GURU GURU 吉原宏紀 個展
会期: 2013-06-15 - 2013-06-30
参加クリエイター:
展覧会詳細
展覧会ジャンル:
アート
展覧会タグ:
レセプションパーティー
彫刻
開催内容
「吉原くんの作品について」
吉原くんは数年前から作品の素材として木を使うようになった。小枝から丸太までサイズはいろいろだが、いつも共通しているのは、木だけど「彫って」いないということだ。その変わりに、表面に粘土を薄く付けてポップなカラーリングを施したり、デヴィット・ボウイとかロックスターの写真を貼ったり南下している。
ところで、日本の彫刻について語るときによく用いられる「アニミズム」というものがある。自然界のあらゆるものに霊が宿ると考えることで、そこから、木石から何らかの形を彫り出すことは対象の霊性を顕在化させる行いであるとする見方が生まれる。吉原くんはきを扱っていながら、たぶんこうしたアニミズム的感性を、自らの内に所与のものとして認めているわけではないのだと思う。だけど、全く否定したり無意味なものと見做しているわけではなく、むしろ日常的な行為や出来事を足掛かりとして、そういった感覚を取り戻したいと願っているのではないだろうか。
例えば、彼の作品によく登場するデヴィッド・ボウイやイギー・ポップ。表面に貼り付けられたこれらのロックスターは観るものにとって、なんというか、いかにも唐突だ。この唐突さが裏付けるのは、吉原くんが彼らのことを「ただ単に好き」だということに他ならない。好きだから「貼る」。何のために?目の前に転がるなんの変哲もない気を「よいもの」にするために、だ。もっとそれっぽく、ロックスターのアウラを木へと付与するため、と言ってもいい。
これは一見、子供っぽい不毛な行いと映る。だが、木や石で作られた神仏を「偶像」といい、人々が崇拝し憧れる人物を「アイドル(偶像)」と呼ぶことや、縄文土器やある種の入れ墨にみられるように、表面に何かを施すことでマジカルな力が得られると古くから信じられてきたことを鑑みると、「彫らない」吉原くんの作品が、確かに彫刻の根源に触れているように思われてならない。
-真部 知胤(彫刻家)