トルコ文化年2019 トルコ至宝展 チューリップの宮殿 トプカプの美

《スルタン・メフメト4世の宝飾短剣》 1664年頃 トプカプ宮殿博物館蔵

《スルタン・メフメト4世の宝飾短剣》 1664年頃 トプカプ宮殿博物館蔵

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会 期
20190320日 -  20190520
開催時間
10時00分 - 18時00分
金・土は20時00分まで、4月26日(金)~5月5日(日)は20時00分まで
※入場は閉館の30分前まで
休み
火曜 ※ただし4月30日(火)は開館
入場料
有料
一般1600円(1400円)、大学生1200円(1000円)、高校生800円(600円)、中学生以下無料
※( )内は団体料金 ※団体券は国立新美術館でのみ販売(団体料金の適用は20名以上) ※障がい者手帳をご持参の方(付き添いの方1名を含む)は無料
この情報のお問合せ
03-5777-8600(ハローダイヤル)
イベントURL
情報提供者/投稿者
開催場所
国立新美術館
住所
〒106-8558 東京都
港区六本木7-22-2
最寄り駅
乃木坂
電話番号
050-5541-8600(ハローダイヤル)

詳細

展覧会内容

東西文明の十字路で育まれた歴史遺産・財宝、約170点が待望の来日!

2019年、トルコの多様な芸術や文化を紹介する「トルコ至宝展」を東京と京都で開催します。
アジアとヨーロッパにまたがる交易の要地・トルコは、多様な文化を受容・融合し、比類ない美を育んできました。
本展では、イスタンブルのトプカプ宮殿博物館が所蔵する貴重な宝飾品、美術工芸品をとおして、花々、とりわけチューリップを愛でた宮殿の生活、オスマン帝国の美意識や文化、芸術観を紹介します。

また、オスマン帝国のスルタンと日本の皇室の交流を示す品々のほか、明治期の日本美術品を里帰りさせるなど、両国の友好関係にも光をあてます。
アジアの東と西の端に位置する両国民が交流のすそ野を広げ、友好を未来につなげることを願って開催するのが今回の展覧会です。約170点の作品をとおして、トルコの歴史、文化、美を愛でる国民性をより深く理解する機会となれば幸いです。

[みどころ]
オスマン帝国の栄華を今に伝える至宝約170点が、イスタンプルのトプカプ宮殿博物館から来日!

トルコ国民がこよなく愛する花・チューリップがあしらわれた宝飾品、工芸品、食器、武器、書籍などをとおして、悠久の歴史と多様な文化が育んだ華麗な美をご紹介します。

そのほとんどが初来日となる作品を、いつくしいタイルや装飾など、トプカプ宮殿らしさが随所に感じられる空間でご堪能ください。

アジアの東と西に位置する日本とトルコの両国が、同じアジアの文化圏の国民として共通する美意識を持っていることも感じとれるでしょう。

トプカプ宮殿について

1453年、メフメト2世によるコンスタンティノ一プル(現イスタンブル)征服後、ボスフォラス海峡とマルマラ海、金角湾に囲まれた丘に、新たな首都の宮殿として建設され、19世紀半ばまで行政機関とスルタンの住居として使われました。
宮殿敷地内にいくつも作られたキョシュクという小規模建築は、遊牧民のテントに由来するとも言われています。
歴代スルタンによって増改築が繰り返され、その変容には各時代の芸術潮流や行政組織の変遷が反映されています。
1924年、トルコ共和国建国時に博物館となりました。
9万点近い美術品と建築でオスマン帝国の歴史やスルタンたちの生活をしのぶことのできる宮殿博物館として、世界中の人々を魅了しています。

トルコと日本

「トルコは親日的」、「トルコは遠くて近い国」と、しばしば言われますが、そうした両国民の感情は、どのような歴史や文化を背景としているのでLょうか。
トルコと日本の交流は、岩倉使節団員の島地黙雷(西本願寺僧侶)と福地源一郎(ジャーナリスト、戯曲家)が1873年にイスタンブルを訪問したことに始まります。
その後天皇家とオスマン帝国の君主であるスルタンとの皇室外交、文民官民の往来など正式な国交が結ばれる以前からアジアの東西両端に位置する両国の交流は絶えることがありませんでした。
1890年にオスマン帝国軍艦エルトゥールル号が和歌山県串本町沖で遭難した際の日本人による救出活動や、野田正太郎(時事新報記者)、山田寅次郎(商人、後に茶道宗徧流第八代家元)が義援金をトルコヘ持参した事はトルコと日本の友好のしるしとなりました。
オスマン帝国終焉後、日本がローザンヌ条約を批准し、1924年に正式な国交が結ばれてからも両国の友好関係は継続し、政治・経済・文化など幅広い分野において良好な関係が継続しています。

