祐成勝枝 展 “庭 My garden”
会期: 2011-01-18 - 2011-02-06
参加クリエイター:
展覧会詳細
展覧会ジャンル:
アート
展覧会タグ:
レセプションパーティー
平面
開催内容
この度アートフロントギャラリーでは祐成勝枝展「庭 My garden」を開催致します。水彩、アクリル、油彩等、全30点以上の展示となります。
「祐成勝枝が新しい地平に立っている」と私は思う。祐成さんはここ数年、野菜や花を育てている。本展の出品作は「庭での出来事」をモチーフにしている。祐成さんのアトリエで、夥しい数のドローイングや水彩や油彩を見たとき、そこに彼女の日常の葛藤がぎゅうぎゅうに押し詰まっていると思った。畑を歩きまわって大きな石を動かし、土を耕し、植物の成長を見る。小さな芽を、葉の一枚一枚を、種子を、花を慈しみ、いとおしむ。日が暮れる。かつて農家の女たちが普通にやっていた日常。それをなぞるかのように祐成さんは体を張って絵に昇華していく。身体を通して得た感覚の誠実さ。確かさ。平面が折り重なるように描かれた独自の空間感覚、柔らかでビビッドな色彩感覚、丁寧に引かれたなめらかな線、大胆に塗りこめられた色面。ときに近づき、ときに俯瞰しながらそこに描かれる植物や作業小屋や、道や山が作品の中で息づいて、見るものをゆったりと包み込んでくれる。それはまさに、この地上に生命を得たすべてのものへの讃歌である。 (アートフロントギャラリー・木田秀美)
「祐成勝枝の空間割り」
祐成勝枝の作品がここのところ新しい様相を見せている。それはこれまで祐成の世界を取り巻いていたもの、つまり祐成の絵画の主題となるものが少しずつ変化してきたからではないかと思った。変化というよりは凝縮、あるいは昇華といったらよいだろうか。画面は区画整理のように割りつけがなされているか、あるいはたっぷりの余白のなかに、半ば装飾化されてはいるがみずみずしい植物が配置されているか。もう一種ある。 埋めつくすように全面に拡がる枝葉(図)は、まるでシルエットのようで、その背景(地)から多彩な光が射してくるものである。最新の作品群を見て、おおむねこの三つの要素が表れてきたと思った。
祐成のアトリエは住居から車で90分ほどの山の中にある。祐成の日常はこのアトリエに通い、制作に没入しつつ、野外の小さな借地にしつらえた菜園で野菜や草花を育てることである。大地との対面は祐成の絵画制作に多くの刺激を与えていると思われる。
最初に述べた、区画整理のような、といったタイプの作品は、率直に耕作地の割りつけを思わせる。それは大きな田圃のように幾何学的に精確に区切られたものではなく、不定型な矩形の連なりからできている。実際の祐成の菜園もそのとおり、植物の領域は気ままに入り交じり多方向に拡がっている。
祐成は大地にドローイングするように植物の区画をつくり、白い画面を耕し種まくように線描と色彩とで埋めていくのである。あふれるほどの水分を含んだ筆は線を引くというより淡い色彩そのもので面を構成していく。ときには背景が面で塗り尽くされ、そこに植物の形態が浮かび上がる図と地の逆転もある。土と光と水から植物が育つことの証明であるかのように、画面は光に満ち絵具は輝いている。いわば大地と画面とを往復することで、農作業と絵画制作が緊密な連携をとり祐成の新しい世界が表れてきたのだろう。
(フリーランス・キュレーター 真武真喜子)