オットー・ネーベル展 シャガール、カンディンスキー、クレーの時代
開催概要
- 会期
- 2017年10月07日 〜 2017年12月17日
- 会場
- Bunkamura ザ・ミュージアム (東京都渋谷区道玄坂2-24-1 B1F)
- ジャンル
- アート
- タグ
- 油画、平面
開催内容
知られざる画家 ”オットー・ネーベル”日本初の回顧展
スイス、ドイツで活動した画家オットー・ネーベル(1892-1973)。1920年代半ばにワイマールに滞在したネーベルは、バウハウスでカンディンスキーやクレーと出会い、長きにわたる友情を育みました。
ベルンのオットー・ネーベル財団の全面的な協力を得て開催される、日本初の回顧展となる本展では、建築、演劇、音楽、抽象、近東など彼が手がけた主要なテーマに沿って、クレーやカンディンスキー、シャガールなど同時代の画家たちの作品も併せて紹介することで、ネーベルが様々な画風を実験的に取り入れながら独自の様式を確立していく過程に迫ります。※会期中一部展示替を行います。
みどころ
1 知られざる画家オットー・ネーベル、待望の日本初回顧展!
本展はベルンのオットー・ネーベル財団の全面的な脇力を得て開催される、オットー・ネーベルの日本初の回顧展です。
2 クレーやカンディンスキー、シャガールなど同時代の画家たちの作品も紹介
クレー、カンディンスキー、シャガールなど、ネーベルが影響を受けた同時代の作家の作品もあわせて紹介し、20世紀美術の流れの中でネーベルの創作活動の軌跡を展観します。
3 油彩、版画、コラージュなどバリエーション豊かな作品が一堂に!
画家、版画家、さらには詩人としても活躍し、マルチな才能を持った芸術家オットー・ネーベル。活動初期から晩年までのバリエーション豊かな作品が一堂に会します。
BERN ベルン
ネーベルが後半生を過ごしたベルンは、湾曲するアーレ川のほとりにつくられたスイスの首都です。中世の面影が残る旧市街が世界遺産に認定されているこの都市で、ネーベルは晩年のクレーとの親交を深めました。
1899-1920's BERLIN
出発点ー故郷ベルリンで画家を志して
ベルリンに生まれ育ったオットー・ネーベル(1892-1973年)は、初め建築を専門に学び、のちには演劇学校にも通いました。美術だけでなく、建築、演劇、詩作など、生涯、多分野に渡って活躍したネーベルの若き頃からの関心の広さが窺えます。その後、兵役中にフランツ・マルクの作品に感銘を愛けたネーベル。ナチスの弾圧を受けたパウル・クレー同様にスイスのベルンに移住した後も、芸術への純真な姿勢を央うことなく制作活動を続けました。
1924 WEIMAR
クレーとカンディンスキー、バウハウスワイマール校での出会い
バウハウスで教鞭をとっていたゲルトルート・グルノウのアシスタント、ヒルデガルト・ハイトメイヤーと結婚したネーベルは、バウハウスの校舎のあるワイマールに滞在。パウル・クレーやワシリー・カンディンスキーと知遇を得て、彼らの作品から制作への多大なるインスピレーションを受けるとともに、生涯に渡る友情を育むことになります。
1926-1928 ASCONA
シャガールとマルクに憧れて
1916年、大胆なタッチと非現実的な鮮やかな色彩で動物を描いて人気を博したフランツ・マルクが、36歳の若さで戦死。マルクに捧げられた展覧会をベルリンで見たネーベルは画家になろうと決心します。ネーベル自身「子供の魂から生み出された」と語る色彩豊かな明るい作品は、マルクやシャガールからの影響を思わせます。
1931 ITALY
カラー・アトラス 色彩と光に目覚めたイタリアヘの旅
1931年の3か月間のイタリア滞在は、ネーベルを大いに魅了しました。風景の中のモチーフは四角い色面に置き換えられ、各都市の個性を色彩で表現しようと試みます。特に『イタリアのカラー・アトラス(色彩地図帳)』は、イタリアの各都市での色と形の探求の成果が美しくまとめられた秀逸なスケッチブックです。ネーベルはその後も数回にわたりイタリアを訪れ、自身の視覚感覚によって制作された色彩パレットに基づいて、実際の都市の景観を変容させていきました。
ARCHITECTURE VIEWS
建築的景観 構築される画面
建築を学んでいたネーベルは、都市の建築物の構成の輪郭を単純化された立方体や結晶体の形にあてはめ、色彩のコントラストによって捉えようと試み、一連の都市の建築シリーズを描きました。また大聖堂のモチーフに興味を持ち、色のついたガラスを通って空間に溢れる光に満たされた内部空間を繰り返し描き出しています。
1933-1973 BERN
後半生、移住先のスイスで試みた絵画的実験
MUSIC 音楽 色彩によるオーケストラ
敬愛するカンディンスキーと同じように、現実を再現するのではない抽象絵画を描こうとしたネーベルは、作品のタイトルにも音楽用語を使用し、音楽を感じさせる絵画を目指していきます。ネーベルは自らの挑戦を、オーケストラの指揮者になぞらえていました。
ABSTRACT 抽象ー色と形の冒険
色と形だけで自立した絵画を目指したネーベルの作品は1933年にドイツを離れるとさらに開花していきます。1936年-51年までの間、カンディンスキーの尽力で、ニューヨークのグッケンハイム財団が作品を購入し、ネーベルの芸術活動を支援しました。作品に込められた内面的な世界は、ルーン文字や易経への強い関心と結びつき、また62年に訪れた中東のイメージを取り込みながら、造形的、色彩的な探究とともに、豊かな精神性あふれる世界を生み出していきました。