オスマン帝国の栄華

オスマン帝国(1299年頃~1922年)の第7代スルタン、メフメト2世は1453年に西洋と東洋の接点といわれるコンスタンティノープルを征服すると、ここを新たな首都とし、政治・軍事・文化の拠点としてのトプカプ宮殿を1478年に完成させました。
その後、メフメト2世の曾孫で、立法者または壮麗者と呼ばれるスレイマン1世(在位1520-1564)の治世下では、法が整備されるとともに宗教建造物の造営、公共施設の建設などの大事業が推し進められました。また、対外的には地中海を制圧し、西はハンガリーなど中部ヨーロッパまで、東はイラン西部、北は南ロシア、南は北アフリカまで領土を拡大し、最高の権勢と繁栄が謳歌されました。
こうして、支配下に収めた地域からの収益、交易の富、世にも珍しい献上の品々は、国庫を潤しました。支配者層が次々と建設する壮麗なモスクには当時の最高の技術と造形美が結集され、宮廷工房ではスルタンの威光をさらに輝かせるための写本、衣装、宝飾品、武具や家具調度などの製作が盛んになりました。
トプカプ宮殿に収められているオスマン帝国約600年間の目にまぶしい至宝には、何よりもまず多民族からなる巨大なトルコの領土を安寧に統治しようと望んだスルタンたちの願いが結晶していると言えるのかもしれません。

象徴としてのラーレ(チューリップ)

チューリップはオスマン帝国領内に自生する花でしたが、15世紀頃から園芸種の栽培が盛んになり、16世紀になると織物、タイル、陶器、その他の工芸品を装飾するモチーフとして流行しました。さらに18世紀には、チューリップの栽培と品種改良に多大な情熱が注がれました。その数は2000種にも及び、美術のみならず文学においても人気を博し、アフメト3世の1716年~1730年間には「チューリップ時代」と呼ばれるほどの一時代が築かれました。
チューリップはトルコ頴で「ラーレ」と言います。オスマン・トルコ語の表記に使用されていたアラビア文字で、ラーレの綴りの文字配列を変えると、イスラム教の神のアッラーという言葉になり、さらにはアラビア文字で表記されたラーレを語末から読むとトルコ国旗のシンボルでもある三日月(ヒラール)という言葉に変わるのです。そのような事情から、チューリップは花として愛されただけでなく、宗教的、国家的な象徴としても崇められ、チューリップヘの畏敬を表した品々が数多く作られるようになります。
王冠、玉座、剣、カフタンといったスルタンに属するものだけではなく、建築装飾、宗教祭具、馬具、絨毯、日用の食器や花瓶にいたるまで、国家の繁栄を祈念するべく、いたるところにチューリップの文様があしらわれているのを目にすることができます。色とりどりのチューリップが栽培されたトプカプ宮殿が、チューリップの宮殿と呼ばれたのは、もっともなことなのです。

トルコと日本の友好

トルコと日本の友好関係は、1887年に小松宮彰仁親王ご夫妻がイスタンブルを訪問した際に、アブデュル・ハミト2世(在位1876~1909)から歓待され、これに対し明治天皇が1889年に大勲位菊花大綬章を捧呈したことから本格的に深められていきます。同年トルコ海軍の軍艦エルトゥールル号が日本を訪問し、翌年帰国途中に和歌山県串本町沖で座礁、沈没した海難事故は、まことに悲しい出来事でしたが、日本人によって乗員650人中69人が救出され、その際の献身的救出活動はもとより、野田正太郎、山田寅次郎によって遺族へ義援金が届けられたことなどは、現在に至るまで、トルコと日本の大きな友好のしるしになっています。
歴代のスルタンがそうであったように、アブデュル・ハミト2世も卓越した芸術的才能に恵まれ、大工仕事や木工技術に長けていました。アブデュル・ハミト2世への贈答品として明治天皇から贈られた大工道具は、道具を超えて、心の交流を感じさせるものとなっています。
アブデュル・ハミト2世は、日本の美術工芸品にも興味を持っていました。アブデュル・ハミト2世の宮殿には、日本の竹製の家具、芝山細工の飾り戸棚や机、七宝家具など、幕末から明治にかけてヨーロッパで流行した明治の貴重な調度工芸品が保存されていますが、これらの多くは、アブデュル・ハミト2世と交流のあった山田寅次郎を介して納められたと考えられています。

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