朝井閑右衛門展 空想の饗宴

開催概要

会期
2016年09月18日 〜 2016年11月13日
会場
練馬区立美術館 (東京都練馬区貫井1-36-16)
参加クリエイター
朝井閑右衛門
ジャンル
アート
タグ
実演・ワークショップ、トークイベント、平面

開催内容

朝井閑右衛門(1901~1983)は、1926(大正15)年の第13回二科展に初入選した後、光風会を中心に作品を発表しました。1936(昭和11)年の文部省美術展覧会には、練馬のアトリエ長屋で描いた群像の大作《丘の上》を発表し、文部大臣賞を受賞。一躍画壇の寵児となります。
敗戦後は、既成の画壇から距離をとりつつ、大河内信敬らと新樹会を結成。電線、薔薇、ガラス台鉢、ドン・キホーテ、道化、不動明王など同じモチーフを何度も繰りかえし描き、写実と幻想の合間に豊かな階調を生み出す独自の絵画世界を築きました。
古い種々の人形や壷など、朝井は作品のモチーフともなる気に入ったものを身近にたくさん置いていました。アトリエの造作にも強いこだわりを見せ、晩年を過ごした鎌倉市由比ガ浜のアトリエでは、毎日のように馴染みの大工や庭師を呼んでは、自分の気に入るように手を入れ続けたといいます。このアトリエについて、親しい友人であった詩人草野心平は「この家も、庭も、一木一草に至るまで、閑右衛門の仕事である。永く残すように」と語りました。
今回の展覧会では、初期から晩年まで、独自の地歩を築いた朝井の画業を紹介。あわせて、朝井の没後、遺族に守られ、今に残る鎌倉のアトリエを撮影した写真や、そこに蒐められたお気に入りの品々を展示しながら、彼の作品世界の原点をみつめます。

【朝井閑右衛門略年譜】
1901(明治34)年
大阪府大阪市南区恵美須町(現・浪速区)で生まれる。本名「浅井貫」。
1914(大正3)年
広島市紙屋町(現・中区)に住む。広島県立広島商業学校(現・広島商業高等学校)に通うが、画業を志し、同校を中途退学。
1919(大正8)年
東京府北豊島郡日暮里町(現・荒川区)に上京、叔父吉田治郎八方に寄寓して本郷洋画研究所に学ぶ。
1926(大正15/昭和元年)
第13回二科展美術展覧会に《廃園に於て》が初入選する。二科展出品目録には雅号「朝井閑右衛門」、住所「東京都豊多摩郡杉並町大字天沼字本村(現・杉並区)」となっている。
1936(昭和11)年
この頃、板橋区中新井町(現・練馬区豊玉)の練馬のアトリエ長屋に住むようになる。昭和十一年文部省美術展覧会に500号の大作《丘の上》が入選、文部大臣賞となる。
1947(昭和22)年
井出宣通、川端実、南政善、大河内信敬、黒田頼綱、鈴木栄次郎、須田剋太、伊藤悌三、山口猛彦等と「新樹会」を結成する。
1963(昭和43)年
戸籍氏名を変更、「浅井貫」から「朝井閑右衛門」となる。
1966(昭和41)年
二十年に亙って住んだ田浦のアトリエを引き払い、鎌倉市由比ガ浜に土地家屋を求め転居する。この家屋は興の趣くまま徐々に改築を重ね、1980(昭和55)年にアトリエはほぼ完成する。
1983(昭和58)年
鎌倉市の恵風園胃腸病院に於いて心不全のため永眠。82歳。

朝井閑右衛門展 空想の饗宴