没後50年 坂本繁二郎展
会期: 2019-07-14 - 2019-09-16
参加クリエイター:
展覧会詳細
展覧会ジャンル:
アート
展覧会タグ:
浮世絵
開催内容
坂本繁二郎(1882-1969) は福岡県久留米市に生まれます。同級生に青木繁(1882-1911) がおり、互いに切磋琢磨する青年期を過ごしています。20歳で青木を追うように上京。小山正太郎の主催する不同舎に学び、展覧会出品作が数々の賞を受けるなど順風満帆な画業をスタートさせます。39歳の時に渡仏し3年間の留学生活を終えると、その足で家族の待つ久留米に帰ります。以降、画壇の煩わしさを避け、郷里にほど近い八女にアトリエを構え、文人のごとき作画三昧の生活を送ることとなります。戦後になって、九州の彼の地で戦前と変らぬ穏やかさをたたえた作品を制作し続けていた坂本が“発見” されます。坂本の人となりと作品は瞬く間に人々の注目と喝采を浴びる存在となり、74歳の時に文化勲章を受章するにいたります。
坂本は、ヨーロッパ留学までは牛を、帰国後は馬を、戦後は身の回りの静物、最晩年は月を主なテーマとして取り上げます。限られたテーマを描き続けた坂本の作品は、同じモティーフを取り上げながらも一つ所に留まることはなく、主題は平凡でありながら、精魂を傾け仕上げられた画面は厳かな静謐さをたたえています。「描きたいものは目の前にいくらでもある」という言葉は、奇をてらうことのなく、自然と向き合い対象を凝視する彼の作画態度を表した言葉といえましょう。
本展は、没後50年にあたり、坂本の最初期作から晩年まで、彼の絵画が成熟していく過程を人生の歩みとともに明らかにしていくものです。約140 点の油彩、水彩、水墨画等に加えて、互いに磨きあい、支えあった盟友、青木繁の作品も合わせて展示します。
[展示構成]
第1章 神童と呼ばれて〔1897-1902〕
久留米に生まれた坂本繁二郎は、絵を描くことが大好きな少年で、当地の洋画家、森三美の手ほどきを受け、神童と呼ばれるほどの腕前であったといいます。しかし、一足先に東京で絵を学んでいた盟友、青木繁が帰郷し、その上達ぶりに驚愕。青木と共に上京することを決意します。坂本20歳のときのことです。
第2章 青春-東京と巴里〔1902-24〕
上京した坂本は小山正太郎が主催する不同舎に入門。太平洋画会研究所でも学び、展覧会にも意欲的に出品し、頭角を現していきます。第6 回文展に出品した《うすれ日》(出品番号22)は夏目漱石からも賞賛され、北原白秋や木下杢太郎ら同年代の詩人、芸術家らと活動を共にするなど、充実した画家人生のスタートを切っています。39 歳の時に渡仏し、パリ郊外での写生や、アトリエでの人物画制作にいそしみました。
第3章 再び故郷へ-馬の時代〔1924-44〕
フランスから帰国した坂本はその足で家族の待つ久留米に帰郷。画壇と距離をおいて制作をしたいと、郷里近くの八女にアトリエを構えます。当時の坂本のテーマは“馬” で、雲仙や阿蘇などをめぐり、作画に没頭しています。戦時色が濃厚となる中、放牧馬も減り、旅行もままならなくなり、坂本は柿、馬鈴薯など身の回りのものをテーマとした静物画に精魂を傾けていくようになります。
第4章 成熟-静物画の時代〔1945-63〕
1943年頃から野菜や果物から果ては毛糸や石に至るまで、身の回りのすべてのものを題材に選ぶようになっていきます。その中で、もっとも興味を抱いたのは能面で、坂本の静物画の特徴的な画題となっています。戦後の悲壮感と荒廃著しい中、変らぬ穏やかさをたたえた作品を鄙辺で黙々と描き続けていた坂本の作品が見直され、東京、大阪でも回顧展が開催されます。1956年、74歳の時に文化勲章を受章することとなります。
第5章 「はなやぎ」-月へ〔1964-69〕
1964年、82歳となった坂本が次に手掛けたテーマは“月” でした。長年煩っていた目の病が悪化し、また自宅からアトリエへの移動が困難になる中、自宅の2階から見える月が坂本の新しい画題となっていきました。「月の静かさのなかに秘めたあふれるような充実感にうたれて」と語っています。作家、井上靖は「(坂本の)晩年のはなやぎは美しいと思う。能面がはなやぎ、馬がはなやぎ、月までがはなやいでいる」と記しています。