第33回土門拳賞受賞作品展 不知火海
開催概要
開催内容
半世紀を越える”水俣病”事件の通史。
受賞作の写真展「不知火海 The Minamata discase Disaster」および写真集「水俣事件」(藤原書店)は、1950年代に不知火海沿岸・水俣で突如発症した公害病の惨禍を半世紀余り記録し続けた報道写真家の集大成。
1960年から水俣に足繁く通った桑原氏が、患者とその家族、抗議集会、裁判など、事件の半世紀を撮影した膨大な写真記録となっている。
この記録からは、水銀汚染の恐ろしさとともに大惨禍に翻弄されながらも淡々と生き抜いてきた人々の姿が浮かび上がる。
土門拳賞受賞のことば
水俣病事件の撮影を開始して半世紀余が過ぎました。その間には激動する韓国やベトナム戦争、北朝鮮、旧ソ連邦の崩壊など幾つかのテーマを撮影してきております。
日本に帰国すると、まるで郷里に帰省するかのように水俣に通いました。断続的な取材ではあるのですけれど数十回は訪れております。これまでに撮影したフィルムは。ざっと1000余でシャッターの回数でいえば約3万コマぐらいではないでしょうか。
この事件の原因は、現地の水俣にあった新日本窒素(後にチッソに社名を変更)が水俣湾(不知火海)に放出した有機水銀(メチール水銀)に起因するものでした。汚染された魚介類を常食した人たちが中枢神経を冒され重い疾患に倒れました。さらに毒魚の一片も口にしたこともない新生児までが過酷な運命を背負わされてきたのです。
母親の胎盤を通してメチール水銀が胎児を蝕んでいくのです。
1956年5月1日が公式な発見とされ、これまでに約3000人(新潟県も含め)が水俣病患者に認定され、そのうち約2000人が死亡しています。被害補償をめぐって認定患者の他に約6万5000人が国の特別措置法(賠償額一人当り210万円と医療手帳)にそって申請を行っています。さらに係争中の訴訟が5つ、それらの原告を合わせると約550人といわれています。
ぼくは写真で記録を継続してきましたが、いつも事件の周辺をうろつくだけのいわば傍観者で被害にあった家族の人たちに対して支援らしい手助けは何ひとつ行ってきていないのです。誉れ高い土門拳賞の受賞はありかたいことと考えます。が、撮影を生業とする者が脚光を浴びることに一抹の負目を感じないではおれません。