宮崎光男「Universe」

宮崎光男「Universe」
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    会 期
    20181201日 -  20181229
    開催時間
    11時00分 - 19時00分
    休み
    日・月・祝
    入場料
    無料
    作品の販売有無
    販売有
    この情報のお問合せ
    児玉画廊
    情報提供者/投稿者
    開催場所
    児玉画廊 | 東京
    住所
    〒108-0072 東京都
    港区白金3-1-15
    最寄り駅
    白金高輪
    電話番号
    03-5449-1559

    詳細

    参加クリエイター

    展覧会内容

     児玉画廊(白金)では12月1日より12月29日まで宮崎光男「Universe」を下記の通り開催する運びとなりました。宮崎は純然たるオールオーヴァーな抽象表現でありながら日本画材の岩絵具を主素材とした絵画を制作しています。児玉画廊では、ignore your perspective 41「Intension of Technique」、同46「Pandemonium」での紹介を経て、今回満を持しての個展となります。
     抽象とは「多様性」である、と宮崎は言います。絵画においては、制作者のコンセプトが作品内に提示され、鑑賞者はそれを理解するべく知覚と想像力を研ぎ澄ませる、といった絵画を挟んで作家と鑑賞者が対峙する関係性が一般的です。宮崎はそれを求めてはいません。そもそも「抽象」という言葉の意味について、少々理解しておく必要があります。日常会話で一般的に「抽象(的)」と言う場合、具体性に欠く事や状況、形では示せない非形象的なものを指す言葉でしょう。もちろんそれは正しい用法です。もっと本来的な意味においては「抽象」とは、物事の共通点を見つけ出し、より包括的で一般的な観念を導き出すこと、を意味しています。英語での「abstract」も語源的には、”abs”(~から)+”tract”(引く/抽く)、転じて「何かを要約する」というような意味を持っています。よって、単にぼんやりして分かりにくければ「抽象」というのではなく、そこには常に何かが含まれており、それがより大きくより多くを内包しようと志向するがゆえに、包括的すぎて具体性に欠くことを「抽象(的)」である、と呼んでいるのです。例えば、チューリップを指して、赤くカップ型の花を付ける球根植物と事細かに定義を示せば「具体(具象)」的な表現であり、花に属するとのみ示すとすれば「抽象的」な表現と言えます。両者は相対的な関係性にあるので、花よりも植物、植物よりも生物、とどこまでも抽象化していくことができますし、その逆も同じく成立します。多少語弊のある理解をするならば、「抽象」とは一般的な共通認識として認められさえすれば、幾らでも多くを含むことが許される状態、と言えます。これが宮崎の言う、抽象とは「多様性」である、という論拠です。
     その絵画が「抽象」であると言うならば、作品は鑑賞者の自由な受け止め方を制限するものであってはならず、同時に制作者としても鑑賞者の自由な感受性を受容するべきで、その相互に受入れ合う関係性において無限の「多様性」においてこそ抽象性が発現するというのが宮崎の主張です。その考えに従って、制作の過程においては主観をできるだけ希釈し、作品の進捗を随時観察しながら時として自身が鑑賞者の目と成り変わり、できうる限りの様々な感性を画面にフィードバックさせていきます。ゆらぎ、或いは、ぼかしのような一種の現象として色彩や形象が画面に浮かび上がり、それが何物をも限定しない「多様性」の仕手であり受け手であり続けるように心を砕いて筆を重ねるのです。
     この姿勢は没個性的であると捉えられるかもしれません。そこには宮崎作品を決定付けるシグニチャーとしての何かが見られるわけではないからです。多くのアーティストが最も求められる要素を個性とするならば、宮崎は積極的にそれを犠牲として差し出すことによって得られる「多様性」を選んだのです。考え方としては非常に極端ではありますが、抽象性を保持するための強固な信念と受け止めるべきでしょう。かつてのマレーヴィチらシュプレマティスムを例に引くなら、彼らが極限まで雑多な要素を削ぎ落とし、何かを「抽象(導き出す)」するために他を捨て去る「捨象」を徹底することで抽象性の極北へ到達しようとしたと考えるならば、宮崎はその真逆とも言える「多様性」を突き詰めていくことで同じく抽象性の極致を目指そうとしているのです。
     宮崎は多摩美術大学在籍時には日本画を専攻し、故に主材料に岩絵具や胡粉などの顔料を用います。鉱石を原料とする岩絵具、貝殻の粉末による胡粉、西洋顔料の油絵具とは決定的にその粉末、粒子の荒さが異なります。宮崎の作品も、岩絵具のその特質から、画面上の粒子がわずかに煌き、乱反射することで柔らかな明るさを湛えています。筆を重ねればそれだけ、力強さと引き換えに印象も重くなりがちな油絵具とは異なり、大きなブラッシュストロークをそのまま軽く乾かしたような質感は、やはりこの画材に由来するところが大きいでしょう。異なる色彩同士が完全に混ざり合うことなく斑になり、伸びやかでありながらもざらつくような、その複雑な色彩と筆触の重層によって霞か霧に覆われたかのような模糊とした情景を呈する画面を前にすると、作家が自らの主な作品に「Atmosphere」と名付けていることも首肯できます。おそらくは表象的な観点からのみならず、言わずもがな、その内包せんとする「多様性」を企図しての「Atmosphere」であることは疑うべくもありません。
     人間の視覚は拠り所のないものを見ることには不慣れです。常に焦点を求め、知覚できる形象を探さずにはおれません。「幽霊の正体みたり枯れ尾花」と諺にあるように、先入観は目を曇らせ、思い込みは視野を狭めます。まして絵画において「抽象」という形のないものを示せば、鑑賞者の口からは「~に見える」「~のようだ」「~を感じる」というように具体性を求めての言葉が大半です。宮崎はそれらを本質的に受容することが可能な絵画、純に「多様性」に依拠する抽象表現として描き出そうと試みているのです。展覧会名の「Universe」は宇宙の意味ですが、それが全てをあまねく内包するがゆえであるように。
     つきましては、本状をご覧の上展覧会をご高覧賜りますよう、何卒宜しくお願い申し上げます。

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