姫路市立美術館開館30周年記念・神戸新聞創刊115周年記念 青山熊治展
会期: 2013-09-14 - 2013-10-20
参加クリエイター:
展覧会詳細
展覧会ジャンル:
アート
展覧会タグ:
油彩画
近代アート
開催内容
このたび、近代洋画の奇才・青山熊治(1886~1932)の回顧展を開催いたします。
青山熊治は兵庫県朝来郡生野町(現朝来市)に生まれました。生野小学校を卒業後、大阪、そして東京へと移り、同じ生野町出身の先輩である白瀧幾之助、和田三造の後を追うように1903(明治36)年からは洋画家の高木背水に師事します。1907年の東京勧業博覧会に出品した「老坑夫」が二等賞となり、早くも注目の作家となった青山は、1910年、第13回白馬会展に「アイヌ」を出品して白馬賞を受賞、同年の第4回文部省美術展覧会(文展)では「九十九里」により三等賞を受けます。翌年の第5回文展でも「金仏」が二等賞となるなど目覚しい活躍を遂げます。
国内で有望の青年作家としてその地位を確かなものにしはじめた1913(大正2)年、大連からシベリヤを経てヨーロッパに入り、放浪の旅を続けます。その後青山が日本の地を再び踏むのは1922(大正11)年のことで、9年の間諸国を巡遊して苦学をしながら画技を磨きます。帰国後もすぐには展覧会に作品を発表せず、満を持して大作「高原」を第7回帝国美術院展(帝展)に発表したのが1926(大正15)年、「金仏」の受賞からなんと15年も後のことでした。久しぶりに青山が出品した「高原」は特選と帝国美術院賞を受け、翌年の「雨後」とともに洋画壇の話題をさらいます。
その後も帝展に出品をつづけ、同展審査員を務めます。その間に九州大学工学部の壁画制作に携わって力を注ぎ、完成間近というところまできますが、第13回帝展に「投網」を出品した後の1932(昭和7)年12月、兄を見舞いに訪れた故郷生野町で急病にかかり、46歳の生涯を終えます。
明暗のコントラストが強調され、力強く重厚なリアリズムを追求した初期の作品から、セザンヌ、ルノワール、シャバンヌを学習した渡欧を経て「高原」、そして晩年の作に至るまでの青山の画業に通じるものは、独特の色彩感覚、筆使い、ダイナミックな構図、そして時流におもねらない孤高の精神より生み出された芸術性といえるでしょう。
このたびの展覧会では「アイヌ」「金仏」「高原」などの代表作を中心に初期作品から晩年の創作に至るまでの作品を集めて青山の創造世界を振り返ります。