自営と共在
開催概要
開催内容
"観光と移民" をテーマにした現代美術展「自営と共在」が沖縄・那覇で開催
2016年初頭に原爆の図 丸木美術館にて開催され話題を集めた企画展「私戦と風景」メンバーによる、新しい展覧会「自営と共在」が、12月3日 (日) から12月17日 (日) まで、沖縄県那覇市のBARRAK 大道にて開催される。出展作家は、亜鶴、市川太郎、鈴木操、角田啓、手塚太加丸の5名。
本展示は、"移民と観光" をテーマとし、直接的に政治的な言及を行うのではなく、沖縄を "隣" のモチーフとして考える構成がとられ、キュレーター・齋藤恵汰によりコンセプトとして「隣人愛は可能か?」というステートメントが書かれている。移民や観光という現象を日本各地から沖縄に集合する作家が経験や思考を行いながら深め、それらが作品や展示全体へとフィードバックされる。
キュレーター・齋藤恵汰は、本展示の開催理由を次のように語っている。
「今年メンバーそれぞれは、それぞれが複数回、沖縄に足を運び、この展覧会の準備を行ったのです。私たちはきっと、いつでも、どこででも、またこうして共同性を立ち上げることができると、信じています。そして、それが、この地上に人類が数多く居ることを希望する、もっとも根源的な可能性ではないでしょうか。」
「私戦と風景」とメンバーは同じながら全く違う内容となる本展示は、芸術祭の「常連」といった単語の氾濫や、度重なるアート・コレクティブの結成という動向の機能不全化や陳腐化、あるいは形骸化を「無自覚な繰り返し」として批判的に捉え、そこから、個々のアーティストの自由と、それらが一時的な連帯を達成するためには、あらかじめネットワークされていた人々がいて、そこで培われていた共同性が、何か出来事に由来して立ち上がり直してしまうといったことこそ必要だという視点を問いかける。
刺青をはじめとするストリートカルチャーにインスピレーションを受け活動を開始した亜鶴は、「皮膚としてのキャンパスと絵画」というモチーフの拡張を試みる。また合わせて「『タトゥー裁判』から考える、表現と自由の現在地。」と題したシンポジウムを企画。
BeSeTo演劇祭内での作品の脚本を担当し、2014年アトリエ劇研演劇祭では自身の舞台作品を上演した市川太郎は、上演作品「愛だけが深く降りていくところ」を企画・構成・演出し、展示会場ではテキストを使ったインスタレーションを発表する。
物と時間の関係から生じる質的な変化や人称性をテーマに彫刻を制作する鈴木操は、日本固有の素材としての漆喰と日本固有の彫刻概念のアップデートを模索。「輸送」をコンセプチュアルに表現した新しいアプローチを狙う。
シュルレアリスムとオブジェの関係性をテーマに制作を続けてきた角田啓は、沖縄の戦後史に紐づけられた新作を発表。また本展示をきっかけに活動の拠点を那覇に移す。
そして本展示会場であるBARRAK 大道の代表であり、現在屋久島と沖縄の2つの場所を行き来しながら活動を展開する手塚太加丸は、沖縄本島北部のやんばるの木材を使ったインスタレーションを発表。
想像力を扱う展示のその先へ、それを更に掘り進めるべく「複数の想像力が一つのイメージを共有する」ために、各アーティストの作品による "自営" と、展覧会全体を通じた "共在" が試みられる本展に、是非、ご期待ください。
出展作家 : 亜鶴、市川太郎、鈴木操、角田啓、手塚太加丸
キュレーター : 齋藤恵汰
[STATEMENT]
思想やステートメントをコンセプトへと縮約する愚かさを承知でいえば、この展覧会の企図は以下の一言に要約できる。すなわち「隣人愛は可能か」である。
隣人愛とは読んで字のごとく「隣の人を愛する」ことだが、展覧会のタイトルにもある「自営」と「共在」が、この概念において重要な役割を果たすことは言うまでもない。
そうして「自営とは何か」「共在とは何か」という話に速やかに移行したい訳だが、これには語の背景という少々ややこしい話が付帯してくる。
自営という単語を英訳するにおいて、我々は一つの戸惑いに直面する。それは、自営という単語が「自」つまり「みずから、おのれ、当人」という漢字を含んでいるにも関わらず、その次にかかる「いとなみ」が一体なにを指しているのかが不明な点である。
人間は「いとなむ生き物」であるが、いとなみにおいて他者や内面は常に存在している。
では自営とは一体「どこからどこまでを」いとなむのか、あるいは、それが内面の問題に限定されるならば自活と呼ばれるだろうし、他者を含むのであれば自発と呼ばれるだろう。自営は、自活でも自発でもない。これが自営という単語を英訳する場合にselfemployedとindependentの間で我々を逡巡させる原因である。
次に共在という単語を見てみよう。
共に在る。この力強い単語の採用はプロテスタンティズムにおけるルターの共在説にインスピレーションを受けている。自活と自発の間、自営という単語が存在するために必要なのは、self-employedとindependentの分裂を何かの方法で合流させる手つきである。
異なる二つの概念が一つのイメージを共有する。そしてそれはパンとぶどう酒が「同時に」キリストの肉体であることを可能にするような方法でもって行われなければならない。自営という単語を採用した上で、その概念を成立させるために我々はイメージを必要する。それは「自営と共在」が「美術」の展覧会であるからだ。
2016年の初頭、我々は原爆の図 丸木美術館にて「私戦と風景」という企画展を行った。
その展覧会で我々はアーティストの想像力を扱った訳だが、その展覧会の終了時には既に次回の展示タイトルが「自営と共在」であることはメンバーに共有されていた。
それは想像力を扱った次に、それを更に掘り進めるためには「複数の想像力が一つのイメージを共有する」必要を感じていたからだ。我々は一度、展示を共有した隣人であった。
前回の展覧会ではステートメントにて執拗に「一人一人の作品をこそ見てくれ」と言った。それは今回の展示でも、ある程度は有効である。しかし、これはキュレーターのエゴでないことを祈りつつ言えば、今回の展覧会は作品だけを見るようには作られていない。
もちろん、各アーティストの作品は一つの自営を演じている。しかし展覧会全体を通じて、またあるいは、いくつかのトークイベントや上演作品を通じて、今回の展覧会の目指す先は共在をも演じることである。時に荒々しく放擲された様々な事態が鑑賞を盛り上げるはずである。
各アーティストは、それぞれの想像力を時に共有しながら一つの空間をも共有した。
手塚太加丸が用意したbarrakというスペースを光栄に思う。
場所は那覇市大道、皆様の来場をお待ちしている。
キュレーター 齋藤恵汰