた。
「家ではみな共産主義は地獄だったという。しかし学校ではスターリンはサンタクロースだと教えられた。だから大人の言うことは信じないことにした」とサンドルフィは語っている。大人の世界への懐疑的な見方はより孤独感を強めていった。学校ではひとりペンをとり、関係ない争いから捕虜になってしまった人たちの姿を描いていた。「ブタペストにソ連の戦車が入ってきてバリケードに向かって発砲していた。私は戦車やロシアに発砲する革命軍たちの絵を描いた。私は描くことをやめなかった」。
◇内面から自然に湧き出るものを描く
「私は個人的な絵を1人で描いている。自分の内面から自然に湧き出るものを描いているから自分の人間性が出る。どの流派にもあてはまらない」。若い頃から自分を表現することに執着し、学校で学問を教えるやり方に反発した。学校では従順で自発的に考えないように暗記することを教えられる。唯一の逃げ道が絵画だった。14歳から18歳の間にはパリのすべての展覧会を1人で見て周り、絵やデッサンの本を買っては1人で描いていた。そして1966年にギャラリーで最初の絵を発表。エコール・デ・ボザールヘ進む。
◇深い孤独が生み出した表現性
反体制的なサンドルフィは新たな感覚や視点を生み出し、分類不可能で理解も説明も不可能な作品を生み出していった。「常に自分にとって嫌なものを描きたかった」とも語っている。社会に理解してもらえないという感情が、終わりのない満たされない叫びを生み、作品に変わっていった。興味をもてない周辺環境を遮断した結果、自画像を描くようになる。自分を使ってあらゆる状態の形を描いた。夜に活動し光のない空間に閉じこもった。この深い孤独がいかなる画家も表現しなかったほどの力強く表現豊かな青の時代を生んだ。「1979~82年頃、青とピンク、時々グレーの2、3色を使った。「ウルトラ・バイオレット」の時代。代わる代わる赤と青を出し、白と混ぜる。こうして2色だけで卓越した効果を創り出したかった。暖かい色と寒々しい色だけで、つかみどころのない印象を故意に与えたのだ」
◇外の世界と隔離された内面世界を描く
70年代と80年代にサンドルフィが描いた作品は主要作品となる。力強くも内向的な心、外の世県と隔離された内面世界が描かれ、自我を主人公とした過激な表現を見せている。「私は孤独そのものを描くのではなく孤独の概念、創造の孤独を描く。芸術は根本的に個人のもの。なぜなら芸術は感情の科学だから。絵の模写やスタイルを真似ることは可能だが、感情を真似ることはできない」。画家は鏡の前に1人立ち、よりくだけたポーズを分析し、人間のもつ感情の発露を描いた。
◇世間の高評価を得ながらも孤独にさいなまれた画家
1973年からはパリで作品を発表し高評価を得る。自分が唯一のまぎれもない登場人物であるという個人的な手法は生活にも反映していった。3階建ての大きな家に住んで、ひとつのフロアーに龍もって働き、家族生活と孤独な生活を両立できた。1984年に個人コレクターと親しくなり、パリのほか、ロサンゼルス、ニューヨーク、ロンドンなどで紹介され、美術市場に名が知られるようになる。やがて自画像へのこだわりを捨て、女性たちを登場させるようになる。名声は広まり、2001年からは祖国のブタペストでも展覧会を開く。2007年末にパリで亡くなるが、サンドルフィは心の中で「社会を無視したい。社会は私の絵を無視している。社会は自分に似た絵だけに目を向け、都合の良いように並べるのだ」と叫んでいた。
(サンドルフィ展カタログより)
没後12年、サンドルフィの画業の一部をここに公開します。自由な精神と傑出した人間性を表した芸術作品。力強く独立した思考の世界。本展はサンドルフィの繊細なる作品世界を日本で初めて紹介するものです。孤独のなかで自分を表現することに執着し、自分の内面から湧き出るものを描き、あくまで個人的な芸術を、心の欲求のままに強い表現力で描いた画家。その最期まで孤独にさいなまれていましたが、サンドルフィの芸術世界はいま、また世界で評価されています。
■「作家五味文彦とアートテラーとに~がサンドルフィの作品を語る」
日時:2019年9月7日(土)15:00~
定員:60名
参加費:2300円(入館料込み)
参加申し込みはホキ美術館まで